2017通常国会閉幕:劣化する日本の政治
通常国会は今日閉幕です。私も国民の一人として、このところの国会審議の状況をマスコミを通じてそれなりに見聞きしていますが、総じて感じられることは、何か「むなしさ」です。
国際情勢も多分に不安定で、北朝鮮の動向はもとより、難航するIS・テロとの戦い、イギリスのEU離脱、アメリカの変質と世界への影響、中国の一体一路構想の行方、不可解な米ロ関係、などなど懸念材料は山積で、一体日本はどう考え、何をすればいいのか、ますます難しくなって来ています。
国内問題も、国民の頑張りで、経済は小康と言えるのかもしれませんが、将来不安、それによる消費不振の改善は容易でなく、経済政策の遅れは、財政再建問題をはじめ、遅れが目立ち、金融でも、FRBと日銀の動きのギャップも気になります。政治の対応は益々重要です。
ところが、経済社会の活性化を目指すという大目標で、岩盤規制にドリルで穴をあけるという理想を掲げた作業は、結局、「加計問題」というスキャンダルまがいの論議に国会審議の多くを費やすという無残な結果になってしまいました。
また、テロ対策を主眼に、国際条約批准を目指したというテロ等準備罪を定めた改正組織犯罪処罰法の強硬採決の過程では、国連サイドとの意見の食い違いに対して強硬な反論を展開、日本の本来の姿勢である「国連中心主義」に疑念を感じさせるような結果になってしまっています。
最近の我が国の政治は、何か、掲げている理想と、現実にやっていることに食い違いがひどいようで、国会で飛び交う言葉も、国会外での関連発言も、何か、軽くなり、汚くなり、聞く人に不快感を与えることが多くなっています。
国会論議というのは、宮沢賢治の「ポラーノの広場の歌」ではありませんが、
まさしきねがいに いさかうとも
銀河のかなたにともにわらい
という人間社会の本来の在り方、よりよい社会の実現、日本国民のため、ひいては地球市民の平和と発展のため、という高邁な理想の追求を、現実の人間の行動として示すことでなくてはならないでしょう。
見る人、聞く人に、違和感や不快感を持たせるような言葉や論議が横行するような国会の状況を見せつけられては、多くの人達が政治(家)の劣化を感じてしまうのではないでしょうか。
通常国会は今日閉幕です。私も国民の一人として、このところの国会審議の状況をマスコミを通じてそれなりに見聞きしていますが、総じて感じられることは、何か「むなしさ」です。
国際情勢も多分に不安定で、北朝鮮の動向はもとより、難航するIS・テロとの戦い、イギリスのEU離脱、アメリカの変質と世界への影響、中国の一体一路構想の行方、不可解な米ロ関係、などなど懸念材料は山積で、一体日本はどう考え、何をすればいいのか、ますます難しくなって来ています。
国内問題も、国民の頑張りで、経済は小康と言えるのかもしれませんが、将来不安、それによる消費不振の改善は容易でなく、経済政策の遅れは、財政再建問題をはじめ、遅れが目立ち、金融でも、FRBと日銀の動きのギャップも気になります。政治の対応は益々重要です。
ところが、経済社会の活性化を目指すという大目標で、岩盤規制にドリルで穴をあけるという理想を掲げた作業は、結局、「加計問題」というスキャンダルまがいの論議に国会審議の多くを費やすという無残な結果になってしまいました。
また、テロ対策を主眼に、国際条約批准を目指したというテロ等準備罪を定めた改正組織犯罪処罰法の強硬採決の過程では、国連サイドとの意見の食い違いに対して強硬な反論を展開、日本の本来の姿勢である「国連中心主義」に疑念を感じさせるような結果になってしまっています。
最近の我が国の政治は、何か、掲げている理想と、現実にやっていることに食い違いがひどいようで、国会で飛び交う言葉も、国会外での関連発言も、何か、軽くなり、汚くなり、聞く人に不快感を与えることが多くなっています。
国会論議というのは、宮沢賢治の「ポラーノの広場の歌」ではありませんが、
まさしきねがいに いさかうとも
銀河のかなたにともにわらい
という人間社会の本来の在り方、よりよい社会の実現、日本国民のため、ひいては地球市民の平和と発展のため、という高邁な理想の追求を、現実の人間の行動として示すことでなくてはならないでしょう。
見る人、聞く人に、違和感や不快感を持たせるような言葉や論議が横行するような国会の状況を見せつけられては、多くの人達が政治(家)の劣化を感じてしまうのではないでしょうか。