日本人と被害者意識
前回は、この所、被害者意識を持ったリーダーが選挙で選ばれることが多いような気がして、「リーダーと被害者意識」を書きました。
結局、危惧しなければならないのは、世の中は、加害者意識の総量よりも被害者意識の総量の方が多くなる傾向があるので、民主主義がポピュリズム化して来ると、被害者意識を喧伝するリーダーが選ばれることが多くのなるのではないか、という事になって、民主主義として望ましいことかどうかという問題提起になりました。
そして、多分、そういう、被害者意識で国や組織を纏めていこうというリーダーを選んだ結果は、あまり良い状況や結末にはつながらないのではないか、という危惧が残ってしまいました。
そこで、なぜ、被害者意識を持つリーダーが選ばれるとよくないのかという点を検討してみなければならない事になのですが、その前に、もうひとつ気がついたこと、「日本人は、あまり被害者意識を持たないのではないか、というより、日本人は被害者意識を持つのが下手なのではないか、という点を考えてみたいと思います。
その辺りを経済面で見てみますと、日本経済が30年の長きにわたって不振を極めている最大の原因は、プラザ合意による円高の受け入れとリーマン・ショックによる円高の追い打ちというのが実情ですが、日本人は、その仕掛人であるアメリカに対してあまり被害者意識を持たず、日本の政策が下手だったからなどと思っています。
中国や北朝鮮の漁船が、日本のサンゴや漁業資源を荒らしても、相手はああいう国だからとあまり感情的になりません。
逆に日本の漁船がロシアに拿捕されても、何か違反をしたからだろうと、こちらに非がると考え、特に腹を立てたりしません。
もともとトラブルを好まないのが日本人の性格かも知れませんが、何かあっても、一応話が付けば「過ぎたことは水に流して」という外国語にはなかなか訳せない言い方で あとくされが無いようにしてしまい、それで納得という事でしょうか。
こうした性格がどのように作られたかは解りませんが、昔から日本は地震や台風といった天災が多い国なので、天災には逆らえない、後は頑張るしかないという自然との関係がもたらしたという見方もあるようです。
古典落語にも、何でも天災だと思えば、怒る気にもならないという、柳家小さんの持ちネタ「天災」もあります。
そんな日本人ですから、最近の改憲論議でも、「アメリカに押し付けられた憲法など・・」という意見はありますが、「押しつけだとしても、中身が良ければいいじゃないの」という人も結構多いようで、改憲論議もあまり盛り上がらないようです。
こんな日本人の気質も、最近少し変わったのか、かつては「女にふられりゃ、泣きまする」などと唄っていましたが、最近は女に振られりゃ、殺しに行くといった事件などもあって、少し心配になっています。
あまり良くない表現もあって恐縮ですが、被害者意識を殊更しつこく持たないようにしてきているらしい日本人の生き方が、社会の安定や世界の平和のためにはより好ましいという考え方もあり得るのではないかと思っている次第です。
前回は、この所、被害者意識を持ったリーダーが選挙で選ばれることが多いような気がして、「リーダーと被害者意識」を書きました。
結局、危惧しなければならないのは、世の中は、加害者意識の総量よりも被害者意識の総量の方が多くなる傾向があるので、民主主義がポピュリズム化して来ると、被害者意識を喧伝するリーダーが選ばれることが多くのなるのではないか、という事になって、民主主義として望ましいことかどうかという問題提起になりました。
そして、多分、そういう、被害者意識で国や組織を纏めていこうというリーダーを選んだ結果は、あまり良い状況や結末にはつながらないのではないか、という危惧が残ってしまいました。
そこで、なぜ、被害者意識を持つリーダーが選ばれるとよくないのかという点を検討してみなければならない事になのですが、その前に、もうひとつ気がついたこと、「日本人は、あまり被害者意識を持たないのではないか、というより、日本人は被害者意識を持つのが下手なのではないか、という点を考えてみたいと思います。
その辺りを経済面で見てみますと、日本経済が30年の長きにわたって不振を極めている最大の原因は、プラザ合意による円高の受け入れとリーマン・ショックによる円高の追い打ちというのが実情ですが、日本人は、その仕掛人であるアメリカに対してあまり被害者意識を持たず、日本の政策が下手だったからなどと思っています。
中国や北朝鮮の漁船が、日本のサンゴや漁業資源を荒らしても、相手はああいう国だからとあまり感情的になりません。
逆に日本の漁船がロシアに拿捕されても、何か違反をしたからだろうと、こちらに非がると考え、特に腹を立てたりしません。
もともとトラブルを好まないのが日本人の性格かも知れませんが、何かあっても、一応話が付けば「過ぎたことは水に流して」という外国語にはなかなか訳せない言い方で あとくされが無いようにしてしまい、それで納得という事でしょうか。
こうした性格がどのように作られたかは解りませんが、昔から日本は地震や台風といった天災が多い国なので、天災には逆らえない、後は頑張るしかないという自然との関係がもたらしたという見方もあるようです。
古典落語にも、何でも天災だと思えば、怒る気にもならないという、柳家小さんの持ちネタ「天災」もあります。
そんな日本人ですから、最近の改憲論議でも、「アメリカに押し付けられた憲法など・・」という意見はありますが、「押しつけだとしても、中身が良ければいいじゃないの」という人も結構多いようで、改憲論議もあまり盛り上がらないようです。
こんな日本人の気質も、最近少し変わったのか、かつては「女にふられりゃ、泣きまする」などと唄っていましたが、最近は女に振られりゃ、殺しに行くといった事件などもあって、少し心配になっています。
あまり良くない表現もあって恐縮ですが、被害者意識を殊更しつこく持たないようにしてきているらしい日本人の生き方が、社会の安定や世界の平和のためにはより好ましいという考え方もあり得るのではないかと思っている次第です。