防府市国衙に残る「周防国衛(こくが)跡」。国衙とは、律令制度下において国司が地方政務を執った役所が置かれていた場所。発掘調査によって、奈良時代から平安時代の役所が周辺一帯に広がっていたことが判明しており、一帯は現在公園として整備されています。
ここには明治の初めまで国庁寺という寺があり、境内にあった亀趺が今も残っています。「国庁が現存するのは全国でもここだけであり、それを後世に伝えるためにこの碑を建てる」の刻。
防府市宮市町の一角に残る「宮市本陣兄部家」。鎌倉時代から周防国合物商の長職だった兄部家。寛永19年(1642)に宮市本陣に定められ、西国の大名や幕府の上級役人が宿泊するようになりました。今は表門のみが残されています。
防府天満宮近くで見かけた気になる建物、でも仔細は不明💦
防府市岡村町、県立防府高等学校の敷地に見つけた「山口縣立防府高等女学校跡」の碑。
さて・・防府と言えば、山口市のブログにたびたび登場した『種田山頭火』の出身地。それに因んで市内各所に山頭火の句碑が80基以上建てられており、防府市八王子の山頭火の生家跡から小学校へ通った道は「山頭火の小径」として句碑めぐりを楽しむことができます。
生誕地跡にある句碑【 うまれた家は あとかたもない ほうほたる 】
防府市戎町、「地域交流センターアスピラート」の前に設置されていたもの、説明によれば「交流の輪」なるものらしい・・
昭和8年9月11日、山頭火が三田尻の宿に着いた日の日記に書かれた句、碑の文字は直筆を拡大したものです。
【 ふるさとや 少年の口笛と あとやさき 】
「防府駅 開業100周年記念」碑
防府駅前に『種田山頭火』の像と句碑
【 ふるさとの 水をのみ 水をあび 】
防府市新築地町、雨の「道の駅:潮菜市場防府」より見る「向島(錦山)と江泊山」。向島には「海賊の墓」や、龍が口を開けている様に見える「龍ヶ口」等々・・かなり気になる名所があるらしい・・
薄暗い画像で締めるのも何なので、毛利庭園の入り口付近の画像を紹介して、防府市内:アチコチウォッチは「お・し・ま・い」😊
訪問日:2013年4月17日&2015年11月14日&2017年11月30日
🌸明日からは山口県周南市の紹介です。
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