tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

働くということ:日本人の知恵は?

2016年04月27日 21時56分31秒 | 労働
働くということ:日本人の知恵は?
 一億層活躍を目指すといわれるこの頃ですが、そうした掛け声は別として、皆様はどなたも、人生の大半の期間を働いて過ごされます。
 GDP(国内総生産)やGNI(国民総所得)はこうした皆様の働きによって創りだされます。

 表題で「日本人の知恵」と書きましたが、働くことに意味付けは洋の東西でどうも違いがあるようです。
 勿論、人間は働かなければ生活を支えられません。ならば、どういう理屈づけで人間に働く気になってもらうかです。

 もっとも単純に整理すれば、日本人の考え方は「働くことは良いことだ、だから働こう」ということのようです。
 一方、キリスト教では基本的に、「神は人間に労働という罰を課した。だから人間は働かなければならない」ということになっています。
 働くことは経済活動の原点ですが、この辺りを少し、最近の資本主義の発展の内容も踏まえて考えてみましょう。

 日本人には、伝統文化として、働くことはいいことだという哲学があります。働くことを通じて人間として「道」を究めるとか、「はたらく」というのは「端を楽にする」ことなどと言いますが、これは、人間が社会(人間集団)を作って生活するとき、最も大事な考え方でしょう。

 人間の生き甲斐は、人から必要とされることなどといいますが、人の役に立つからこそ必要とされるのでしょう。

 企業など人間集団の中でも、この考え方が確り持ち込まれてきたのが日本の企業でした。仲間の役に立つ、企業や広く社会の役に立つように働くことに意義を認め、それと同時に、そのように働くことは「楽しいこと」であるべきという組織や人間関係の在り方が追求されてきました。

 他方、キリスト教文化では、旧約聖書にありますように、働くことは、アダムとイブが禁断のリンゴを食べるという「原罪」に対する罰でした。Labour は男には労働、女には分娩(の苦しみ)です。人間は楽園を追われ贖罪として労働をするのです。

 プロテスタンティズムでは、これを改め、労働は神の意に叶うものと考えるようになって、資本主義が発展した(マックス・ウェーバー)、ということになっています。
 そのプロセスでは、ピューリタンのような清貧の思想に近いものもありますが、資本主義の発展が典型的に示しますように、「神の意」は「蓄財」と考えられていることが多いようです。

 日本人は働くことを「端を楽にする」ように人間同士の関係に重点を置くようです。働くことによって、みんながよりよい生活ができるというわけです。
 キリスト教では、労働を「神と人とおカネ」の関係で捉えます。ですから他人のためになるのは、金銭的な慈善ということになるのでしょう。

 こうした文化的な背景があって、西欧の企業・職場は「利益集団」という形で捉えられることが多く、日本の場合は「人間集団」という意識が強くなるのでしょう。

 ところでこの辺りが、日本では最近少し変わってきているように見受けられます。 
 グローバリゼーション、マネー資本主義がはびこる世界経済の中で、日本の企業、その経営者、管理者をはじめ働く人たちは、これから、どんな企業の在り方、働き方を選択するのでしょうか。
 最近の報道などでは、些か不安な感じもしないでもありません。(以下次回)