tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

文化の日、日本の伝統文化を大事に

2022年11月03日 16時47分50秒 | 文化社会
11月3日「文化の日」は明治節の昔から「晴れの特異日」のようです。今日も朝から良く晴れて真っ青な空に太陽の素敵な秋晴れです。

ところが朝食の頃から北朝鮮からのミサイル騒ぎで大変です。一時間おきに3発のミサイルが発射され、その内の1発はICBMだそうで、どれがそうかは解りませんが、最初の1発は新潟、山形、宮城の3県の上を飛んだというJ・アラートが出たようです。

後から日本上空に来る前に「消失」したとのことで、日本の上空には来なかったようです。消失というのは忍者のようで、日本まで行かないように自爆させたのでしょうか。

折角の文化の日を朝からの騒ぎとは残念なことですが、これも「争いの文化」が主流の今の世界では致し方ないという事になるのでしょう。

何年か前の文化の日に「競いの文化」と「争いの文化」を書きましたが、このブログは、日本の伝統文化の根源は、縄文時代の争いのない1万余年の「平和共存」の文化で、基本的に「争いの文化」は持っていなかったと考えています。

「争いの文化」は弥生時代以降の大陸の文明「青銅器・鉄器」の導入、そしてそれに付随して入ってきた武器と戦争という文化で、つまりは外来の文化を学んだ結果の「文化の汚染」だったのだろうという見方です。

この外来の「争いの文化」は多分に刺激的で、日本はそれ以来「倭国大乱」に始まり、殆ど内戦の時代を過ごし、明治以降は1945年迄、外国との戦争に明け暮れました。

然しその結果の第二次世界大戦の敗戦をきっかけに「戦争を放棄」した「平和憲法」を持つ国となり、経済社会の大きな発展を経験し、日本の伝統文化である「競いの文化」に、まさに本卦返りして、精神的にも社会的にも極めて居心地のいい、住みやすい国を作ってきたのです。

この日本の、多様な人々が平和共存し、それぞれの文明の発展を競う事はあっても、争そうことはないという伝統文化は、縄文1万有余年の長きに亘る日本の自然環境に大きく関わるような気がしてきています。

氷河期が終わって海面が上がり日本列島が大陸と切り離されてから、自分達だけしかいない世界、自然災害はあるが、豊かな実りも齎すモンスーン地帯という環境の中で、自然と共存し、自分達も自然の一部と考えながら、自然を育てることが豊かさにつながる事を学んだ、その長い期間が、日本文化の原型になったのではないかと感じるのです。

然しユーラシア大陸全体を考えますと、ホモサピエンスが6万年前アフリカを出て、ユーラシア大陸から北米を通り南米南端まで広がった際、ヨーロッパには先住民であるネアンデルタール人(原人)が、居ました。

ネアンデルタール人は2万年ほど前に絶滅し、ヨーロッパはホモサピエンスの世界になりました、今年のノーベル賞受賞者にホモサピエンスとネアンデルタール人との交雑の研究者がいましたが、先住民との間に何があったのかは、長くタブーのようでした。

ユーラシア大陸東部には矢張り旧人のデニソワ人がいたのですが、今は絶滅しています。

同じ、ホモサピエンスどうしでも、ヨーロッパ人が、アメリカ大陸を発見してからの歴史を見れば、先住民と、より文明度の高い征服者の関係はおおよそ想像されるところです。

幸い、日本列島では、その特殊な環境条件で、「平和共存」、「争い」でない「競い」の文化が生まれたとすれば、これは人類の今後のために大切にしなければならないものではないかと考えるところです。

イタリア、不思議なほどに柔軟な国

2022年10月26日 14時57分49秒 | 文化社会
イタリアで右派連立政権が発足しました。
首相になったジョルジャ・メローニさんは、マスコミによれば、イタリア初の女性首相という事で、イタリアというお国柄からすれば、「えぇ、初めての!」と思われる方もおられるのではないかといった感じです。

そのイタリアでマスコミの前評判と言えばメローニさんは「極右」で、第二次大戦でイタリアを率いたムッソリーニのファシスト政権の流れをくむ「イタリアの同胞」党の党首です。

掲げる主張は「自国優先主義」、極右と極左は通じるところもありで、ウクライナ侵攻問題のある中で、EUとの関係、プーチンのロシアとの関係はどうなるのか心配されているなどと言われていたようです。

連立の相手は矢張り右派の「イタリアの力」党でかつてはベルルスコー二首相を出しています。

ファシストはナチスよりも問題があるとか、自国優先という考え方は、何かトランプさんに似たものを連想そうさせるなどとロシアのウクライナ侵攻のさなかでEUの結束に問題が出ることも懸念されるなどの意見もあったようです。

所が蓋を開けてみますと、こうした見方は全くの杞憂であったようで、EUに対してイタリアの意見を強く反映すると主張しつつも「EUはわれら共通に家であり、イタリアはその一員である」と明言、西側の一員としてウクライナ支援は当然」という立場を鮮明にしたようです。

EUも世界も安心という事になったようですが、イタリアというのは不思議な柔軟性を持った国で、嘗ては共産主義者であるベルリンゲルが「ユーロコミュニズム」を唱え、この思想は一世を風靡した感すらありました。

ベルリンゲルはイタリア共産党の書記長を10年以上勤め、共産主義者でありながら、共産主義を否定するキリスト教民主主義と妥協し「歴史的妥協政策」と言われながら連立政権を生むと言った柔軟性を示しています。

その親しみやすい風貌と柔軟な思想の展開で、イタリアばかりか世界の人気を集め、今に至る「ユーロコミュニズム」は世界にその記憶をとどめる言葉になっています。

何故イタリアで、こうした柔軟な、世の中を驚かすような、斬新、特異な思想が生まれるのかはわかりませんが、こうした柔軟性が、極めて教条的な極右の思想の中で生まれて来るというのはその培養地としての、社会的伝統・文化的背景といった何かがイタリアという国、風土にあるのかもしれません。

考えてみれば、イタリアは、ルネッサンス発祥の地でありますし、新しいものでも、古いものでも、教条的なものでもリベラルなものでも、それぞれに何か良い所があれば組み合わせてみようという超柔軟的な考え方が存在しうるところなのかも知れません。

時と場合によるのかもしれませんが、リーダーにはブレない事も必要ですが、時に柔軟性が必要なこともあると改めて考えさせられたところです。

今日は敬老の日です

2022年09月19日 16時20分22秒 | 文化社会
老人が本当に敬われているかどうかはケースバイケースでしょうけれども、「敬老の日」が国民の祝祭日になっている国は世界でもあまりないようです。

私が高齢者だからという訳ではありませんが、高齢者を敬うという気持ちを人間として一般的に持つことは大変結構なことではないかと思います。

ネットで敬老の日のところを見ると大抵「孫がおじいさん、おばあさんに贈り物をしたり似顔絵をかいあげたりする」などというほお笑ましい事が書いてあります。

おじいさん、おばあさんにしてみれば、孫は無条件でかわいいと言われますようですから、まさにこの相思相愛の仲は極めて自然に、極めて成り立ちやすい物ではないでしょうか。

時に新聞の投書欄に出る戦時中の思いででも「あの時おじいさんが戦火の中を生き抜いてくれなければ、父も私もこの世にいなかったのだと考てしまいます」などという表現があったりしますが、考えてみれば、ご先祖様がいなければ「私」はいないのです。

「私」だけではなく、「私の大事な人」も、ご先祖様がいてからの存在です。人皆そうですから、人類社会には祖先崇拝があり、それは敬神崇祖となって、自然万物崇拝とともに日本の民間信仰の二本の柱になっているのでしょう。

そうした意味では、素直な人間の自然として、敬老という気持ちは誰しも持つのでしょう。もちろん、まさに現役世代でしゃにむに働いている人たちに比べれば、今はバリバリの現役は下りていますが、何らかの形で社会のために貢献している、子や孫のためにより良い社会をと考えている世代、「ご苦労さま」も含めて感謝の念を持つのは自然でしょう。

ところで、これが現在の「敬老の日」だとすれば、近い将来、人生100年時代になります。
その時日本人は。60歳、65歳で現役を降りるでしょうか。
最近の傾向を見ますと、働けるうちは今の仕事を続けたいという人が結構多く、70歳、75歳はまだ現役という人が多くなりそうな気配です。

今が一世代が働いて高齢者を支えるという時代であれば、これからは、一世代半近くが働いて高齢者(何歳からでしょう)を支えるという事になるのではないでしょうか。(年金はまた難題です。厚労省の文化的に合理的な知恵が問われますね)


「敬老の日」のプレゼントは、そうなると孫からではなく、ひ孫からという事になるのでしょうか、それとも今や現役の孫からも、もっと手厚いプレセントが来るのでしょうか。

トランプ現象は何処まで行くのか

2022年08月13日 22時45分43秒 | 文化社会
少し難しすぎる問題を意識してしまって、一応書き出したのですが、今回は問題提起だけになりそうです。
最初に言訳からで、相済みません。

トランプさんとアメリカという問題です。
トランプさんがホワイトハウスから機密文書を自宅に持ち出していたという事でFBIが強制捜査に入り、司法省も認めたということです。

大統領在任中からトランプさんは,証拠もないのにマスコミ報道を「フェイク」と言ったり、国連の決めたことを平気で破ったり、最後には、大衆に国会議事堂の占拠を指示したり、独裁者でなければやらないようなことをやっていたように思います。

今回の機密文書の問題も同列でしょう。
然しそれなのにです、トランプさんは中間選挙で民主党を脅かすような発言をし、マスコミ報道では大勢の人たちが熱狂的にトランプ支持を叫んでいたりします。

何か、アメリカ社会の分断と言われた問題が、未だ続いているような、自由と民主主義の見本であるアメリカ社会らしからぬ雰囲気が感じられるのです。

一度自由と民主主義を掲げ基本的にリベラな人間の在り方を知った社会では、独裁は徹底して嫌われ、国民は命をかけてさえ、自由と民主主義を守ろうとするのではないでしょうか。

それは、この所の香港、ミャンマー、ウクライナそして台湾などに典型的に見られる現象です。ロシアでさえも、ウクライナ侵攻をきっかけに主要都市では反対のデモが起き、その弾圧もあって、300万の若者が国内に脱出していると聞きます。

これが今日の人類社会に共通するものではないかと思っているのですが、なぜかアメリカの場合は、世界で最も進んだ自由と民主主義の当たり前の社会であり、文化的には典型的なリベラルな社会と思われているのですが。そこでの「トランプ現象」です。

トランプさんのこれまでの言動から考えれば、もしトランプ政権が長期化すれば、必然的に独裁色が強くなるような傾向の強まる事が懸念されます。

なぜアメリカで、トランプさんの一挙手,一投足に、大衆が熱狂的に反応するような現象が起きるのでしょうか。ことは現実にアメリカで起きているのです。自由と地民主主義の最先端の国で、世界で最もリベラルな文化の国で、こういう現象が起きることがどうにも理解できないという気がするのです。

中間選挙に向けて、この疑問が何か深まりそうな気がしているのです。(改めて問題提起だけですみません)

最近感じた2つの素朴な疑問

2022年08月06日 14時39分46秒 | 文化社会
マスコミ情報だけからで恐縮ですが、最近報道される2つのテーマについて、何かおかしいなと疑問を感じていることがあるので、今回はそれを取り上げてみました。

一つは、安倍元総理に関するもので、弔辞をはじめ業績賞賛などの文章や発言の中に「日本で最も長く首相を務めた」という表現が大変多くみられることです。

自民党の総裁任期は連続二期と決められていましたが、このルールを大切にし、守った人の場合は、上の様な賞賛の言葉には勿論当てはまりません。

先人の知恵から生まれたルールを守らず、長く居座って人がこうした賛辞の対象となるのですが、これは先人の知恵を無視することで大変危険なことです。

プーチンもそうでしたし、今、習近平が国家主席の連続2期を改めて権力維持を図っているようです。共に任期延長とともに独裁色を強めます。

安倍政権も「安倍一強」などと言われたように「絶対多数」と「忖度」をベースに、強行採決を繰り返した政権でした。

総理の業績は政権が長期で あったことよりも、その中身の問題でしょうし、ルールを守ることこそ大事な態度でしょう。「最も長く」という言葉が賛辞になるのは矢張り疑問です。


2つ目は、建設受注統計の不正で、GDP統計が嵩上げされていたので、それを訂正しなければならないという問題についてです。

マスコミ報道では例の二重計上などの問題で、2013~2020年の8年間に受注金額合計が、累計34.5兆円過大になっていると昨日、国土交通省が公表したとのことです。

この問題には2つの疑問があります。
先ずこれは「建設受注統計」です。GDP速報にこの数字を使うのはいいとして、本当の数字は「建設着工統計」「建設竣工統計」などで確認できるはずですが、こうした統計が見当たりません。

この疑問については、今回の国土交通省の弁明で、「受注統計」で日本の建設工事は完全に実態を反映している。GDPもすべて「受注ベース」で決まってしまっているのだ(それ実態把握は十分)という事なのでしょう。
毎月の受注を積み上げているから、それでいいのかなと思っても、何か腑に落ちません。

更に大事なことは、調査票の書き直しの件です。国土交通省は、34.5兆円過剰だったという数字を出しました。これは正しい数字より34.5兆円多かったという事です。しかし、はっきりいてこれは「フェイク」でしょう。

何故なら、本当の数字は、作業の現場で「消しゴム」で消してしまっていますから『無い』のです。

無いものは復元できません。すべては推定と仮定を重ねて捏造(言葉が悪いですね)した数字です。「でもできるだけ真実に近く・・」などと弁明はあるでしょう。しかし真実は消えています。

1945年度、1946年度、この2年間、日本には「国民所得統計」がありません。これは終戦の年とその翌年です。国民所得統計がなくても「そりゃそうだ」とみな納得するでしょう。

国の経済社会の活動を現場で記録した調査票は、国の動きの記録の原点である「原票」です。これに書き込んだ結果を「消してもいい」という指示をした人(国家公務員)がいたことになるのですが、そんなことが起きるはずがないのに、なぜ起きたのでしょうか。それが疑問です。

自然か、不自然か

2022年07月25日 15時05分02秒 | 文化社会

また突然の桜島の噴火がありました。
日本列島は自然の恵みも大きいのですが、自然災害も多いという自然条件が特徴のようで、我々の先祖である、(色々な所から日本列島に移り住んだ)縄文時代の人々、縄文人は、1万年以上かけて、いかに日本列島の自然の中での生活をより良いものにするかの努力を積み上げてきたようです。

今の日本人の自然観はそうした背景から育ってきたのでしょう。自然の優しさ、恩恵に対しては、深い敬意と感謝の心を持ち、自然災害に対しては、それは自然の意思として受け入れると同時に、いかに巧みに自然と協力して、その災害を最小限にし、自分たちの身を守るかを考えて来たようです。

ところで、辞書で、自然の反対語を探しますと、「人工」と「不自然」が出てきます。
「人工」とは人間が作ったものという意味でしょう。
「不自然」は単に自然でないという意味ですから、答えとしては「人工」の方がいい答えのようです。辞書でも「人工」が先に書いてあります。

ところがこの人工という概念も自然に近いもんが良いとみられるようです。
もともと自然は循環型に出来ているので、自然は定常状態を保って、毎年同じ様な状態を繰り返し続けています。

地球が定常状態を保っているので、人間は安心して生活が出来ているわけで、その定常状態の中で、生物が発生し、植物から動物へそして現生人類まで自然の中で進化してきたのです。

ですから生物は植物も動物も、地球の自然を前提に生まれ、育ち、進化してきたのですから、そのすべてを創りだしているのは「自然」です。

当然のことながら現生人類も、地球の自然を前提に生まれ育っているのですから、海馬に埋め込まれた記憶・本能から、大脳で学習した情報・知識まですべては「自然」の中で身に着けてきたものでしょう。

その結果、人類の判断の基準の中にすんなり受け入れられる「それは自然だ」と思われるものと「どうもそれは『不自然』だ」と思われるものを見分ける基準が出来ているのではないでしょうか。

基本は地球の自然にマッチするものは「自然だ」と感じ、地球の自然にマッチしないものは「不自然だ」と感じるということになっているのでしょう。

こう考えていきますと、個人の行動から、躾けや教育、礼儀、政府の政策、国の行動まで、
それぞれの人の心の中で、自然か不自然か、どちらだろうかと感じてみれば、大抵の事は見分けが付くような感じがします。

国の財政問題や、科学技術の応用・活用、国際関係の在り方の問題など、よく解らない事が多い時代ですが、自然かどうかという視点で見ていくと、なにか人間らしいヒントが見つかるようなきがしますが、如何でしょうか。

日本人の特徴を生かした政治が必要

2022年07月06日 15時43分41秒 | 文化社会
参院選で各候補は、それぞれに思う所を述べていますが、そうした発言の原動力になっているのは、それぞれの候補が、日本という国をこんな国に、日本社会をこんな社会にとそれぞれに持っている「思い」でしょう。

それぞれに「思い」があるという事は、「今の日本社会ではだめだ」という意識があるからでしょう。

確かに今の日本は、世界でも珍しいほど、GDPを始め諸種の国際ランキングを長期に亘って下げ続けている国です。

国民自体は、基本的に生真面目で、勤勉で、どちらかというとイソップ物語の「キリギリス型」ではなく、コツコツ頑張る「アリ型」のようです。

嘗てはその成果が出て世界に注目される発展を遂げましたが、1980年代を境に、1990年代以降は長期低迷の迷路に迷い込んでいます。

これは「国民が駄目」というより「政策の失敗」が大きな原因だという感覚を日本人の多くは持っていると思います。
だからこそ今回の参院選では本当にいろいろな人が出て来て、色々なことを言い合っているのでしょう。

しかし一度失敗の迷路に迷い込んで、物心ついて30年もそうした中で迷っていますと進むべき本来の道が何処にあるのか、その発見すら容易でないという事も起こり得ます。

今必要なのは、日本国民が持つ特徴の中で、日本人ゆえに上手く行っているという点を確りと見極め、それをベースに新たに日本の進むべき道を効率的に再構築していくことではないでしょうか。

例えば、端的に今の日本のパフォーマンスで、諸外国に比べて優れている点を列挙してみましょう。

・日本の失業率は長期不況の中でも世界で最も低いレベルにある。
・コロナウィルスに対して、医薬の面では後れを取っているが、人的被害はかなり低い。
・世界的インフレの中でも非合理的なレベルの高インフレにはならない。
・国際的イベントなので、日本人の礼儀正しい整然として行動は評価が高い。
・巨大な自然災害が多いが、混乱を最小限に、粛々と自力で再建に努力する。
・経済不振の中でもアニメなど生活に直結する芸術分野は常に先進的である。
・食文化など庶民生活の中での生活者レベルの活動が文化を作っている。
・旅行者に、犯罪が極小で、安全で親切な社会を提供している。
・常に世界トップクラスの平均寿命を維持更新している。
・自然を残し、自然と共存しようとしている。
まだまだあるでしょうがキリがないからこの辺にしますが、皆様もぜひ列挙してみてください。

こうしたところから見えてくるのは、日本は、国民の知的レベルも高く、生活に直結する社会・文化の面でも創造性が高く、人間関係を大切にし、住み易い社会を作る能力に優れている人々の国であるという側面ではないでしょうか。

こうした日本人の特性を無視して、欧米流の肌理の粗いドライな人間関係を前提にしたシステムを善しとした社会を前提にした政治や国際関係の選択が日本人の能力を殺しているようです。
なにか、勿体ない感じがしています。


習近平と民主主義の「トリセツ」

2022年05月31日 14時07分52秒 | 文化社会
今朝の朝日新聞に、中国の習近平国家主席が「領袖」と言う称号にこだわっているのではないかといった記事がありました。

日本でも「自民党の領袖」などと使われる言葉ですが、中国では、生前から領袖という称号を得ていたのは、今は毛沢東1人だという事です。

今年秋の党大会で「領袖」の称号を狙う事はすでに国内の一部でその称号をつけて習主席を礼賛する文書が出されている所から明らかなようですが、秋の党大会での最大の問題は、習国家主席が10年の任期を延長して終身制に踏み込むかどうかでしょう。

鄧小平が国家主席の任期制を定めてから、江沢民、胡錦濤と2期10年の任期で退任していますが、習近平は、混乱の時代には自分のような強力なリーダーが必要という事で、すでに3期目を当然のこととするような体制を固めているようです。

中國は、共産党一党独裁体制ですが、その共産党の中の政治や軍事などの幹部は投票によって決めるのですから、ここは民主主義ということになるのかもしれません。ところが習近平は、既に幹部の人選が推薦投票制だったものを面接制に改めているということで、考えていることは見え見えという事でしょう。

更に鄧小平が廃止した党主席(毛沢東が終身手放さなかった)の復活の議論も活発なようですから、今年の秋の党大会は、中国の行方を決めるという点でも、それが世界に与える影響がいかなるものになるのかという巨大な問題も含めて重大な関心事でしょう。

ところで、このブログでは「民主主義のトリセツ」というテーマで二回ほど書いてきました。
「民主主義を誤りなく取り扱う際の取扱説明書(トリセツ)」という趣旨で、さしあたって、これまで、4項目の注意点を挙げています。

その第一項目が、「 過去の経験から、リーダーの最長任期を決めたら、それを伸ばそうとする人をリーダーに選んではいけない。」ということになっています。

これは、大はプーチンから、小(?)は安倍晋三まで、リーダーとして歴史の教訓を学ばない人は、独裁者になる可能性が大きく、民主主義にとっては危険な人物の可能性が高いという認識によるものです。

毛沢東が晩年、文化大革命という大きな誤りに走ったことを教訓に、鄧小平は党主席を廃し、国家主席に2期10年という任期を決めたのでしょう。

習近平の従来の発言から読み取れることは、中国とか世界とかいう大きな社会は、民主主義で治められるものではない。もっと違った統治の原理が必要で、中国の目指しているものの方が優れているとしてきているように思われます。

自負心は結構ですが、最近のゼロ・コロナ政策に固執するような問題もありますし、人間は年齢とともに頑固になり、融通が利かなくなる事も考えられるので、先ほどの「民主主義のトリセツ」に従えば、

「習近平がこの秋の党大会で、任期延長あるいは終身主席につくようなことになると、中国にも、世界にも、種々の問題が発生する可能性が大きくなるとが予見される」

と心配しなければならないことになりそうです。
予見が当たらないことを願うばかりです。(でも、当たりそうですね・・・)

ロシア内部の「声」を支援:情報戦争の重要性

2022年05月25日 14時21分19秒 | 文化社会
ロシアのスイス駐在の外交官、ボリス・ボンダレフさんが、「プーチン(大統領)が引き起こしたウクライナ、そして全ての西側諸国に対する侵略戦争は、ウクライナ人、そしてロシア国民に対する犯罪でもある」との声明を発表して辞任しました。

スイス駐在であれば、世界の情報を自由に入手できるでしょうから、プーチンの起こした時代錯誤の残虐な戦争についての客観的な判断は当然可能でしょう。
そして、「今回の侵攻ほど恥ずかしいと感じたことはない」と自分の気持ちを率直に表明しています。

しかし、ウクライナ侵攻が始まってから3か月、その間、そうした思いを次第に強くしながらも、ボンダレフさんがこうした意見を率直に表明するまでには、それだけの時間がかかっているという事でしょう。

国家公務員、外交官としての教育を受け、キャリアを積んできたのですから、国の方針に逆らうことは、大変難しい事でしょう。

しかし、現実を見れば見るほど事態の異常さに心を痛め、最終的にプーチンの政策が誤りであることを世界に告発し、職を辞すると決めたことは、人間としての正直さ、正義感の発露としての強い決断力があったからでしょう。

そしてその決断の根拠(論拠)となっているのは冒頭の発言にありますように、これはプーチンの引き起こした侵略戦争だという事、そしてそれはウクライナ人、そしてロシア国民に対する犯罪だと言っている所に濃縮されています。

戦争などしたくないロシア国民に戦争を強いること、戦場に行きたくもない若者を演習と偽って戦場に立たせ、その内の多くの命を失い、多くのロシア人に限りない悲嘆を強いた事は、ロシア国民に対する犯罪であるとして、プーチンを断罪しているのです。

基本認識は、ロシアという国がプーチンではないという事です。ボンダレフさん言葉では、明らかに、独裁国家にありがちな、国と国のリーダーの存在の矛盾が追及されています。それは、「ロシアを孤立化させ、名誉を傷つけているだけだ」とプーチンの意図することの結果を明確に指摘していることから明白です。

結果的にプーチンは否定され、ロシアのことを考えることは、ロシアの国民のことを考えることだというのが発想の原点でしょう。

国というのは、国民のことでなければなりません。プーチンにとっては、国とは自分であり、自分が統治する領土であるということになっているようですが、これは中世の昔、多くの国の王様が持っていた概念でしょう(「朕は国家なり」=ルイ14世)。

そういうことでは困るので、民主主義の世の中にしようと人類は頑張って、今日までの歴史を作り上げてきたわけです。

21世紀の世の中で、ごく少数の独裁者、独裁者志望者が、とんでもないアナクロニズムに冒されているという現実を考えたとき、中世と今では「国」の概念は「全く違うのですよ」という事をもっともっと周知させなければならないのではないでしょうか。

そして、今現在、それが最も必要なのはロシアの人達でしょう。
制限された情報の中で、誤った概念を持たされている人達、主権者であるのに主権者は別にいると思っている人たち、そうした事情をある程度理解しながら、権力者を恐れ発言も行動も控えている人達が、20年のプーチン支配の中で、多く生まれてしまっているのではないでしょうか。

これを変えていくためには本格的な情報戦争が必要でしょう。手段はいろいろあるでしょう。しかしこの情報戦争に勝てば、それはプーチン政権が瓦解する時になるのでしょう。
戦争は軍事力だけではないと言えそうです。重要な別の手段、情報戦略もあり、それが決定的なものになる可能性も考えられるのではないでしょうか。

民主主義の「トリセツ」 第2回

2022年05月23日 14時25分49秒 | 文化社会

4月9日に「民主主義の「トリセツ」が必要な時代」を書きました。

何故そんなことを書いたかと言いますと、ロシアがウクライナに侵攻し、事態がますます深刻になって来ているからです。

これはロシアとウクライナの戦いではなく、民主主義と独裁主義の戦いだという人もいます。民主主義国は大多数がウクライナを支持し、一部の独裁国がロシアに理解を示しています。

多くの国、多くの人達が、民主主義国は戦争など仕掛けない、独裁国がこういう国際法に違反するようなことをやるのだと言っています。私もそうだと思っています。

しかし、問題は、ロシア自身が、形式上は民主主義国なのです。ロシアを支持している中国も、国のリーダーは多数決で決めているという事のようです。

しかし誰が見ても、ロシアはプーチン大統領の独裁の下にありますし、中国も、共産党一党独裁で、習近平が終身主席ということになり、この秋に定年制が適用されない事が決まれば、明らかに独裁国になり、台湾併合に動き出すのではないかといった事が言われています。

形式は民主主義の原則に則って多数決で決めるということになっているのに、なぜ独裁国が生まれてしまうのかと考えますと、国民が、民主主義の取り扱いに失敗して居るからだという事になるのではないでしょうか。

ということで、それなら最近流行りの「トリセツ」を準備して、民主主義という良いシステムを誤りなく「取り扱う」ようにすればいいのではないかということになるわけです。

「トリセツ」というのはご承知の通り「取扱説明書」の略で、ついでに、難しくて、読んでもよく解らないような説明書ではなく、誰にでも簡単に解り、納得がいくように書いてある「優れもの」といった意味もあるのではないでしょうか。

ということで、4月9日に書きましたように、それぞれの国の国民が、解り易い「民主主義のトリセツ」を持っていて、選挙の時に、それを参考にして投票するようにすれば、民主主義の顔をしながら中身は独裁国なとというケースがなくなるのではと思って、前回まず2つの点を挙げました。

1、 過去の経験から、リーダーの最長任期を決めたら、それを伸ばそうとする人をリーダーに選んではいけない。
2、 自分も嘘(Fake)言いながら、他人の言う事を嘘(Fake)だと言う人をリーダーに選んではいけない。

皆様の気付かれた点を付け加えて頂こうと思っていますが、今回とりあえず2つほどの項目を付け加えたらと思いました。

3、情報を操作している人、あるいは、操作しようとしている人をリーダーに選んではいけない。

4、感情の起伏が激しく、舞い上がったり激怒したりする人をリーダーに選んではいけない。

  (以下宜しくお気づきのことを挙げて頂ければ幸甚です)

多くの人の知恵で、民主主義がより良い物になりますように。 

 

 

 

 

 


円安119円台へ、円評価に変化か?

2022年03月19日 17時10分33秒 | 文化社会
円レートが118円台になってビックリしていましたら、今日は119円台です。
2013年、14年の二回の黒田バズーカで120円までの円安を実現したのですが、その後も「万年経常黒字」を背景に「有事のドル」に代る「安全通貨の円」で105円から110円辺りの上下でした。

こうした円への評価、安全通貨という認識が、黒田日銀の円安メリットの一貫した認識に繋がり、異次元金融緩和の長期継続となっていたのでしょう。

しかし、このところの状況を見て、何か基調的な変化があるのではないかといった見方もあるようで、このまま120円を切り上げると円の暴落につながる恐れすらあるといった意見まであるようです。

そこで気が付くのが、昨年12月、今年1月と経常収支が赤字になっていることです。
このブログでは、「万年赤字のアメリカ」と「万年黒字の日本」と対照的に書いてきましたが、実は今年の1月は大幅赤字なのです。

  経常収支  貿易収支  サービス収支  第一次所得収支
12月  -3708    -3187    -3213      3988
1月  -11887   -23422    -7379      12880
     (単位:億円) 
赤字の原因は、貿易収支とサービス収支の赤字にあることは明らかですが、サービス収支は、一時来日観光客の増加で赤字が減りました(物品購入は輸出勘定)。しかし今は消滅、最大原因の貿易収支は、実は以前は黒字稼ぎの旗手だったのですが次第に輸出入トントンといった状態になり、コロナ問題が起きてからは、ワクチンの輸入などが赤字化の要因になり、そしてそれに追い打ちをかけたのが今回の原油の値上がりという事のようです。

従来は貿易収支、サービス収支がある程度赤字になっても、第一次所得収支(海外投資からの利子・配当など)の大幅黒字が赤字を吸収して余りありで万年黒字というのが常態でしたが、コロナの長期化、更に原油など資源の値上がりで第一次所得収支では吸収しきれなくなったというのが率直なところでしょう。

さて、問題はこの現状をどう判断するかです。
長期的にみれば、アメリカに見るように、第一次所得収支やサービス収支が今でも巨大な黒字を出していても、「ものづくり」のほとんどは海外移転で、貿易収支がより巨大な赤字を計上、結局経常収支は万年赤字というのが、経済発展の行方だなどと言われます。

アメリカは一方で巨大が資源国でもありますから、未だいいのかもしれません。日本は無資源国ですから、国内の付加価値生産だけがGDPを生み出すことで生きる国なのでしょう。

その意味では、円安は、日本には最大の恩恵を与えてくれているのです。
黒田総裁の円安重視の姿勢は、まさにそれを意識してのことでしょう。

ただし、もう一方ではそれを生かして貿易黒字を稼げば、対アメリカをはじめ国際摩擦を招き、その結果円高を招き、深刻な不況に苦しむ可能性(平成不況)が出てきます。

という事で、今後の日本経済について、その弱体化を案じ円安進行を心配する立場と、強い経済力を回復しつつ、円高を恐れる立場とが、それぞれ日本経済の将来を心配しているのでしょう。

さて、日本の選択すべき道は何処にあるのでしょうか。

独裁者の傾向のある人を見分ける方法

2022年03月07日 16時35分54秒 | 文化社会
世界の多くの国では独裁者の誕生を防ごうと、国のトップを選ぶ場合のルールを定めています。

任期は3年とか4年が多いようですが。在任期間は連続2期までというのが多いようで、例えばアメリカは任期4年で2期8年までとなっています。

ロシアはもともと任期4年で、3選禁止だったようですからアメリカと同じだったという事でしょう。

中國は任期5年で2期までと鄧小平さんの時に決めたようです。

ついでに日本の場合は、政権党の総裁が総理大臣になるので、ほとんど政権党の座にある自民党の総裁の場合、任期は3年で2期までということになっていました。

こういうルールを作るという事は、どんな立派な人間でも、最高権力の座に長くいると、どうしても独りよがりになって、「権力は腐敗する」という諺のようになってしまうという歴史の経験から学んだ知恵の結果でしょう。

ところが、ここに挙げた4か国の例の中だけでも、このところ、歴史から学んだ知恵を蔑ろにするケースが増えています。

確かにアメリカは、代表的な民主主義国家を自負する国だけあって、ルールは守られて来ているようです。(でもトランプさんは何となく危ない)

ロシアは、間に別の人を挟めば、再選可能という事だったようで、プーチンさんは、メドベージェフさんを挟んで再選され、その後4年の任期を6年に延ばし、計算方法は解りませんが、2036年まで大統領が可能という事にしたようです。

中國では習近平さんが、国家主席は2期10年までという憲法の条文を削除することを提案して終身主席が可能としているようで、今秋の党大会で、定年制を適用しなければ、3選可能という見通しが一般的になりつつあるようです。

日本の場合は、安倍総理が無理をして自民党のルールを変更、3選を可能にして、問題を起こしながら8年余在任しました。

こう見てきますと、一国のトップになった人にも2種類あって、任期を終えると後任に国政を任せ、引退する人、つまり、歴史の教える知恵を尊重して、自らの役割を客観的に見られる人が一方です。
もう一方は、権力に目が眩んで、自分の力で何でも出来るような気になり、その中で思いついた妄想を追いかけて、世の人々が客観的にみれば、とんでもない事を、正しいことだと錯覚して権力を悪用して追求する人がいるという事です。

この2種類の人間を見分けることは容易ではないのかもしれませんが、上の例から見ますと、トップになって、自分の任期を延長しようとする人は、恐らく世の中が客観的にみられず、歴史の教訓などには興味も関心もない人で、独裁者になる可能性の高い人だという事になるのではないでしょうか。

これは一国のトップだけではなく、権力と人間の、いろいろな場合にも応用できる事のような気がします。
(影の声:もうその時では遅いのではないですか!?)


中国的パラドックスは成立するのか

2022年02月12日 22時04分18秒 | 文化社会
皆さんご存知のように、中国は「社会主義市場経済」の国という事になっています。

鄧小平の改革開放路線以前は、経済も政治も共産主義体制でしたが、その中で経済の部分は市場経済にしようという事になって、中国経済は大発展し、アメリカを追い越す世界一の経済大国になるのではないかと言われるようになりました。

しかし、一つの国が経済は自由経済(市場経済)で政治は共産主義という自由と平等のパラドックスでうまく成立するのでしょうかという疑問は依然残っています。

共産主義国というのは、もともと自由経済だと資本家が労働者を搾取して不平等な社会になるので、社会「正」義を求める人々が社会主義の旗の下に集まり、平等な社会を目指して革命を起こしたりして、資本家のいない人民だけの皆が平等な国(社会)を作ろうと頑張って作った国でしょう。

生産手段は資本家ではなく人民が共有しみんなで出資、みんなで生産、みんなで分配
が素晴らしいと言って始めてみましたが、なかなか上手く行きません。
そして結局は、共産党という党がルールを決めて人民を指導し、上手く行くようにと考えたのです。

しかし、そこは人間のやることです、理想通りにはいかず、共産党組織が生産手段を含めて全ての権限を握る独裁組織になって共産党幹部が特権階級として君臨することになってしまったというのが歴史の示すところです。

こうなると人民は、共産党組織のために働き、貧しくても平等な生活を保障されるだけになってしまい、働く意欲もなくなり、国としては経済発展も思うに任せなくなるのは当然でしょう。

鄧小平さんはそこに気が付いたのでしょう。土地(中国で地上権)をはじめ生産手段の私有を認め、私的な資産蓄積も認めるという自由経済の原則を共産主義の中に持ち込んだのです。
それ以来の中国の経済発展はご承知の通りです。まさに自由経済の効果は大きいですね。

経済発展は進み、巨大な資産家も生まれ共産主義の理想にした平等は失われました。いま中国は巨大な格差社会でしょう。

ところで、格差拡大を許容して、政治は共産主義というのは共産主義の自己矛盾、パラドックスに他なりません。はっきり言ってしまえば、資本主義自由経済を独裁的な為政者の意向に従ってコントロールするという事になってしまうのではないでしょうか。

それを可能にするのが共産党一党独裁という制度でしょうが、それでは、共産党という名前は形だけで、中身は、単に独裁システムで自由主義経済を適宜コントロールするということに他ならないでしょう。

戦前の日本は、資本主義自由経済でしたが、軍部の独裁システムで、軍部の都合のいいようにそれを動かしていたのでしょうし、現在のロシアの場合には、民主主義自由経済を、かつてのKGBのノーハウを生かしたプーチン政権の独裁システムでコントロールしているという事でしょう。

そして中国は、経済活動の市場経済化で中身の空(カラ)になった共産主義の残った殻(一党独裁という政治システム)で、大きく成長した市場経済を都合よくコントロールする独裁システムという事になるのでしょう。

こう見てきますと、経済システムは自由主義市場経済が良い事は明らかで、どの国でもそれで決まりですが、政治システムは独裁主義が良いという国が、時々、所々にあるという事でしょう。
それが、かつての日本の軍部にも、プーチン政権にも習近平体制にも、共通の考え方であり、国の状況という事になります。

結局は、経済は自由主義市場経済が良いとうのは共通なのですが、政治体制が独裁政権(バイデンさんは専制主義と言っています)か、民主主義政権かという違いになって、「やっぱり本質は民主主義か独裁主義かという違いだけだったのか」という事になるようです。

どちらが良いかは疾うに解っているはずなのですが、問題は、独裁者にはそれが解っていないという事でしょう。

金融資本主義と格差社会化(前回)の補足

2022年02月05日 12時33分30秒 | 文化社会
今、アメリカを典型的な例として、世界に広まっているマネー資本主義による格差の拡大に対する経済政策は、世界どこの国でもあまり進んでいないようです。

G20でしたか、金融所得への課税問題の議論はあったようですが、現実には法人税の最低税率15%の表明程度で、未だ本質に切り込むことはないようです。

岸田総理も、一時、金融所得課税問題に言及されましたが、その後、その動きはないようです。

この問題は多様な面を持っています。まず、金融所得と言っても、利子配当などのGDPの構成要素(インカムゲイン)と株式売買益のようなキャピタルゲインは、全く性格が違うという事をどう考えるかです。現在は共に20%分離課税ですが、これは経済理論から言えば安易に過ぎる対応策でしょう。

この20%の分離課税は、かつては10%だったものが引き上げられたのですが、さらに引き上げることいなれば、政府が宛にする株式市場の活性化に大きな障害になるでしょう。

政府は、公的年金資金をGPIFを通じて内外の証券市場で運用しています。この問題だけでも、課税政策の検討は簡単にいはいかないでしょう。

アメリカ政府も日本政府も、NY市場、東京市場の活況、ダウ平均、日経平均の水準には多大の関心を持っていることは否めません。

金融資本主義盛行については、理論的には問題にしつつも、現実には金融市場の活性化を望むという立場は変えられないのではないでしょうか。

更に、金融資本主義には奇妙な面があります。
それは、今、格差社会化の進行で、貧困家庭が増えているという深刻な事態が、金融資本主義の結果かという点については、余り納得的な説明がないのです。

恐らく、金融市場でマネーゲームに励む巨大な資本は、増加した資本の購買力を利用するというのではなく、更なる資本の増加の数字、その桁数をさらに大きくすることを競っているという面(目的意識?)が多いのではないでしょうか。

その巨大なマネー(資本)が、金融市場の中だけで回っているうちは、実体経済への影響は少なく、需要超過によるインフレなどは生じずに済んでいるという事になるのでしょう。

つい先ごろ迄の「インフレの無い時代になった」とか「財政赤字はインフレにはつながらない」といったMMT理論などは、その辺りから生まれてきているように思われます。

確かに、マネーゲームのマネーは、証券・債券・デリバティブといった上空のマーケットで、実体経済のおカネは地上の実物マーケットでという住み分けが出来ていれば、そうなのでしょうが、上空のマネーが、原油やその他の資源のような実態経済に関係するものの価格変動を狙って投資活動をする(地上に降りてくる)ようなことになりますと、これは、実体経済に混乱をもたらします。

現在起きている原油価格の高騰にはその影が見えます。原油供給量は微増で推移という事ですが、価格は大きく上昇しています。1ℓ=170円で地上の経済は大変です。

一方、マネーゲームは価格変動がないと成立しません。
昔から「株屋殺すにゃ 刃物は要らぬ 寄り引け同値でザラバなし」などといわれますが、マネーゲームの巨大資本は、売買で値の動きそうな対象があれば、その価格を指標にゲームをする可能性はあるわけです。
そしてマネーゲームでは価格が上がる時も、下がる時もキャピタルゲインを得るチャンスなのです。

金融資本主義の世の中では、資本を生産活動に投資し、そこから付加価値を生み社会を豊かにしつつ資本を蓄積する実体経済を形成する資本と、生産活動への投資とは関係なく、何らかの経済指標を基準に投資を行い、資本が直接資本を生むマネーゲームの資本が併存し、住み分けをしながら時に領空侵犯もあり得るといった状態を作り出します。

最大の問題は実体経済活動(生産活動)を通じて社会の富の増加に貢献して得られるインカムゲインと、生産活動はなく、資本が直接資本を生むキャピタルゲインが、結果的に同じ資本として、同じ価値を持つことです。それでも「資本主義」は健全に成立するのだろうかという疑問は残るのではないでしょうか。
 
マネーゲームは簡単に格差社会化を大きく進めます。それが今後、社会にいかなる影響を与えるかはまだ十分解っていません。
この問題は、資本主義のこれからの大きな課題になるのではないでしょうか。

金融資本主義、格差社会化の要因に

2022年02月04日 14時56分50秒 | 文化社会
前回は、戦後の経済発展の中で、日本がいかにして格差の無い社会作りに成功して来たかについてみてきました。

ピケティが『21世紀の資本論』の中で、第二次大戦後、世界的に格差の拡大の無い時期があったと言っていますが、多分その典型的なイメージとして、日本経済の成長があったのではないでしょうか。

残念ながら、日本のその後は前回書いた通りですが。実はもう一つ付け加えなければならない重要な問題があります。ピケティは「資本収益率(r)の方が経済成長率(g)より大きい」から格差が拡大すると言っていますが、それはその通りです。

勿論これは税制や社会保障制度などの国の再配分政策によって是正が可能ですが、それが非常にやりにくいような状況変化が、すでに起きて来ているのです。

それが、資本主義の金融資本主義化(マネー資本主義化)です。
未だ経済学の中でもこうした資本主義の正式な定義はないのかもしれませんが、マルクスの頃の資本主義と今の資本主義は、必ずしも同じではありません。

マルクスの時代は、「資本家が資本を使って、生産を行い、それによって生まれた付加価値(生産された付加価値の総合計がGDP)のより多くの部分を資本が取る」という形での資本の増殖でした。 

従って、そこでは付加価値を創るための生産活動が必要で、そこで労働力を使います。そして労働者への分配はなるべく少なくして資本収益率を高めるわけです。

当然労資の分配問題が起き「資本」による「労働」の搾取という問題意識が生まれ、「分配の平等」を求め社会主義思想が生まれ、共産主義革命が起きることになります。

ところが21世紀の資本の活動はどうでしょうか。
資本のより大きな部分は生産活動に向かわず、多様な経済活動の「指標」やそのデリバティブズの「価格の変化」(数字の指標)を投資の対象にした「マネーゲーム」に向かっているのです。

その世界はGDPを構成する実体経済の生産活動には「直接の関係」を持ちません。
例えば、一見会社の業績に関連するように見える投資でも、投資の対象は利益などの「指標」で、それによってその企業の時価総額がいくらになるかが資本増殖の源泉なのです。

これも経済学上の定義が明確ではありませんが、GDPの構成要素になるのはその企業の付加価値生産額(インカムゲイン)で、時価総額の増大は、時にそれと何桁も違う巨大なものとなり、投資者の投資収益(キャピタルゲイン)となるものですが、それはGDPに算入される性質のものではなく、実体経済とは無関係の資本の増殖なのです。

問題は、実体経済の生産活動による付加価値額の分配としてのおカネ(インカムゲイン)も、実体経済に関わる指標、インデックスへの投資から得たおカネ(キャピタルゲイン)も日常の世界では、同じ購買力を持ちますから、圧倒的に大きなキャピタルゲインにより購買力(社会の富)をマネーゲームの成功者が獲得するという現実です。

実体経済の世界で、労使がいかに分配を適切に行っても、そうしてことに全く関係なく、マネーゲームの世界で資本の増殖、社会の富の巨大な移転が起きているのです。

アメリカでは、所得分布で上位1%にあたる人々が、全体の60%を占める中間層を上回る富を保有していることが、連邦準備制度理事会(FRB)の最新データで明らかになったそうですが、それは、こうした金融資本主義(マネー資本主義)の結果ということでしょう。

こうして発生する格差問題にいかに対処するか、話を現実に戻せば、岸田総理の「新しい資本主義」も問われているのです。(金融取引により利益の課税問題)