おとなりのおじさんが亡くなられた。
おじさんはかぞえで71歳。
わたしたちがここに暮らすようになって、はじめてできた友だち、だったと思う。
おじさんの話はおもしろおかった。
むかしこのあたりで共同で豚を飼育していて、正月にはつぶして酒盛りしたこと。
むかしはうちの建ってるあたりは今みたいな雑木林ではなく
一面畑でここから木曽川が見えたとか。
このあたりの植物も造園屋さんだったからとても詳しく
この木は水に強くて腐らん、この木は育つのが早くて
この木はしいたけのホダ木によくて、薪にもよくて。
きのこもどっかからひょいっと採ってきてくれた。
むかしはマツタケも採れたんだって。
うちのお父ちゃんと一緒に枯れた栗の木を切って
70とは思えない動きでチェーンソーを使っていたのは
昨年のことだった。
歳若のわたしたちよりもよく作業をしておられた。
昨年からおじさんの休耕田の一部を借りて畑をしている。
大根の蒔き方もこんなんじゃだめだよと教えられた。
うちが畑にしやすいように手伝ってくれた。
こうやって書いてても涙がじわじわしてくる。
わたしたちを「実の息子、娘だとおもってる」って言ってくれた。
子どもにはお年玉、おこづかいをくれた。
ここの親だとわたしたちも思っている。
おじさんから借りた畑でもうちょっとたくさん野菜を作ろうとおもってる。
おじさんがたくさん残した里芋を種芋にして、里芋も作ってみようと思ってる。
お亡くなりになったのはそんな親しい方だったんですね。
大切な方を見送るのは本当に辛いことですね。
でもやっぱりおじさんのためにも
感謝して見送ってあげなくちゃいけないんですよね。
きっと畑にも野菜にもおじさんの魂が生きてると思います。
そうなのね、おじさんの作った野菜はまだまだ成長を続けてる。生きている。
畑のそこここに耕すおじさんの姿が見えるようです。
うう、でもさみしい。
きてしまいました。
世知辛い世の中に、おじさんも隣人と深い絆をもてて
とっても嬉しかったと思いますよ。
おじさんの残された里芋が来年芽をだしてくれると
よいですね。
71歳まだまだお若いのに・・・。
今はかなしくてたまらないですが
いつか笑っておじさんの事を思い出せる事が
出来るよう、おじさんのご冥福を
心からお祈り致します。
仕事場から毎日のようにおじさんの姿を見ていたので
目で探してしまいます。
おじさんの代わりにはなれないけれど
同じように畑や里山の作業をしていくのが
お礼返しとなるのかなと思っています。
しかし農作業のへたっぴなうちのやること。
今度はご近所の奥さま(もちろんかなり年上)たちにご指導をたまわらねば。
もう春の種まきの季節ですもんね。