共産主義国家の誕生と「幻滅の進行過程」
前回、共産主義国家(ソビエトなど)の成立は「幻滅の進行過程」だったと研究の中で言われていると書きました。
資本家による労働者の搾取を許せないことと思い、搾取、被搾取の関係のない、平等な世の中の実現を望んだであろうマルクスの共産主義思想が、どうして一握りの富と権力を恣にする特権階級と、貧しい国民大衆を生む格差の国という現実に帰趨していしまったのでしょうか。
これは多くの研究者が、歴史の中で研究を重ねてきたことでしょうが、こうした、「こと志と違う」結果を生んだ背景には「社会の中の人間の行動原理」みたいなものがあるように思います。
例えば、マルクスからレーニン、スターリンと現実の国家の形成が進む中で、空想的社会主義ではないにしても、多分に理想を掲げるマルクス主義を現実に移さなければならないわけで、そのプロセスでは、多様な人間の考え方を1つの方向に向けていかなければなりません。
革命というような被害者意識一色に塗られた行動の中では、一斉に同じ方向を向いていた大衆も、そのあと、破壊から建設へというプロセスでは、多様に分裂するのでしょう。
多様な人間を、平和な中でみんな同じ方向を向かせるのは至難です。そして結局選択された方法はリーダーの理想を強制することです。
こうして、レーニンまではまだ理想への思い入れがあったようですが、スターリンになると、形だけ模倣する「理想より手段が優先される」段階になり、権力者は事実上、立法・司法・行政の三権を握り、政治は勿論、経済活動も、更に宗教まで、国家運営のすべてが、が権力の支配下に置かれっることになったのでしょう。
これはある意味で「理想を権力で実現しようとすることの必然的な結果だったのかもしれません。
しかも、困ったことに、いつの世でも権力は往々にして腐敗するのです。
こうして70年を経て共産主義国家は崩壊し、社会主義市場経済に変化(進化)した中国、ベトナムなどが、サバイバルを果たしているのではないでしょうか。
中国もベトナムも、格差問題には、極めて注意深く配慮しているように思います。
前回、共産主義国家(ソビエトなど)の成立は「幻滅の進行過程」だったと研究の中で言われていると書きました。
資本家による労働者の搾取を許せないことと思い、搾取、被搾取の関係のない、平等な世の中の実現を望んだであろうマルクスの共産主義思想が、どうして一握りの富と権力を恣にする特権階級と、貧しい国民大衆を生む格差の国という現実に帰趨していしまったのでしょうか。
これは多くの研究者が、歴史の中で研究を重ねてきたことでしょうが、こうした、「こと志と違う」結果を生んだ背景には「社会の中の人間の行動原理」みたいなものがあるように思います。
例えば、マルクスからレーニン、スターリンと現実の国家の形成が進む中で、空想的社会主義ではないにしても、多分に理想を掲げるマルクス主義を現実に移さなければならないわけで、そのプロセスでは、多様な人間の考え方を1つの方向に向けていかなければなりません。
革命というような被害者意識一色に塗られた行動の中では、一斉に同じ方向を向いていた大衆も、そのあと、破壊から建設へというプロセスでは、多様に分裂するのでしょう。
多様な人間を、平和な中でみんな同じ方向を向かせるのは至難です。そして結局選択された方法はリーダーの理想を強制することです。
こうして、レーニンまではまだ理想への思い入れがあったようですが、スターリンになると、形だけ模倣する「理想より手段が優先される」段階になり、権力者は事実上、立法・司法・行政の三権を握り、政治は勿論、経済活動も、更に宗教まで、国家運営のすべてが、が権力の支配下に置かれっることになったのでしょう。
これはある意味で「理想を権力で実現しようとすることの必然的な結果だったのかもしれません。
しかも、困ったことに、いつの世でも権力は往々にして腐敗するのです。
こうして70年を経て共産主義国家は崩壊し、社会主義市場経済に変化(進化)した中国、ベトナムなどが、サバイバルを果たしているのではないでしょうか。
中国もベトナムも、格差問題には、極めて注意深く配慮しているように思います。