九州工業大学飯塚キャンパスというのはユニークな教育環境を持っているようです。
今朝の朝日新聞にも紹介されていました。今後の産業発展の心臓部のように言われ、世界が高性能化の開発競争をしている半導体についてですが、その半導体の製造装置の全工程を、クリーンルームに入ることから始めて、実際の機械を見て、触って学べるという事で大人気とのことです。
今や半導体製造は、設計から最後の検査まで多くの工程に細分化され、それぞれの工程が超高度な技術によって支えられているとうのが実体でしょう。
飯塚キャンパスにいけば、その細分化された全工程を一貫して現物を見、手で触って研修を受けられる施設が用意されているというのです。
この部門は「マイクロ化総合技術センター」というのだそうで、センター長の中村和之氏が自らの経験から、技術が高度化し細分化されればされるほど、全体の見る目が大事になるという考え方に立つ施設だそうで、日本有数の半導体企業の新入社員研修から学び直しの場としての研修まで、参加者が増え続けているとのことです。
アダム・スミスが「国富論」で分業による生産性の向上を書いていますが、産業技術の発展は分業と総合の合理的で緻密な連携を必要としているようです。
部品の規格を統一化した製品を作り、部品を取り換えるだけで製品は新品同様に機能するという方式を最初に取り入れたのは「ウインチェスター銃」だという話を聞いて感心したことがありましたが、そこには製品と部品、つまり部分と全体の関係をしっかりと把握している人が居るのだろう、その人がウィンチェスターという人なのだろうと思いました。
今は自動車でも、コンピュータでも、飛行機でも精密な部品の集合体です。そして部品すべてが完成品の性能に最適な機能を果たすように設計され製造され、そして利用されています。
その上に、最終製品の性能は常に高度化し、部品はそれを支える最適なより高度な機能を持たなければなりません。この製造プロセスの細分化と完成品の総合能力の向上を実現するために必要なのが、部品の製造過程の中にも最終製品の姿(性能)がイメージされている事が大事だという見方があります。
生産工程が細分化されればされるほど、部品と完成品の関係、部分と総合のあるべき関係を、それぞれの部分の担当者が正確にイメージできるかどうかが大きく関わってくるのではないでしょうか。
分業は作業を単純にします。それが効率化、生産性の向上を可能にすると考えたのは産業化の初期の姿でしょう。しかし作業の単純化は同時に作業の非人間化にもつながります。人間関係論はそこから生まれました
実はこの辺りが、日本的経営の出番だったようで、QCという統計作業を「QCグループ活動」に発展させた日本人の知恵がかつて一世を風靡しました。
この日本人の考え方の特性は、今も生きていて、部分に携わるものも全体を理解し、全体に繋がろうという活動の重視になっているようです。出発点は部分でも、それは常に全体の理解の中での部分、といった意識や活動が注目されるのではないかと感じるところです。
冒頭の「マイクロ化総合技術センター」の発展を期待します。