「本は借りて読むもの、読まない本は捨てる勇気を」、「声」欄からメッセージ
今日は官庁が「御用始め」なので、公民館も当然今日からと思って、昨年末に借りた本を返しに行った。すると、館の入り口には「閉館」の札がかけられてた。
私は定年退職後、公民館で三年間働かせてただいた。一昨年の三月に退任した。それからまだ二年も経っていない。公民館の閉館は、本庁などより一日早い28日であったことは記憶しているが、4日が休館とはまるで記憶にない。認知症に一歩踏み込んだかと不安にもなった。
さて、私は現役時代は全て本は購入していたが、昨年からは公民館経由で図書館から借りている。そんな本との付き合いについて、今朝の朝日新聞は「声」欄は「我が家の仕分け」がテーマの投書から、二つが私の目に止まった。
一つは、パートナーから「国の事業仕分けを見て、『本代が多すぎます』」とクレームをつけられた方が、「一冊一千円以上の高い本はあらかじめ相談する、文庫、新書にかぎり週三冊までは買ってもよい、どうしても読みたい本は図書館を活用することで落ち着いた」とのことだ。
この投書の主は書いている。「それでも私の読書欲は十分に満たされている。また、手狭な書斎が本で埋まるのも防止され、それなりに正しい道筋を示した」と。私も同感である。本を買うことを極力減らし、図書館を活用することで、書斎に負担がかからせないのはとても嬉しいし、何より貧しい身であり図書費の捻出に苦労しなくてよくなった。
もう一つの投書は、「パートナーが8本ある本棚から仕分けをしだした。独身時代からこつこつと購入してきた世界文学全集を地域の子ども会の廃品回収に出すと宣言した」とのことだ。そのことを実行して、「身軽になろうよ」と言って視線を私の腹回りに移した」と書かれている。
私も定年退職した後に、創刊以来定期購読していた雑誌の「フォーカス」や「フライデー」を含めて、各種の雑誌や研究発表などの冊子を中心に、トラック二台分は廃棄し、その他しばしばリサイクルセンターに廃棄処分に通った。
それでも、我が本棚にはもの凄い量の本が並んでいる。絶対に読まないであろう本が、それこそ山ほどある。それでも捨てきれないでいる。本を借りて読むことまでは進んだが、まだ廃棄する勇気がない。私の死後は邪魔になるだけの私の蔵書であり、いつか廃棄処分をせねばと、改めて考えさせられた投書であった。