黒田さんが日銀総裁になったのは2013年です。
安倍さんに見込まれて、日本経済を救うために就任したのでしょう。それまではアジア開発銀行の総裁をしていたと思います。
当時日本は、アメリカがリーマンショックで世界が金融恐慌の陥ることを避けようと、バーナンキさんがとった「ゼロ金利政策」のせいで、2009年以来$1=75~80円という円高で経済破綻の縁にいました。
黒田さんは就任早々、アメリカ流の金融緩和を実行しました。所謂2013年と14年の黒田バズーカで「異次元金融緩和を打ち出しました。
この効果は覿面で円レートは120円と大幅な円安になって、日本は国際競争力を取り戻し、アベノミクスの第1の矢は大成功、日本経済復活の土台が出来たのです。
黒田さんの描いたシナリオは2つの政策の上に成り立っていたようです。
1つは徹底した金融緩和で円高を正常な為替レートの戻すこと、もう1つは、正常な為替レートを梃子に、デフレ経済を2%程度の軽いインフレ経済に転換する事だったのです。
そして第一の政策は見事クリアされたのです。
しかし、第2の政策「2%インフレ目標」は10年の任期を終えて退任するまでクリアできませんでした。
黒田さんは第2の政策も楽観していたのでしょう。「二年程度で2%インフレは到達と言っていました。
アジア開銀で、多くの国の経済を見て来ている黒田さんにして、何故読み間違いをしたのでしょうか。
これが今日の表題の「インフレ圧力のある社会、ない社会」になっているのです。そして、黒田さんに代わって登場した植田総裁も、就任当初、同じ読み違いをしたようで、結果は打つ手がなく、黒田路線の延長になって、時を待つことになってしまっているのです。
黒田さんも植田さんも、共通に見誤っている点は、日本も、世界の多くの国と同じように、「賃上げ圧力の強い国」という前提に立っているのです。そしてそれは経済学者の常識としても当然で、今の日本が、世界でも稀な「賃上げ圧力の弱い国」だという例外的な国なのです。
日本も1974年までは結構強い賃上げ圧力のある国でした。
当時の日本の労働組合の春闘における要求は、必ずしも「%」などは決めずに「前年プラス・アルファ」というのが一般的でした。「昨年より高い賃上げ」です。
これでは結果は「賃金コストプッシュ・インフレ」になるのは当然で、日本でも、1974年、第一次石油危機の翌年の春闘賃上げ率は33%に達し,その年の消費者物価上昇のピークは26%に達してています。当時、これは労働運動としては当たり前で、世界の主要国でも軒並みインフレに悩まされていました。
インフレ目標と言えば、賃上げを抑えてインフレを低くすることが目標というのが当たり前で、賃上げ抑制で、国際競争力を維持強化する事の経済健全化に必要というのが世界の経済の常識でした。
経済学としては、これを「所得政策」と名付けて賃金と生産性と物価(インフレ)の関係を正常化して国際競争力の確保を確実にするのがあるべき経済運営というわけです。
日本は労使がこれを守り、労働組合も石油危機の経験に学んで、「余計な賃上げ圧力は日本経済のためにならない」という極めて健全な感覚(理論)を持つようになったのです。
その後、この賃上げ圧力の抑制が予期せざる事態に発展します。(以下次回で続けます)
安倍さんに見込まれて、日本経済を救うために就任したのでしょう。それまではアジア開発銀行の総裁をしていたと思います。
当時日本は、アメリカがリーマンショックで世界が金融恐慌の陥ることを避けようと、バーナンキさんがとった「ゼロ金利政策」のせいで、2009年以来$1=75~80円という円高で経済破綻の縁にいました。
黒田さんは就任早々、アメリカ流の金融緩和を実行しました。所謂2013年と14年の黒田バズーカで「異次元金融緩和を打ち出しました。
この効果は覿面で円レートは120円と大幅な円安になって、日本は国際競争力を取り戻し、アベノミクスの第1の矢は大成功、日本経済復活の土台が出来たのです。
黒田さんの描いたシナリオは2つの政策の上に成り立っていたようです。
1つは徹底した金融緩和で円高を正常な為替レートの戻すこと、もう1つは、正常な為替レートを梃子に、デフレ経済を2%程度の軽いインフレ経済に転換する事だったのです。
そして第一の政策は見事クリアされたのです。
しかし、第2の政策「2%インフレ目標」は10年の任期を終えて退任するまでクリアできませんでした。
黒田さんは第2の政策も楽観していたのでしょう。「二年程度で2%インフレは到達と言っていました。
アジア開銀で、多くの国の経済を見て来ている黒田さんにして、何故読み間違いをしたのでしょうか。
これが今日の表題の「インフレ圧力のある社会、ない社会」になっているのです。そして、黒田さんに代わって登場した植田総裁も、就任当初、同じ読み違いをしたようで、結果は打つ手がなく、黒田路線の延長になって、時を待つことになってしまっているのです。
黒田さんも植田さんも、共通に見誤っている点は、日本も、世界の多くの国と同じように、「賃上げ圧力の強い国」という前提に立っているのです。そしてそれは経済学者の常識としても当然で、今の日本が、世界でも稀な「賃上げ圧力の弱い国」だという例外的な国なのです。
日本も1974年までは結構強い賃上げ圧力のある国でした。
当時の日本の労働組合の春闘における要求は、必ずしも「%」などは決めずに「前年プラス・アルファ」というのが一般的でした。「昨年より高い賃上げ」です。
これでは結果は「賃金コストプッシュ・インフレ」になるのは当然で、日本でも、1974年、第一次石油危機の翌年の春闘賃上げ率は33%に達し,その年の消費者物価上昇のピークは26%に達してています。当時、これは労働運動としては当たり前で、世界の主要国でも軒並みインフレに悩まされていました。
インフレ目標と言えば、賃上げを抑えてインフレを低くすることが目標というのが当たり前で、賃上げ抑制で、国際競争力を維持強化する事の経済健全化に必要というのが世界の経済の常識でした。
経済学としては、これを「所得政策」と名付けて賃金と生産性と物価(インフレ)の関係を正常化して国際競争力の確保を確実にするのがあるべき経済運営というわけです。
日本は労使がこれを守り、労働組合も石油危機の経験に学んで、「余計な賃上げ圧力は日本経済のためにならない」という極めて健全な感覚(理論)を持つようになったのです。
その後、この賃上げ圧力の抑制が予期せざる事態に発展します。(以下次回で続けます)