ナント二ヶ月半ぶりの柿山、暑さ厳しい中二時間下草刈りに汗を流した
今日やっと柿山に上ることができた。その前に行ったのは6月28日だから、二ヶ月半ぶりとなる。恥ずかしい限りだ。私達の柿育てをご指導いただいているKさんには、いつも「もっと柿育てに愛情を」と言われ続けているのにだ。 柿山に上るのに、何故こんなに間隔が開いたのか考えてみた。7月に入院・手術をし、8月の厳しい酷暑に絶えかねて、気にはなりつつも柿山に上れないでいたのが原因だ。
本来は7月末の第三回目の予防の際に、下草刈りもする予定としていた。ところが、入院との兼ね合いで予防作業をお許しをいただき、「沢田の柿育て隊」の他のメンバーの方々にお願いした。そして、下草は伸び放題だろうと、いささか心配の日々を過ごしてきた。
さて、今朝は朝8時に柿山に上り10時過ぎまで、約2時間オーナー木の下草を刈った。この間、我が入院を案じて、Kさんがご厚意で下草を刈っていただいていたので、そんなには伸びていなかった。感謝、感謝だ。
それにしても、今日も広がる青空の下の作業であり、汗が流れタオルはすぐにビショビショとなる。下草の多くは今咲き誇る露草で、さながらブルーシートが敷かれているみたいだ。
ともあれ下草刈りを終えて、オーナー木を見ると2本はほとんど柿がなっていない。友人との共同木は、それなりに実っている。ま、何とか食べ量だけは確保できる感じだ。
昨年までのたくさんのならせ過ぎ、そして12月を過ぎても収穫せず、遅くまで柿を枝にならせたままであったツケで、今年は何とも不作だ。それでも、鈴なりの枝があったりもする。また、上を向いた柿を摘果していないため、日焼けもしている。ただ救われるのは、今年は昨年と比較して自然落下が少ないことだ。
さて、例年であれば10月20日頃から、共同選果場での沢田の柿の販売が始まる。つまり、その頃から収穫が始まっていくので、もう1ヶ月程度となった。そして、「沢田の柿祭り」は第三日曜日なので、今年は11月20日(日)に開催される。
やはり収穫が近づくと、ワクワクしてくる。台風の到来等で柿が落ちることなく、今年も美味しい沢田の柿が食べられますようにと、心から願いつつ柿山を後にした。
頑張ったご褒美の和菓子を楽しむ広榮堂で、お野菜の育て方を伝授していただいた
汗を流して、柿山で作業をしたご褒美は、このところは広榮堂でのコーヒー&和菓子だ。
その広榮堂で偶然にも、東公民館「あかれんがクラブ」のメンバーのお一人とお会いした。その方は、ずいぶんと広い畑での「お野菜づくり」を頑張っておられる方だ。
今日は、「秋植えのお野菜」について、ずいぶんと教えていただいた。嬉しかった。難しいのは、教えてもらったからと言って、すぐに実行できるものではないことだ。それでも、そろそろ何を育てるのか、決めなければと思ったりもする。
それにしても広榮堂の店内は、今月12日の「中秋の名月」モードとなっていた。そう言えば、今朝の山陽新聞に後楽園の下段の駐車場が、先の台風で使用不能となり、「中秋の名月」の日は、県庁や県立図書館の駐車場が使用できるとのことだ。
後楽園で「中秋の名月」を楽しんだのは、もうずいぶんと前だ。久しぶりに、身を置きたいと思ったりもするのだが・・・。
過日NHKアーカイブスでも放映されたが、城山三郎の妻・容子さんへの愛に感動
歩け 歩け
このごろ 我が家では
いろんな物が歩き出す
メモが歩く
めがねが歩く
鍵が歩く
現行まで歩く
約束も歩く
言ったことも
言われたことも
歩き出す
(中略)
たいていは
忘れたころ戻ってくるが
そのまま天国に行って
待っているやつもいる
どうせ あちらへは
手ぶらで行く
みんな気ままに
天に向かって
歩け 歩け
城山三郎著『どうせあちらへは手ぶらで行く』(新潮社)を読んだ。「『そうか、もう君はいないのか』日録」との副題がついている。城山三郎の遺稿となった愛妻・容子さんとの回想録である著書『そうか、もう君はいないのか』ベースとなっている日録だ。
氏が長年愛用の「文化手帳」に、容子さんが病魔に冒されて鬼籍に入る前後の日々をメモしたものが公になったもので、愛妻・容子さんへの想いが溢れていている。
過日NHKアーカイブスで放映された、この城山三郎著の『そうか、もう君はいないのか』の内容を元に構成された番組を見ていただけに、感動はひときわだった。
そして同時に、この日録には作家の喜びもメモされていて、心揺さぶられたした。「『気張る男』4回目を書き終える。小説執筆もここまでくれば、リズムがつき、書いていて楽しくなる。これ以上の生き甲斐はない。よい仕事を選んだものだと満足感も新たになる」、と書いている。
私も仕事は大好きであり、そんな楽しかった仕事の思い出が、しばし蘇ったりもした。
ところでそんな城山三郎も、物忘れにもずいぶんと悩んでいたようだ。本の題名となった詩は、そのことを綴っている。私も次第にその世界に歩みを進めている。