横路孝弘氏の訃報に触れ、自分の人生にわずかながらだが、共に歩んだ歴史を振り返り、目頭が熱くなった。
横路氏とは何度か面識があり、編集記者をしていた頃、横路知事にインタビューしたり、ほんの一時期ではあるが代議士秘書をしていたころにも国政選挙の応援回りをしていた横路氏と談笑させていただいた。誰に対しても分け隔てなく、真剣に話をしてくれた真面目で気さくな人柄がしのばれる。
何より、私が編集記者の道を選んだ一つのきっかけが、社会党のプリンスといわれた時代の横路氏だった。高校生の頃、若きプリンスが、72年の予算員会で沖縄返還をめぐる外務省極秘電信を暴露した、いわゆる西山事件だった。当時、国民の知る権利がクローズアップされ、高校の進路調査で将来目指す職業として、ふと当時の話題が頭をかすめ何気なく「新聞記者」と書いたことがはじまりだった。正直、真剣に考えたわけではなく、単なる思いつきだったのだが、結果的にそっちの道に進むことになった。大げさではないが、横路氏のあの質問がニュースにならなければ、私は違う人生を送ったかもしれない。だから、そんなきっかけを与えてくれた横路氏に取材したり、晩年の横路氏と談笑したことは、当時は気にも留めなかったが、今にして思えばどこか運命めいたものを感じる。
永い間、本当にごくろうさまでした。ご冥福をお祈りします。
合掌