tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

G7代表の広島平和公園訪問の意義

2016年04月15日 09時09分57秒 | 国際政治
G7代表の広島平和公園訪問の意義
 学生の頃、広島出身の友人に誘われて、夏休みに広島を訪れ、平和記念公園に行きました。原爆とその放射能というものの物凄さを実感し、「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」のいしぶみにお参りしました。

 そうか「ここから原爆ドームがまっすぐ見えるように設計されているんだな」と知り、これは大事な文言だと思い、写真を撮りました。
 この写真は、古くなったアルバムに 貼ってあって、その写真の下に「この言葉を嘘を言ったことにしたくないものである」書き込んであります。

 日本語には主語がないことが多いといわれ、確かにその通りです。このいしぶみの文章にも主語はありません。しかし、私は、当時から主語は当然に「人類」だろうと思っていました。
 人類の行動について日本人が約束する、広島が約束する、そんなことはできるわけはないのですが、どうしても約束したいという気持ちが書かせたと今でも思っています。

 主語を省く日本語と、何がどうあれ、この過ちは繰り返すべきでないという強い気持ちを、広島の人たちは、そして日本人は、将来にわたり、人類全体に伝えたかったのだと思います。

 岸田外相がG7の代表とともに平和公園を訪れ、全員そろって慰霊碑に献花されました。こうした素晴らしいことを、日本政府が要請し、G7の代表が一致して応えたというのも、参加者全員が、平和公園、慰霊碑、原爆資料館の意義を正確に理解してくれたからだと思います。

 誰が原爆を落とし、誰が被爆したというのではなく、かつて人類が犯した過ちを、今、主要国の代表が、人類の代表として、さらには人類の一員として「過ちは繰り返しませぬから」
と誓うことには、誰も違和感を持つことはないでしょう。

 日本には、「過ぎたことは水に流して」という言い回しがあります。今、人類の多くは「水に流さないこと」が重要だと主張することが多いようです。

 日本人とても、「水に流して」といったからすべて忘れるのではありません。歴史はきちんと記録すべきでしょう。平和公園は、正確な記録を伝える原点です。

 しかし、そこにあるのは人類の犯した過ちへの反省です。恩讐といった感情は「水に流し」、人類全体の未来に向けて「過ちをくりかえさず」進むことこそが重要だと考える、それが日本人の「水に流す」の本当の意味で、広島、長崎でも日本人にはそれを心してきたと思います。

 今回の広島G7が、こうした意味で、世界の首脳に、日本人の真摯な思いを伝え得たとすれば、そして多分伝え得たと思いますが、これは素晴らし事だと思います。