tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

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2023年春闘に向けて:2 政労使が本来の役割を見失った?

2022年09月30日 19時55分35秒 | 労働問題
日本は、世界に先駆けて労使の関係は信頼関係、労使は社会の安定帯、政労使三者は対等、三者のコミュニケーションが経済・社会の安定と発展のカギといった理念の下に行動してきました。

こうして世界に冠たる「成長と分配の好循環」「一億総中流」と言われる経済社会を創り上げてきた日本が、20 年もの円高不況に苦しんだ結果だったのでしょうか、為替レートが正常化した2015年以降も、成長経済に戻れなくなってしまっているのです。

この謎に迫っていきますと、その原因は、その後の政労使三者の行動の在り方にあることが見えてくるのではないでしょうか。
これに関しては、日本が円高不況に苦しんだ20年という期間、賃金決定で見れば「春闘の終焉」が言われて20年という」長さが大きく関わっていたようです。

はっきり言って、「円レート正常化」「日本経済再活性化」の可能性が実現した時の政労使のリーダーたちは、殆ど、円高不況の中でのた打ち回った経験しか持たないという事ではなかったのではないでしょうか。

円レ-トは正常化されましたが、正常時の日本的労使関係の経験も、政労使三者の協力の経験もなく、一体何から手を付けたらいいのか見当がつかないというのが当時の現実ではなかったかと思います。

このブログでは、まず長期不況で歪んだ雇用構造の復元からと考え、円安の差益を使って非正規雇用の正規化を指摘しましたが、現実の経営の場では非正規は増え続けました。

そんなこんなで今日まで、色々な宿題が残されています。そこでその状況の点検です。

先ずは、政労使の逆順で、「使用者」サイドから見ていってみましょう。

「春闘の終焉」で産労懇も1990年代には自然消滅したようですが、産労懇に代表を出していた日経連は2002年、経団連と統合しました。
結局経団連は「経済団体」で「経営者団体」つまり労働組合の相手が本業ではありませんから、連合との関係は疎遠になってしまったようです。連合も、結果的に経団連と親交を持つという訳にはいかない様です。春闘対応の出版物「経営労働委員会報告」も大変分厚く立派になっていますが、労働問題全般の解説書のようになり、最後に春闘への取り組みが記載されるという定期出版物になって日経連時代の春闘の賃金決定のために必要なことだけに集中したといった形ではなくなっています。

日経連の初代会長桜田武のような人がいれば、官製春闘にはならなかっただろうとか、日経連のOBが「今、日経連があれば、非正規の正規化を言っていただろう」などという話がありますが、労使の接触の希薄化は矢張り問題でしょう。

一方、連合については、嘗てからの賃金決定論を忠実に守って来た事が特徴的なように思われます。
長期不況の中では春闘の際の連合白書の基本姿勢は「一年先輩の賃金の軌跡を追う」といった形での、定期昇給維持、賃下げは認められないというのが基本線でした。

2013年為替レートが円安に転換してからベースアップ1%、2%といった程度の要求が出て来て、実質的に賃上げ要求が始まったと記憶します。
然し、日本経済は2年間で$1=80円から120円への大幅円安にも拘らず、それが日本経済全体に浸透せず、経済の回復は遅々としていたところから春闘要求はベア2%プラス定昇といったモデストなものが中心でした。

政府の賃上げ目標がインフレ2%、賃上げ3%以上といったものであったことと比べれば、労働組合としては大変やりにくかったのではないかと思うところです。

連合としては、「働き方改革」の裁量労働の拡大問題で、政府の統計の誤用、経団連との意見の違いなどのごたごたに振り回されたこともあり、賃上げでの政府との調整をしようにも、コミュニケーションのルートを見つけることすら至難だったのではないでしょうか。。

こうして至る所に政労使三者のコミュニケーションの悪さが出て来るのですが、次回、政府の問題を取り上げてみましょう。

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