チマチマ毎日

木工屋と陶器屋の夫婦が作るセルフビルドの家と、まいにちの生活、道具のあれやこれや。

ひとつ、おわりました

2016年08月05日 | 日々のつれづれ

 

 2011年の震災があった年から5年のあいだ毎年

岐阜県加子母といううつくしい村で、福島を中心とした北関東にすむ母子さんたちのための

保養合宿がひらかれていました。

加子母近辺の採れたてのおいしい野菜をいっぱい食べてもらって

川で遊び、土に触れて、胸にいっぱい風をいれて、裸足で走ってあそぶ。

おかあさんたちは外に洗濯物をたくさん干して風にあてる、

水道の水でみそ汁をつくる。

そんな日常を加子母で送ってもらうための保養合宿。

わたしは二回目から今回の七回目までの事務局をやっていました。

 

      

 

 

今年は7月14日から20日まででした。

季節もてつだって、トマト、ジャガイモ、なす、ズッキーニ、きゅうりなどの夏野菜が

いーっぱい届けられて、毎日野菜づくしのごはんがつづく。すごい量です。

 

        

 

                 

 重い米をよっこいせと運んでくれるひと、少ない年金ぐらしだでこのくらいしか出せん〜と

お金を包んでくれるひと、忙しい中採れたてのとうもろこしをもいで持ってきて

茹でてくれるひと、掃除をめいっぱいやってくれるひと、

自分も子どものことで忙しいのに合宿の準備やなんやをひきうけるひと、

紙芝居を毎年やってくれるひと、自作のおやつをいっぱい届けてくれるひと、

ゴミを自宅に持って帰るひと、遠くから手伝いに通ってくれるひと、

めいっぱい子どもと遊んで自分がクタクタになっちゃうひと、

仕事が終わってから野菜を夜になって届けてくれるひと、

遠くから酵母パンを送ってくれるひと、この合宿のチラシを無料で新聞折り込みしてくれるひと、

支援物資をいっぱい預かってくれるひと、洗濯物をいっぱいやってきてくれるひと。。。

 

   

 

すべての運営が手弁当で行われていたから、いろんなかたちでいろんなひとがたずさわり

運営資金も寄付金のみでした。

 

わたしはこの7年間びっくりしどおしでした。

みんなこんなに自分以外のことで動いて、時間をさいて、物資を届けてくれる。

いままで自分と家族のことだけに終始していたわたしだったから。

そしてわたし自身がその援助を受けた気持ちになって、それを受けとってきました。

 

だからもらいっぱなしの7年間でした。

 

ここにお礼きもちを言いたいです。

本当にありがとうございました。

 

 

今年今回でこの合宿はおわります。

でも保養合宿の必要がなくなったからやめるわけじゃない。

 

問題はなにも解決していないのに、風化されてなかったことになりつつある。

 

   

 

すべての子どもたちは、自分の子ども。みんなだいじ。

そう思って、できることをやっていきたいなと考えてます。

 

 

 

 

 

 

 



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