tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

正規雇用の発生 その2

2014年08月12日 11時26分03秒 | 経営
雇用の発生 <2007年9月8日付のリメイク版> その2
 景気は回復基調ですが、賃金はなかなか上がりません。この夏のボーナスの平均増加率はかなり高かったようですが、月例の賃金水準はあまり上がりません。企業は人件費の増加には常に慎重なようです。

 という事で、個人の場合の雇用発生の条件の一つは、端的に言って、その人が「給料以上に稼いでくれる」可能性が大きいという事でしょう。
 面接担当者が、いろいろ質問するのも、この人を雇用して、わが社で仕事をしてもらった時、企業としてペイするとの確信を持ちたいからです。

 企業としては、「私は100円稼ぎますから給料を60円下さい」という人なら間違いなく採用されるでしょう。
 企業にとっては、給料分だけ稼いでくれるのではだめで、給料プラス資本費(利益や借入金の利息や減価償却費など)の分も稼いでくれないと企業は存続していけません。通常、付加価値(稼ぎ)の7割以上を人件費に払うようでは企業はキツキツで、6割台になると何とか一息というところでしょうか(この7割とか6割というのが「労働分配率」です)。

 更にもう一つ条件があります。不況になった時の対応です。不況時には、欧米では従業員を解雇して雇用を削減し、日本では、残業やボーナスを減らしたり、一時的に賃金をカットしたりして雇用維持を図って来ました。

 しかし日本でも長期不況の中では、人員削減も見られました。同時に正規従業員を非正規従業員に置き替え、平均賃金水準を下げるという方策も採りました。その結果「格差社会」といわれる後遺症が残り、問題になっています。

 Hire and fireと言われるように解雇が容易な国ぐには別として、日本の場合は特に正規雇用の増加には慎重で、会社が苦しい時は共に苦しんでくれる人を求めます。
 そういう意味では、自分はこのように会社に貢献できますという点を明確にし、それが採用担当者に、この人の能力と人柄なら、「将来苦楽を共に出来るという可能性も含めて」会社の役に立ってくれると感じさせることが雇用成立の条件と言えるでしょう。
 
 採用担当者にとって『採用』という決定は、会社として、今後長期に亘り、この人間の生活に責任を持つとの意思決定という意味で、大変重いのです。
 
 必要な職務に必要な人間を張り付ける「職務中心」の雇用(日本でも非正規雇用は同様)と違って、会社という組織と入社する人間との相互の信頼と約束としての性格の強い日本の雇用への認識がそうさせるのでしょう。

 「もっと気軽でいいじゃないか」という意見も最近多いようです。しかし、日本企業は、そうした伝統が「いざという時、会社の強みになる」という経験を持っているので、簡単には変わらないようです。

雇用の発生

2014年08月11日 09時55分34秒 | 経営
雇用の発生 <2007年9月8日付のリメイク版> その1
 雇用とは何でしょうか。今日、どこの国でも、経済政策の最重要な課題は雇用のようです。アメリカの雇用指標で世界の株価が動き、先日はオーストラリアの雇用指標悪化で、オーストラリア・ドルが下がり、日本では、有効求人倍率の上昇、失業率の低下で安倍総理は胸を張る。
 このブログも、雇用指標の改善にはもろ手を挙げて大歓迎です。
 近代経済学の巨人、J・Mケインズの「一般理論」でも表題の最初は「雇用」です。

 雇用とは一体「なんで」そんなに重要なのでしょうか?
 個人的には、失業の深刻さを考えれば、雇用の大切さは理解できます。失業が多くなれば、失意の人が増え、社会は不安定になり、政権担当者は選挙で票を失うという事になるのでしょう。やっぱり雇用は重要です。
 実は、雇用というのは、今日の社会における人間生活の最も重要な部分なのです。

 雇用は理論的に言えば、「働いて所得を得る」という事です。働くというのは雇用か就業(自営業)で「GDP(一国の付加価値)生産活動に参加する」という事で、今の社会では雇用の方が圧倒的に多数です。そして、そこから所得を得るというのは「その仕事が社会の役に立っているという証拠」なのです。

 人間は人間の生産したものを消費して生きています。昔は家族単位の生産・消費、今は国単位の生産・消費が一般的です。そして生産したものを、今年食べる分と、来年の種用に分けて、人間生活を持続可能なものにするのです。
 この「今年と来年の分に分けるというのは、労働分配率論議で、これは別途書いています。
 今日の企業で言えば、今年用は「人件費」、来年用は「利益」(=投資)という事でしょう。

 ところで、雇用を生むのはこの「人件費」です。トータルの人件費を一人当たりの人件費(≒平均賃金水準)で割ったものが雇用量です。

 雇用量 = 付加価値×労働分配率 /平均賃金水準 

という事になります。ですから、雇用量を増やすには「付加価値を増やす」か「労働分配率」を上げるか「平均賃金水準を下げる」かです。

 来年以降のことを考えれば、労働分配率を無暗に上げるわけにはいきません。種籾まで食べてしまっては、来年の収穫に影響します。

 賃金も上げ、雇用も増やし、というためには経済成長が必要です。 付加価値(GDP)が3パーセント増えれば、賃金引き上げに2パーセント、雇用増に1パーセントといった配分が可能になります。
 これがマクロにおける雇用発生のメカニズムの基本です。次回は個人の場合を考えてみましょう。

アルゼンチン問題とゴルフ会員権

2014年08月10日 09時41分12秒 | 社会
アルゼンチン問題とゴルフ会員権
 今日は日曜だという事で、たわいないことを書いてしましました。お手隙でしたら、お読みください。
 バブルの頃の話です。わたしの友人が、大金を払ってゴルフクラブの会員権を買いました。私にも都合のいい場所なので、よく連れて行ってもらいました。

 そのうちにバブルが崩壊し、ご他聞に漏れず、そのゴルフクラブも「いずれ倒産」という事になるようで、会員権の値段はどんどん下がりました。
 あまり下がるので、これなら私にも買えるようになるかな、と思っていましたところ、100万円という所まで下がってきました。

 もっと待っていれば、もっと下がったのですが、「ここまで下がれば」と思い切って、私もそのゴルフクラブの会員権を買いました。

 正式に会員になったという事で、ゴルフクラブから預託金の証書が送られてきました。立派なフォルダーに入って、預託金の金額は14,400,000円と書いてありました。
 友人に「僕も君と同じ14,400,000円の証書をもらったよ」と言ってお互いに笑いました。どうせ払われないカネだという事は解っていました。

 私の払ったのは100万円ですが、友人は2000万円近い金額で購入していたのだと思います。友人はまさに苦笑いです。

 そのうちにゴルフクラブから通知が来て、更生会社になって、100分の1に減資ということになりました。14,400,000円は、144,000円になりました。

 恐らくは会員の皆様は、これも運が悪かったのだと諦めたのでしょう。たまたまそのゴルフ場で一緒にプレーした中小企業の経営者の方が、「これだけ損が出たのだから、会社の損金で落とせるのだが、損金で落とすほどの利益が出ない」とボヤいておられたのを覚えています。

 ところで最近アルゼンチンをデフォルト状態に追い込んだ、アメリカの某ヘッジファンドの提訴についての アメリカ連邦裁判所のグリーサ判事の判決が報道されました。
 そのファンドは、値下がりしたアルゼンチン国債を買い叩いて取得、額面で償還しろと訴え、認められたとのことでした。

 私は100万円しか払っていませんが、何とか14,400,000円払ってもらえないかとグリーサ判事の判決をもらう方法を研究しています。
   <このブログの最後の部分はフィクションで、実在のものとは関係ありません>

新しい資本家の登場と経営者

2014年08月09日 09時49分06秒 | 経営
新しい資本家の登場と経営者<2008年8月9日付のリメイク版>
 今日のように、一般大衆が株式という形で企業に資本を提供する社会では、資本家という影は薄れて、経営者の時代になったという認識が一般的です。1941年、James Burnhamが「経営者革命(Management Revolution)」を書いたのはまさに先見の明だったという事でしょうか。

 駄洒落を言えば、IRと言えば、かつてはIndustrial Relations(労使関係)でしたが、いまはInvestors Relations(株主関係)というのが一般的なようです。
 失われた20年で春闘の影は薄くなり、一方マネー資本主義の流行で株主総会は大荒れになるという時代の変遷を映したのでしょう。

 株主総会が大荒れになるというのは、多くの場合、いわゆる「モノ言う株主」が登場したからでしょう。
 大衆株主の多くは、その企業に縁があったり、その企業が好きで肩入れしようと長期的にその企業の株を持っている場合が多いでしょう。ですからその企業がゴーイング・コンサーンとして長期に発展してくれれば、まさに期待に沿ってくれているという事になります。

 しかし物言う株主の多くはいわゆる「投資ファンド(private equityなど)」で、債券、証券、そのデリバティブなどを活用して、マネーゲームで短期的に利益の極大化を狙う組織です。これはいわば「新しい資本家」の登場です

 こうした組織は、社会における企業の本来的な活動(役割)といったものには関心がなく、単に投資対象の価格変動を利用して、投資資金へのリターンを増やすことにしか関心がありません。それはそのファンドに投資する人たちが、短期のリターンの極大化を目的にしていますから、それに応えることが、ファンドマネジャーの使命だからです。

 しかしその結果は企業経営や実態経済の活動に役立つこととは関係ないマネーゲームとなり、配当を上げさせて一時的に株価を引き上げ、上がった所で売り逃げるといった行動や、地域の必要に応える大事な仕事でも、儲けが少なければやめて、儲かる仕事に投資しろといった要求にもなります。

 資本主義の初期、資本家が非難されたように、実体の経済活動の意義を意識しない利益だけを求めるカネは、人間の悪い側面である「強欲」の虜になるのでしょう。「新しい資本家」は資本主義初期の資本家に似て強欲です。これは資本主義の退化以外の何物でもありません。

 経営者は、この「新しい資本家」への対応も、良識ある株主、良識ある社会の意見を背景に、確りとやらなければならないようです。

経営者の仕事、経済社会の発展と調整

2014年08月08日 11時09分54秒 | 経営
経営者の仕事、経済社会の発展と調整<2008年8月6日付のリメイク版>
 企業というのは、ベニスの商人にも出てきますように、「ひと儲けしようと東洋に船を出す」といった事業だったのでしょう。成功すれば出資者が儲けを山分けして終り。また次のチャンスを探すのです。

 ところが、ジェームス・ワットの蒸気機関の発明などで、繊維産業とか鉄道事業とかになってくると、一儲けして終り、という訳には行きません。事業を永続的に継続しなければならなくなりました。

 工場や店舗を持って永続的に事業を行う。ゴーイング・コンサーンの始まりです。
 多くの人から株式という形で出資を求め、その資本を投資して事業を行うという株式会社が考案され、これが事業の一般的な形になっていきました。

 日本には聖徳太子の時代から続く建築業の「金剛組」を筆頭に、創業100年、200年という寿命の長い会社(超長期のゴーイング・コンサーン)が世界でも格別に多い国です。ドラッカーが日本に来てそれを知り、彼のマネジメントの思想に取り入れたことは容易に理解できます。

 株式会社でも地方自治体でも国でも、そのトップは今やオーナーではありません。その企業や組織の運営(経営)を「たまたま」委託されている人です。その人に必要なものは、そこに存在する(組織化されている)人間と資本、技術、情報などを最も効果的、効率的に活用して「社会の要求に最も良く応える」という仕事です。

 国や自治体も行政というサービスを売って、税金という対価を貰うと考えれば、株式会社と似てはいますが、ここでは株式会社(民間企業)の経営者を中心に考えます。

 企業がゴーイング・コンサーンとして永続するという事は、社会がその企業を必要としているからです。社会が必要としなければ、誰もその企業の商品やサービスに金を払わず、企業は消滅します。

 経営者のやるべきことは、その企業が存続し続けるために(企業は競争社会に棲んでいますから競争に勝たなければ存続しません)販売、製造、技術開発、情報の収集・活用の最適なバランスを考え、それらを担当する人間(従業員)を適切に配置し、それを適切に実行するように働いてもらうことです。 
 これらを実行するのは経営者・管理者を含め、すべて人間ですから、最後には人間の問題が最も重要になります。。

 これで売り上げが増え、付加価値が増えれば経営は半分成功(発展の面)ですが、経営者には、こうして創り上げた付加価値を「適切に分配する」という役割もあります。
 人件費と利益にどのように分配するか。利益からは法人税も取られますが、さらに、株主への配当と新規投資のための自己資金となる内部留保とをどのように決めるか。これも経営者の重要な役割です。

 労使の配分に不満が出れば、労使関係が悪化し、企業の生産性は落ちるでしょう。株主への配当が少なければ、株主の不満は企業の資本調達に影響します。

 経営者の役割というのは、こうして企業のすべての関係者(ステークホルダーズ=広く見れば社会全体)に満足してもらえるような発展を担い、さらに最適なバランスを考えて実行する賢明な「経済社会の発展の担い手と同時に調整者」という極めて重要な役割なのです。

経営者とは何か(資本家と経営者)

2014年08月07日 09時27分52秒 | お知らせ
経営者とは何か(資本家と経営者)<2008年8月4日付のリメイク版>
 資本家と経営者は、時に同じ人だったりしますが、その機能や役割は全く別のものです。
 資本主義の初期には、おカネを持っている資本家が企業を経営するというのが一般的だったようです。

 おカネ(資本)を持つと、人間という生物はどうも強欲になり易いようで、資本家は労働者を搾取の対象としてコキ使い、社会正義に反することが多かったようで、その結果、対抗するイデオロギーとしての社会主義や共産主義が生まれました。

 資本主義がそんなに悪いものならば、疾うに失敗し、消滅していたはずですが、70年たって、現実は、共産主義国家が崩壊、あるいは変質(中国の社会主義市場経済など)し、資本主義が一般的という世の中になりました。

 何故でしょうか。それは資本主義自体がより合理的なものに変質してきたからという事でしょう。共産主義が、独裁的、全体主義的ななって行ったのに対して、資本主義はより自由な、より民主的な社会をつくるように変質したからでしょう。

 その大きな要因の1つが「経営者」の登場です。これは常識的には企業において登場したのですが、実は、政治家も、その国の経営者という役割を果さなければ、国民から選ばれないという事になって、大統領や総理大臣は、国の経営を巧くやるのに一生懸命というのが現実ではないでしょうか。

 そういう意味では、資本主義という言葉は、既に今の社会にふさわしくないのでしょう。日本の企業は「人間が最も大切」と言いますし、政治家も資本より選挙民(社会を構成する人々)がより大事という事であれば、社会重視主義とか人間主義と言うべきかもしれません。

 1941年、アメリカではJames Burnhamが「経営者革命」という本を書き、資本家と経営者の分離を予言しました。ドイツでは1910年代、ニックリッシュが(労使の)共同体経営の概念を主唱し、戦後、ギド・フィッシャーが「パートナーシャフト経営」に普及に貢献しました。
 日本では戦後、桜田武が「企業は公器」(桜田武論集)という表現で、経営者は社会のために公器(企業)をあずかる者とその在り方を説いています。

 こうした考え方に共通するのは、「経営者というのは、自分の経営する組織を、社会全体により良く貢献する存在にすることによって、自らの経営する組織と社会全体のより良い発展を図ることをその使命とする」という思想でしょう。
 経営者というプロフェッショナルが生まれたのです。

 これは、資本家の自分の保有する資本を出来るだけ大きくするという目標や考え方とは全く異質なものです。
 
 今、経営、マネジメントというと、ピーター・ドラッカーが有名です。ドラッカーの経営学(組織運営の在り方学)は、学校の運動部のマネージャーにも役立つという本が登場するまでに、「マネジメント」という概念を普及させました。

 最後に余計なことを付け加えますが、ドラッカーは日本の企業経営を研究して、まず日本で有名になり、そこから世界的に有名な経営学者に大成していったとという事をご記憶の方も多いと思います。

付加価値と利益

2014年08月06日 08時57分43秒 | 経営
付加価値と利益 < 2009年2月26日付のリメイク版>
 ネット上でも、付加価値は粗利益に近いとか、限界利益と類似の概念といった解説もあるようですが、こういうのは大抵会計や財務の出身の方の見方で、労働経済分野出身お方はそうした意見には賛成しないようです。

 何故でしょうか、理由は多分、付加価値は利益と人件費の合計であるという「基本概念」が経理財務の方には理解しにくく、労働経済の方はもともと人間中心で常に「利益と人件費」を一緒に考えているからでしょう。

 利益と付加価値の基本的な相違は、利益は企業(あるいは株主)に帰属するものですが、付加価値はそれに「従業員に帰属する人件費」を加えたものという違いです。

 基本的な説明をすれば、付加価値というのは、企業を構成する「資本と人間」つまり生産要素が(昔は生産の3要素は土地・労働・資本といいました)経済活動を行う(人間が資本を使って生産を行う)ことによって、世の中に生み出された(付け加えられた)新たな経済価値のことです。

 ですから生み出された付加価値は、生産要素である「資本と人間」に分配されます。そして、大雑把に言えば、資本への配分が利益、人間への配分が人件費ということになり、利益と人件費とを足したものが付加価値ということになるわけです。

 日本人は日本が生み出した付加価値(GDP)で生活しています。GDPは人件費(雇用者報酬)と利益(営業余剰)と財産所得(利子・配当・地代・家賃など)と減価償却に分配されています。
 それぞれの企業で生み出された付加価値は、従業員とその家族の生活を支え、株主に配当を、銀行に利子を払い、残りは内部留保として、企業の発展(技術開発や市場開拓など)に使われます。

 企業の目的が「付加価値の創造にある」というのは、それによってGDPが増え(経済成長)、国民の生活レベルが上がるからです。(この間までのマイナス成長下の苦労は大変でした。)
 
 では、毎年、より大きい付加価値を創るためにはどうしたいいのでしょうか。そこで利益(特に内部留保)の役割が登場します。利益は企業の中に資本として蓄積され、新しい技術開発や生産設備となって、生産性を向上 させ、国内、海外の市場開拓を可能にし、企業の成長(より大きい付加価値の生産)を可能にします。
 これは、利益が出ない企業は結局倒産して、付加価値生産そのものが出来なくなってしまうという現実からも明らかです。利益は付加価値を増やす「手段」として必要なのです。

 企業にとって付加価値とは何か、利益とは何かといった問題については、折に触れてこのブログでも取り上げてきましたが、矢張り一度、はっきり整理しておこうと取り上げてみました。

企業の目的

2014年08月05日 10時57分19秒 | 経営
企業の目的 <2007年8月28日付のリメイク版>
 此の所日本の企業に元気が戻ってきました。企業が元気だという事は、消費者も元気だという事です。企業は求人を増やし、非正規雇用を正社員に登用し、確り教育訓練をして、将来の企業発展のための人材の確保・育成につなげようとの動きも見られます。

 そんなことからも見られるように、企業も今後の日本経済の発展に、長期的な展望を持って来ているように思われます。企業が元気という事は、社会全体が元気になる原動力でもあります。

 ところで、「企業の目的」は何でしょうか。これは古くて新しいテーマです。
 欧米人の回答では、矢張り、「利益」という答えが多いようです。アジアの経営管理者に聞いても「利益」という答えは多いですが、これはアメリカのビジネススクールなどで学んだ人が多いことの影響かもしれません。

 日本では、伝統的に企業については違った見方が一般的です。ほとんどの会社は「社是」や「企業目標」を掲げていますが、その中で真っ先に「利益」と掲げている企業はおそらく皆無でしょう。三菱グループの綱領第一条の「所期奉公」は良く知られていますが、多くの企業の社是や社訓には、社会の発展への貢献、国民経済・世界経済の進歩、顧客の満足、技術革新の進展、人を育てる、従業員や家族の幸せ、などなど多様な目的が書かれています。

 このブログで常に書いています「企業は社会に豊かさと快適さを提供するシステム」という言い方も、日本企業が目的とするところを集約した結果です。

 最近のアメリカ流の、マネー資本主義に基づく「金融工学」などで考えれば、企業はおカネでおカネを稼ぐために存在するので、瞬間的にでも利益が実現できる時は徹底して利益を追求するというのが、出資者への責任である、というのかもしれませんが、それは企業と出資者の強欲を満たすためで、「社会」という視点はそこにはありません。
 現実の世界では、企業は、顧客に満足や便利さを提供したり、雇用を創出したり、雇用した人に所得を配分したり、技術を開発したり、投資によって途上国の経済を発展させたり、関連する企業と協力して共に発展し社会に貢献したり、税金や社会保険料を支払って国や地方自治体を支えたり、いろいろなことをしています。

 企業というものは人間が考え出した大変優れたシステムで、人間と同じように、いろいろなことが出来るのです。良いことも悪いことも出来ます。悪いことも出来るというのは別にしても、「企業は多目的な存在」「多様な目的を同時に果たすことが出来る存在」ということが出来るでしょう。

 そしてそのための原資になるのが「付加価値」です。このブログは「付加価値」という概念を中心においていますが、社会にとって重要なのは、利益ではなく付加価値だと考えるからです。

カジノで観光客を・・・?

2014年08月03日 09時49分05秒 | 社会
カジノで観光客を・・・?
 外国からの日本への観光客が昨年初めて1000万人を突破しました。今年は上半期ですでに600万人、通年では1200万人が期待されるそうです。とはいえ、国際的に見ればまだまだ少ない数字です。これからの伸びる余地は大きいでしょう。
 ヨーロッパ社会から見れば、ファーイースト、まさに東のはずれの遠い国、しかもこの20年、異常な円高で「日本には行ってみたいけど、高くついて大変」という状態でした。

 昨年からの2割ほどの円安で、日本への旅行の安くなりました。観光客急増の大きな背景でしょう。
 もともと日本には西欧文明とは異質な沢山の観光資源があります。芸術の世界でも、かつてのフランスのジャポニズム、ボストン美術館の膨大な日本の美術品の収蔵等は広く知られ、産業の世界では、世界に広まる精密機器の原産地、質が良く信頼性の高い日本製品への評価があります。

 さらに最近相次いで世界遺産に登録される自然遺産、文化遺産、中でも富士山はヒマラヤやヨーロッパのピークほど高くはありませんが、海面から一気に3776メートルに達し、その均整のとれた美しさは世界に類を見ません。
 また沖縄から北海道まで南北に長い複雑な地形の列島は、多様な文化を生み、これは多様なDNAの共存、多様な文化・宗教の共存という伝統文化、歴史とともに、日本独特の形を見せています。

 さらに加えれば、最近世界に発信されている、日本の多様な食文化、ジャパニーズ・クール、KAWAII、おもてなし、などの日本社会の在り方の人気上昇などなど、これから日本観光は着実に伸びていくと思われます。

 こうした中で、安倍政権は、観光客誘致の目玉として「日本にもカジノを!」と言っているようです。日本人として、余りに日本人本来の「心」を知らない発言と嘆くのは私だけでしょうか。

 金持ちの観光客を呼ぶためにとか、地域おこしに有効とか、理由は挙げられているようですが、些か心得違いが過ぎるのではないでしょうか。
 何時も述べていますように、日本人はおカネについても「その由来」によって区別をしているのです。同じカネでも「あぶく銭」は蔑視されるのです。観光収入のためなら、稼げるのなら、「ギャンブルだっていいじゃないか」というのは本来の日本文化とは違うようです。
 地域おこしにしても、わが町をギャンブル産業で豊かにしようと住民がこぞって賛成する地域があるでしょか。

 かつて書かせて頂きましたが、日本は「普通の国」になるべきではないのです。日本は日本の、日本人の持つ本来の「心」、縄文以来保持してきた日本の自然、その上に築いた伝統文化、産業さらにジャパニーズ・クールやおもてなしなどなど、上に述べたような、自然に発生してくる日本の魅力で観光客に来ていただくの本来の姿でしょう。
 日本独特の姿「日本らしさ、日本の特色」を十分に生かし、それを世界に発信することが、世界中から観光客を呼べる原動力なのではないでしょうか。

2種類の「金融」の峻別を 1~2<2011年10月26・28日付のリメイク版>その2

2014年08月02日 09時06分06秒 | 経済
2種類の「金融」の峻別を 1~2<2011年10月26・28日付のリメイク版>その2
 前回の冒頭で触れましたように、企業に融資をして企業の付加価値生産の中から適切な金利を受け取るという実態経済の成長に貢献する金融機関の活動が懐かしく感じられるほどに、「金融といえばマネーゲーム」という認識が広まっています。

 金融機関の従業員の間でも、本来最も重要な「経営支援」よりも、「外国為替」や「金融商品」「デリバティブ」など金融工学分野の方が人気があるのではないでしょうか。
 もし日本の銀行ではそんなことはないというのであれば、日本の金融機関は健全だ、と思うと同時に、今のマネー偏重の金融世界では損するなと思わざるを得ません。

 今の「ゼロ金利で金融機関の本来業務が銀行の収益に繋がらない」という事態は、資本主義経済社会の本来の姿ではありません。
 何時までも、経常赤字が治らないアメリカが、覇権国、基軸通貨国という地位を維持するために、無理に無理を重ねて作り出した「かりそめ」の世界です。

 ご当人のアメリカでさえ、今回のテーパリングが巧く行けば、ゼロ金利は止めて金利引き上げを考えると言っています。
 本当にそうなれば、日本の異次元金融緩和、ゼロ金利政策も不要になり、金融の世界は次第に正常に戻るでしょう。

 残念ながら、先行きはアメリカ次第ですが、日本としては、出来るだけ金融の本来の姿、実体経済の成長に役立つのが金融の本来の役割という視点を中心に金融機関の活動を積極化して欲しいと思います。

 日本には歴史的に、「額に汗したカネ」と「あぶく銭」を識別する能力があります。
 金融を含め、あらゆる経済活動は、GDPの増加に貢献してこそその意義があるという視点を堅持して欲しいと思う所です。

2種類の「金融」の峻別を 1~2<2011年10月26・28日付のリメイク版>

2014年08月01日 09時29分01秒 | 経済
2種類の「金融」の峻別を 1~2<2011年10月26・28日付のリメイク版>
 先日TVで、ある地方の信用金庫が地域の元気な企業を発掘し、そうした企業への積極的な融資を中心に企業と共に発展しようと活動しているのを取材し報道していました。
 見ていて、何か懐かしい感じを強く持ちました。

 もともと銀行というのは企業に融資して支援するのが仕事だったのです。広く個人や企業から預金を集め、その資金を活用して、資金不足の企業に融資し、その企業の発展の成果(付加価値増)の中から金利を受け取り、企業と共存共栄をしてきたのです。
 過日、銀行員の友人が「今じゃ銀行員も企業に金を貸すんじゃなくて、投資信託を売り歩いて手数料稼ぎさ」など自嘲的に言っていたのを思い出します。

 Q何故こんなことになったのでしょうか。(QC流に「何故」を繰り返してみます)
 A直接の原因は、預金金利と貸出金利の差が小さくなりすぎ、本来の業務が成立たなくなったことです。
 Q何故金利差がなくなったのでしょうか。
 A日本経済がデフレになり、ゼロ金利政策がとられたからです。
 Qゼロ金利でも企業は金を借りないのでしょうか。
 Aデフレで企業は消極的になり、事業をするより、資金を貯めて倒産を回避するという防衛的な経営になったからです。
 Q何故日本経済がデフレになったのですか
 Aプラザ合意やリーマンショックで、大変な円高になったからです。
 Q何故そんなに円高になったのですか。
 A日本経済が真面目に借金などせずに、頑張っていて、ドルなどほかの通貨に比べて価値が下がらない「安全通貨」と見られているからです。
 Q日本は借金しないのに、何故外国は借金などするのですか。
 Aアメリカが典型で、自分で作り出したGDP以上の生活をするから、経常収支が赤字になり、借金しなければならなくなるからです。
 Q何故アメリカは稼ぎ以上の生活をするのですか。
 Aそれはアメリカに聞いてください

 というようなことになってきます。ベトナム戦争で体力をすり減らしたアメリカは、その後40年以上、経常赤字を続けています。その分は外国から借金しなければなりません。
 そのために開発したのがマネー資本主義、金融工学です。そこに新しい金融機関の役割が生まれました。

 経常赤字を資本収支で埋めるためのマネーゲームです。リーマンショックとして名を遺したリーマンブラザーズのような「投資銀行」からヘッジファンドまで、こうした金融機関の仕事は、カネでカネを儲けるという「富の移転作業」です。

 富の移転作業ですから富の創造(付加価値生産)ではありません。悪く言えばギャンブルの範疇に入るものでしょう。

 万年経常赤字で、常に外国からのファイナンスを必要とするアメリカが、覇権国・基軸通貨国の権威によって作り上げた「金融(マネー)資本主義」を支える金融機関です。
 
 今や世界では金融の世界は「付加価値創造に貢献する金融機関」と、「他人が作った付加価値を自分の所に移転させる金融機関」の2種類に分かれるようです。(以下次回)