和気町藤野に鎮座される「和気(わけ)神社」。御祭神は『鐸石別命・弟彦王命・佐波良神・伎波豆命・宿奈命・乎麻呂命・清麻呂命・広虫姫命』
由緒「第11代垂仁天皇の皇子 鐸石別命の曾孫である弟彦王は、神功皇后に反逆した忍熊王(おしくまおう)を和気関に滅ぼした功により、藤原県を与えられ土着した。その弟彦王を祖先とする和気氏は備前・美作両国に栄え、その12代後裔が和気清麻呂公・和気広虫姫である。」公式HPより
一の鳥居をまっすぐ、石段参道の先に、明治28年に造営された「随身門」。公式HPには、守護神像を左右に安置したとありますが、義姉曰く「随身さんはいなかったよ」。
「現存の建物は、明治18年より順次建替えられ、本殿、幣殿・釣殿・拝殿、随神門が一連の建造物となっています。門弟60余人を有し、関西一の大棟梁といわれた、宮大工:田淵勝義の手により造営されました。」公式HPより
拝殿前より神域を守護されるのは、清麻呂公の神使とされる「狛いのしし」一対。道鏡事件の逆恨みによる刺客から清麻呂公を救った300頭の猪の故事により、清麻呂公の随身とされました。
「狛いのしし」さんは、一の鳥居まえにもおいでになり、神域を守護されています。
阿形さんが異様に小さいのは、後ろに控える「この方」に気をとられていたせいで・・・😣 なぜここに布袋様が???
清麻呂公御真筆碑「我独り天地に慙(は)ず」。(世の中の人がどうあっても、自分は天地に恥じることなく正しい道をいく。)
本殿近くに鎮座される摂社:「天神社」
明治31年建立の「清麻呂公頌徳碑」。服部芙蓉翁の撰になる古詩で、書は江上景逸の揮毫。また、頌徳碑の建つ岩は「清麻呂公腰掛岩」ともいわれています。
境内から少し外れた一画に建立されていた文学碑。作者名の上に「母を忍びて」と刻まれているのはわかるのですが、内容はほぼ不明😔
2007年5月の参拝画像に、2021年5月に参拝してくれた姉の画像を混ぜて、和気神社の紹介は終わり。こういう合作も悪くないね😊
参拝日:2007年5月4日
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