日頃は、自然の力の偉大さを感じつつおりました。
一定の酸素濃度を保ち、
そして、動植物が生きていけるだけの
栄養を光合成によって、与えてくれる。
シャーマニズムの原点はこんなところにあるのではないかと、思うのです。
自然に対する信仰、畏敬、信頼。
しかし、今回の地震はその観念を見事に裏切りました。
あまりに残酷で、膝が抜けおちるような脱力感を覚えます。
自然に、なぜと問いかけるのは無意味なのでしょうか。
そして、克服するなど思うこと自体が、
無謀なのでしょうか。
某大臣が淀川のスーパー堤防に対して、数百年に一度の
災害に税金を使うのは無駄と断じたの新聞記事を読んで、
それに同感であった、自分を悔います。
やはり、人間は自然の猛威に立ち向かわなくては
進歩はないのです。
人間の出来ることは僅かですが、それでも自然の力を
征服して、少しでも安全な環境を作っていくしかないと
思います。
テレビで、東北の人達が愚痴を言わずに、堪えている姿
に感動しました。
それに比べれば、東電の計画停電での混乱は
小さなことです。東京人は東電に文句を言う前に
少しくらいは堪えるても良いのでは。
神戸の大震災の時は、電車の直通が途絶え
電車、バス、徒歩、自転車と使い分けて
通勤をしました。
明日からも、電車の混むといっても
動いていることのありがたさを感じます。
一刻も早く、被災者が生きる気力をもち、そして生活できる
環境が整備できることを祈っています。