高齢者の所在不明者の多さに驚くばかり、孤独な社会の転換を
いゃー生きているといろんなことに出会う。「1810年(文化7年)生まれの「200歳」の男性の戸籍が残っている」との記事に接した。それ以前には、江戸時代の1824(文政7)年生まれで、186歳の男性が、山口で戸籍上は生存しているとの記事に驚いたばかりだ。。
少し前には、「全国で100歳以上の所在不明者が相次いでいる問題で、山口地方法務局によると、同市を含め県内で戸籍をコンピューター管理している17市町では、100歳以上は9,414人に上るという」という記事にも接した。
私自身公務の仕事をしていたこともあり、決して無謬であるとは思っていなかったが、こうした事態を把握していた職員達は、どんな思いで仕事をしていたのだろうかと考えたりもしている。
それにしても、住民票がありながら把握できていない高齢者の多さに驚くばかりだが、その一方では年間3万人を超える孤独死をしている「無縁社会」であり、ある意味では当然と思ったりもする。
戸籍が残っているだけなら抹消すればすむ。問題は今朝の山陽新聞に載っている、「100歳以上だけでも、未だ290人いる所在不明者」だ。
民生委員のみなさんがお一人暮らしのご高齢の方を訪問したり、ふれあい給食をお届けしたりするなどして、日常的なふれあいを強めておられる。そうした中でも、所在不明の方が結構多くおられることを憂う。
その一方では、親がどこにいるか知らないという家庭も少なくなく現出している。家庭があれば大丈夫ということは「神話」になっていた。その上、年金受給が絡むから、事態はいっそう難しくなる。
いつも思うのだが、年を重ねても、貧しくとも安心して家庭・地域で過ごしていける社会であって欲しいと願うものだ。今回の「所在不明者」は、様々なことを惹起している。みんなで、考えてみなければならない課題だと考える。