tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

新しい資本家の登場と経営者

2014年08月09日 09時49分06秒 | 経営
新しい資本家の登場と経営者<2008年8月9日付のリメイク版>
 今日のように、一般大衆が株式という形で企業に資本を提供する社会では、資本家という影は薄れて、経営者の時代になったという認識が一般的です。1941年、James Burnhamが「経営者革命(Management Revolution)」を書いたのはまさに先見の明だったという事でしょうか。

 駄洒落を言えば、IRと言えば、かつてはIndustrial Relations(労使関係)でしたが、いまはInvestors Relations(株主関係)というのが一般的なようです。
 失われた20年で春闘の影は薄くなり、一方マネー資本主義の流行で株主総会は大荒れになるという時代の変遷を映したのでしょう。

 株主総会が大荒れになるというのは、多くの場合、いわゆる「モノ言う株主」が登場したからでしょう。
 大衆株主の多くは、その企業に縁があったり、その企業が好きで肩入れしようと長期的にその企業の株を持っている場合が多いでしょう。ですからその企業がゴーイング・コンサーンとして長期に発展してくれれば、まさに期待に沿ってくれているという事になります。

 しかし物言う株主の多くはいわゆる「投資ファンド(private equityなど)」で、債券、証券、そのデリバティブなどを活用して、マネーゲームで短期的に利益の極大化を狙う組織です。これはいわば「新しい資本家」の登場です

 こうした組織は、社会における企業の本来的な活動(役割)といったものには関心がなく、単に投資対象の価格変動を利用して、投資資金へのリターンを増やすことにしか関心がありません。それはそのファンドに投資する人たちが、短期のリターンの極大化を目的にしていますから、それに応えることが、ファンドマネジャーの使命だからです。

 しかしその結果は企業経営や実態経済の活動に役立つこととは関係ないマネーゲームとなり、配当を上げさせて一時的に株価を引き上げ、上がった所で売り逃げるといった行動や、地域の必要に応える大事な仕事でも、儲けが少なければやめて、儲かる仕事に投資しろといった要求にもなります。

 資本主義の初期、資本家が非難されたように、実体の経済活動の意義を意識しない利益だけを求めるカネは、人間の悪い側面である「強欲」の虜になるのでしょう。「新しい資本家」は資本主義初期の資本家に似て強欲です。これは資本主義の退化以外の何物でもありません。

 経営者は、この「新しい資本家」への対応も、良識ある株主、良識ある社会の意見を背景に、確りとやらなければならないようです。