奈良県桜井市の北東部。標高822mの貝ヶ平山近辺を源流とし、生駒山系と葛城山系の間を抜け、大阪平野に出て柏原市で石川と合流し、大阪湾に注ぐ一級水系の本流「大和川」。川の名前は大和国・大和盆地に由来します。
江戸時代半ばごろまでの古い大和川は、柏原市の北で長瀬川・楠根川・玉串川など幾筋にも分かれ、深野池(現:大東市周辺)・新開池(東大阪市の鴻池新田周辺)の両池に注ぎこんでいました。これら大和川の支流は土砂が堆積した天井川で、たびたび河内平野は氾濫の被害にあったと言います。河内平野の洪水防止や農業開発を目的として流路を西へ付け替える構想は、古くは奈良時代以前からあり、治水工事の歴史は古墳時代にまで遡ります。その辺りの話は非常に長くなるので、詳しい事は「大和川・治水の歴史」で検索してください。
大阪府柏原市安堂、国道25号線脇に「大和川治水記念公園」と名付けられた小さな緑地があります。そこに「大和川付替三百年記念碑」等と共に『中甚兵衛(なか じんべえ)』の銅像が建立されています。
何度も繰り返される大和川流域の洪水被害。その度ごとに田畑は流され、村人たちは生死に関わる災禍に見舞われてきました。やがて村々から川の付け替えを望む機運が起こります。今米村の庄屋『中甚兵衛』はそれを受けて立ち上がり、幕府に対して実に46年もの間、大和川付け替えや治水計画を請願し続け、最後は農民の身でありながら並み居る幕臣に交じって、付け替え工事を指揮しました。元禄17年1月(1704年2月)に工事に着手し、八か月後の宝永元年9月(1704年10月)に工事は完成。築留の地から北へ流れていた旧大和川は、現在のように西へ付け替えられました。
文字にすると僅か数行ですが、そこに至るまでに要した年数を思う時、どれほどの困難があった事か想像に難くありません。今、こうして大和川を見下ろす位置に立ち、彼方を指差す『中甚兵衛』は、まっこと!男前。
「中 甚兵衛、付替え時66歳。翌年剃髪して乗久を名乗り、享保15年92歳の天寿を全うして永遠の眠りにつきました。」市HPより
記念公園の一画にあったモニュメント石には、【流れは未来に続く 大和川】と刻まれています。また公園内には先人の功績を讃えた碑が幾つか建立されています。生憎とそれらを読み解く才はないので、内容はネットや資料で調べた事を基にしました。
昭和29年(1954)に大阪府によって建てられた「大和川付替二百五十周年記念碑」 当時の大阪府知事であった『赤間文三氏』の筆によるもので「先堅の功業を讃えるにあたり嘱を承けてこの文を記す次第である」と刻まれています。
「長瀬此利」と刻まれた「深瀬郡長顕彰碑」。『瀬和直氏』は丹北郡外五郡の郡長在任中、大和川の治水に尽力した人物だそうです。
「久保田翁寿碑」。高安郡万願寺村に住んでいた『久保田伝次郎』が、在任中に久宝寺村の『高田仁兵衛』と共に樋を修復し、六郷(旧中河内地区)の治水を計り、農産の増収に努めた旨が刻まれています。
「健野府知事顕彰碑」 明治18年(1885)の淀川・明治大洪水の際、復旧に尽力し水防に功績があったことが記されています。
『畑中翁碑』 大和川付替え当時、代官:万年長十郎に従った『畑中六右衛門』の功績を讃えたもので明治39年(1906)、孫にあたる畑中好太郎氏によって建立されました。
「1703年代の大和川流域の図」の傍らに「かふちの大橋を独りゆく娘子(をとめ)を見る歌一首 并せて短歌 高橋虫麻呂(たかはし の むしまろ)」と題された歌碑が建立されています。
【しなでる 片足羽川の さ丹塗りの 大橋の上へゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣(きぬ)着て ただ独り い渡らす子は 若草の 夫かあるらむ 橿の実の 独りか寝(ぬ)らむ 問はまくの 欲しき我妹(わぎも)が 家の知らなく】
(山藍を摺り染めにした衣に、紅(くれない)染めの裳の裾を引いた乙女が一人、片足羽川にかけられた丹塗りの大橋の上を渡って行く。彼女は独り身なのか、それとも夫がいるのだろうか。できれば聞いてみたいものだ。)
【大橋の 頭(つめ)に家あらば ま悲しく 独りゆく子に 宿貸さましを】
(この大橋の橋詰に私の家があれば、ひとり寂しく歩く乙女に宿を貸してあげられるのに)
柏原市いろは絵歌留多、子供たちには難しい古の物語もこんな風に紹介されれば取っつきやすいかもしれませんね。
訪問日:2015年10月10日
大丈夫ですか!!
体が痛みを訴える時は、体調以外にも悪い所がある時。
きちんと病院に行かれたようなのでまずは一安心ですが
決して疎かにせずに、痛みに向き合ってくださいね!!
甚兵衛殿と比べなくても
あなたはたった一人の大切な存在なのですから
もっとご自身を甘やかせてあげてください。
コメントを頂けたという事は少しは回復されたのでしょうが
くれぐれも、本当にくれぐれもお大事にしてくださいね!!!
その胆力に、ただただ敬意を感じます。
私は自分ごとですが、願いがありまして、
毎年今年こそはと思い、年末には来年こそはと願うのですが、
一年一年、心が削られていくようです。
それなのに、46年。
すごいことですよ、この精神力は。
しかも相手は幕府ですからね。
今と格段に違う、身分社会の壁を思うと・・・。
先日胃の激痛で救急車を呼んだばかりの身ですが、
この方に比べたらお恥ずかしい限りです。
今は、回転寿司屋での愚劣な蛮行やら、
徴用工問題への弱腰ぶりだの、
外相がG20より国会優先というガラパゴス政治だの、
骨がどこにあるのかと聞きたくなる話が日本で多いですが、
もう一度こういう精神が日本に蘇ってほしいと思いました。
ちょっと脱線しましたが、
どうぞ良い日をお過ごしくださいね🌸