地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

高津住男さん

2010年08月08日 | ひとりごと
 


脳出血で倒れた妻・真屋順子さんを支えた夫・高津住男さんが亡くなられた

 今日の新聞各紙の訃報欄に、高津住男さんの死が掲載されている。「7月31日、肝臓ガンで死去。葬儀は行わない。(中略)00年に脳出血で倒れた真屋順子さんを介護し、共著『ありのまま』や、夫婦での講演で経験を伝えた」とある。
 今日届けられた雑誌・「季刊 上方芸能」の「編集前期」で木津川計さんは、「団塊のヒーロー・つかこうへいが62歳で逝った」と書き出しいる。「男子の平均寿命79歳からすると、確かに、少し早い。が、革命的人物は多く夭逝し、夭逝させられるのである」と続けている。また「優れた業績を挙げた人も若死にする」等と書き、司馬遼太郎や梅棹忠夫の死について書いている。
 私のような年齢になると、結婚式への案内は皆無となり、死亡通知ばかりが届く。それだけに、人の死について敏感になる。
 今日訃報に接した高津住男さんは、妻の真屋さんが脳出血で倒れた後の看病と、二人で力を合わせてのリハビリテーションにより、真屋さんは車椅子ながら現在は舞台に復帰しているという。そのいきさつは、お二人のご著書『ありのまま』に詳しい。
 そのご著書『ありのまま』に、「病気は“自分試し”」等の元気をもらっただけに、高津住男さんの死の報にショックを受けている。何より辛いのは、真屋さんであろうが・・・。ともあれ、心からのご冥福をお祈りする。
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偶然の巡り会い

2010年08月08日 | 身辺雑記
 


友人と「アマンディア」で待ち合わせをしていたら、突然共通の友人が現れた

 こういうこともあるものだと、少しだけ不思議な気持ちになった。今日のお昼に、久しぶりに友人とランチを約束した。待ち合わせの場所は、過日その友人と会った時と同じ「カフェ アマンディア」とした。
 運転、とりわけバック駐車に難点のある私としては、他の車が来ないうちにと、少し早めに到着した。バックで入ろうとすると、後ろで待っている車があり、少しだけ焦った。
 と同時に、その車のエンブレムを見て、友人の車だった。私が駐車場へ駐めると、続いて二台の車が入ってきて駐めた。その一台から降りてきたのは、ナント二人の共通の友人だった。驚きの一語だ。
 「事前に連絡し合っていたのかな」と思いながら、お店に入った。聞くと、直前に出会ったとのことだった。こんなこともあるのかと、少しだけ不思議な気分だ。若い男女がこのような偶然の巡り会いをすると、それはたちまち恋に落ちることは間違いない。
 ともあれ、三人で素敵な語らいの時間を過ごした。心許す友との語らいは、心身ともにリフレッシュさせてくれる。感謝、感謝だ。
 そんな今日のランチは、少し趣向を変えて、フレンチトースト&コーヒーとした。立秋を過ぎて、少しだけ暑さが弱まったのかなと感じたが、それは安静となっている気持ちのせいだろうかとも思った。
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原爆詩

2010年08月08日 | 映画・テレビ
 


NHKテレビ「吉永小百合 被爆65年の広島・長崎」、様々な記憶が蘇った

 もう恒例となったが、NHKが吉永小百合の原爆詩の朗読会とその周辺を取り上げて、何年かに一度番組を制作し放映している。今年は8月6日に、「吉永小百合 被爆65年の広島・長崎」と題して放映された。その夜、私はビアガーデンを楽しんだので、録画しておいて昨日観た。

 この吉永小百合の原爆詩の朗読を、岡山で開催された「会」で生で聞いたことがある。岡山コープを中心とした実行委員会主催の「県民平和のつどい」、会場は農業会館だった。

 その企画の中心に、自らが被爆者であったKさんがいた。熱心な彼女の誘いで、その企画は実現した。そして、そのことはNHKテレビの一昨日と同じ企画の番組の中で、取り上げられた。Kさんの吉永さんへの手紙や吉永さんがKさんを訪ねるシーン等が番組で流れた。

 「朗読会」の当日、私はご縁をいただいて、農業会館の楽屋に吉永さんを訪ねてご挨拶する機会を得た。しかし、その記念写真をお願いするのを緊張のあまりに失念した。我が生涯で、幾つかある残念なことの一つだ。

 それにしても、番組の朗読を含めて、吉永小百合はとても生き生きとして輝いていた。今でこそ「原爆の悲惨さ」を取り上げた詩を朗読することを誰も非難したりもしないだろうが、彼女が原爆詩の朗読を始めた20数年前には、「アイドルの吉永小百合がなんてことを、許されない」等の批判や困難に直面したであろうことは、想像に難くない。

 しかし、今貫き通している人間・吉永小百合に拍手する。彼女も番組の中で、「俳優である前に、人間である」と語っている。録画した番組を観た後、今度は「第二楽章」のCDで、また改めて彼女の原爆詩の朗読を聞いた。岡山での朗読の様子が、私の脳裏に様々な記憶が蘇った。もう一度、生で聞きたいと思った。

 
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