山口県南部に源を発する「阿武川」は、途中から「松本川」と「橋下川」に分かれ、日本海に注ぎ込んでいます。江戸時代、この2本の支流が運ぶ土砂によってつくられた三角州の上に、毛利氏が治める長州藩の本拠地となった城下町:萩が形成されました。
萩市今古萩(いまふるはぎ)の一画にある「市指定史跡:野山獄跡」。「野山獄は」藩政時代の獄屋敷で士分(武士階級)の者を収容する上牢です。正面には「野山獄十有弌烈士之碑」。毛利元昭の篆額で大正13年(1924)に建立されました。🙏
また向かって右手奥には「十一烈士絶命之處」の碑。左手奥には野山獄ゆかりの人々の慰霊のため、吉田松陰筆蹟の文字を組み合わせて作った「合霊碑」の石碑が昭和49年(1974)11月に、今古萩町町内会によって建立。🙏
道路を挟んで「市指定史跡:岩倉獄跡」。「岩倉獄」は藩政時代の獄屋敷で、下牢として庶民を収容した所です。吉田松陰の従者で、松陰ともに海外密航を企て失敗した金子重輔は岩倉獄に投じられ、入牢から70日余り後の安政2年正月11日、25歳を一期として不帰の人となりました。🙏
正面向かって右手に、萩出身の首相「田中義一」の書になる「金子重輔君絶命之處」。正面左手には、吉田松陰の詠んだ「獄中聞渋木生赴」が建立されています。
萩市東浜崎町、浜崎重要伝統的建造物群保存地区に残る「旧萩藩御船倉」。 藩主の御座船や軍船を格納した船倉で、慶長13年(1608)、萩城築城後まもなく建てられたといわれます。両側と奥に玄武岩で壁を築き、上部に瓦屋根を葺き、前面には木製扉。
説明を見るまで萩城の門の一つかと勘違いしていましたが・・こんな入口の城門なんて有り得ませんよね😅
萩市浜崎町の一画に建つ「旧山村家住宅」。江戸時代後期に町年寄りを務めた大型の町家で、明治に入って山村家が購入。山村家をはじめ、浜崎の旧家に伝わる品々や浜崎に関する資料等が展示されており、浜崎地区まち歩きの拠点となっています。
2棟の主屋、2棟の土蔵、離屋からなる、江戸時代後期に建てられた大型の町家で、この地方には珍しい「表屋造り」という建築方法が用いられています。
屋敷内には多種多様の縁起物、飾り物、港町らしい大漁旗などが飾られており、まるで取って置きのおもちゃ箱をひっくり返したような楽しさ。
確かな歴史に裏打ちされた品々は、どれ一つとっても見飽きる事がありません。
まるでどこかの住宅メーカーに登場する、マスコットキャラクターを彷彿させる内倉😊
このあと偶然お見掛けした「住吉神社」は、明日のブログで紹介。
浜崎新町上ノ丁筋にある「梅屋七兵衛旧宅」。代々浜崎町で北国問屋を営む家に生まれ、七兵衛の代には藩の武具方の用達も行っていました。旧宅は、七兵衛が晩年を過ごした隠居屋で本町筋から一筋奥まった場所に敷地を構え、門から長いアプローチを経て、庭園を抜け、主屋に至る造りとなっています。
堀内地区と共に萩観光の中心地でもある呉服町。一直線に続く長い塀に沿って、街歩きはもう少し続きます。
訪問日:2012年11月13日
🍀明日は萩市浜崎帳に鎮座される「住吉神社」の紹介です。
そちらは良いお天気みたいですね
こちらは昨夜半から雨です
花の水やりがさぼれたおかげで
片付けに専念できました😊
おはようございます!
今朝は朝から旭川市に遊びに来ています。
痕でゆっくり拝見させて頂きますね😚😚