東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

好きこそ物の上手なれ

2022年12月16日 15時00分00秒 | 引退ブログ
470チームリーダー兼主務を務めておりました、工藤光生です。

ヨット部に入ってからの日々は当時は永遠かのように感じられたのに、こうして引退ブログを書きながら思い返してみると一瞬の日々だったように思います。

ヨット部に入り、爽快なスポーツと愉快な人々との日々が新鮮だった1年生
本格的な練習が始まってすぐにコロナが流行り自分の非力さを感じた2年生
レギュラーに選ばれ好き放題にやらせていただいてヨットに熱中した3年生
チーム運営で頭を悩ませこれで良いのかと自問自答を繰り返していた4年生

4行で収まってしまいました。
流石に無理矢理収めた感がありますが、
正直1年生から3年生までは先輩たちに与えていただいた素晴らしい環境の下で、
自分の上達ばかりを考えていました。
お陰様でヨットは上達することができましたが
東大ヨット部の掲げる「人間的成長」という活動理念には
ほとんどかなっていなかったように思います。

しかしながら、4年生となってからの1年間は最上級学年としてチームを運営する中で
1人でスポーツをするだけでは得られない数多くの経験をすることができました。
てなわけで最後の1年間を振り返っていこうと思います。





スローガン:「好み好まれる」
年間目標:「全日本総合入賞」

この2つが活動の軸でした。

どちらも去年の代替わり後に4年生ミーティングで話し合った後、部員に発表したものです。
ミーティングは文字通り1日中朝から晩まで話し合いました。
初めて同期と真剣に部活の運営について語り合って、頭が割れそうになるくらい疲れました。
ミーティングを通して最上級生としての自覚と責任が降りかかってきました。

「全日本総合入賞」をするためにどのようなチームを作っていくのか。
僕らの代で決めた方針が「好み好まれる」でした。
自分たちがヨットそしてヨット部を好きになる。
ヨット部に関わる方々にヨット部を好きになってもらう。
好んで好まれてというサイクルが循環していって欲しい。
そんな思いを込めました。


代替わり後の練習。
同じ目標を共有すること、そして1年生にヨット部を好きになってもらうことが大きな課題でした。
当時の東大は2年ぶりに470チームが片クラスで全日本インカレ出場ができたという状態で、
全日本インカレ経験者は自分と調だけでした。
その中で、全日本インカレ入賞がどれだけ高い目標で、でも目指すことのできる価値のある目標だということを、いかにチームのみんなに理解してもらうか、それが課題でした。
とりあえずチームの目標を意識づけるために、ミーティングの度に口に出すように意識しました。
1年生の状況はさらに深刻でした。当時の1年生は合宿所の宿泊制限などもあり、ヨットに乗れないのに加えて同期や先輩との交流も満足にできないという状況で。当然ながらヨット部への不満も溜まっていることが、自分にも伝わっていました。。そのままいったら2月の春合宿開始の時には半分以下に減ってしまうんじゃないか、という危機感がありました。
何とかしてヨット部を好きになってもらおうと、1年生の指導や交流に専念しました。
八景島レースやコース練を通して何とかヨットの楽しさが垣間見せれたかな、というわずかな手応えで年内の活動が終わります。


オフは自主練ときどき1月レクといった様子でした。
風の噂で聞こえてくる1年生の評判が嫌で嫌でたまりませんでした。


2月の春合宿初め。部員が4人減りました。そこから春までにさらに2人減りました。
それぞれの部員に、ヨット以上にやりたいことがあるという前向きな理由でした。
誰も蒸発するようなことはなく、全員が挨拶にきてくれました。
でも、「好まれる」ことの難しさを痛感した。

どうしたらヨットの楽しさを伝えられるのだろう。
どうしたら部活の雰囲気をより良くできるのだろう。
勝てるチームと全員に好まれるチームの両立とは。

引退までつきまとう課題が見つかりました。

そこからの春合宿は怒涛のようでした。
無限に動作練習とラウンディングをして。
夜中には、整備と陸シミをして。
4年生なのにオフには家から出られないほど、
毎クール心身ボロボロになって。
本当にキツかったけど、1年間の基礎はあのとき作られた。


春の葉山。
高原組んで91で出たフリートレースは基本的に絶好調。
以前の自分では考えられないような相手と競うことができて。
早稲田や日大に追われるランニングは、心臓の音が響き渡りそうなくらい緊張していたけれどそんな舞台に立てていることが幸せだった。
自分以外の船も徐々に冬の成果が出始めていて。
手応えのある時期でした。


新勧期間。
新勧の裏でインカレメンバーの一部が練習するという前代未聞の挑戦をした。
新入生の入部ペースが例年よりも遅かったこともあり、部内に焦燥と不安が生まれる。
ディンギーの下級生とクルーザー班には多大なる迷惑をおかけしました。
申し訳ありません。1年生、入ってきてくれてありがとう。


春インカレ。
出艇前に丸山や加藤が緊張していて可愛いなぁって思いながら声をかけて出艇。
第1レースを終えて470は暫定3位。
それぞれが順位を上げてくる展開でまぐれじゃないと思えた。
しかし、最終的には2日間で6レースを終えて7位。
日本大学が出場していなかったこともあり、例年と変わり映えのしない成績。
手応えはあっただけに余計悔しい。
全日本入賞への道の難しさを感じた。


個選。
オリンピックなどの影響を受けず久々に6月末から7月頭にかけての開催だった。
全日本入賞という目標のために、複数艇での出場を目指した。
自分は3年生全日本以来、もう2度と組むことができないと思っていた調とのペア。
全個に行くという願望だか義務だかわからないプレッシャーを感じてた。
ペアが決まってからの1ヶ月、ガムシャラに乗りまわした。
毎週月曜日に試験があるなかで、週2回に自主練をねじ込んで。
日に日にヨットへの感覚が磨かれていくことを実感して。
そして迎えた本番。
1日目にケースやミスを重ね全個ライン+30点で折り返し。
2日目に巻き返しを図りますが、結果は全個ラインと9点差の22位。
あんなにミスって出れるはずなかった。なんで落ち着けなかったんだろう。
絶望と虚無感に溢れながら翌日の試験のため、1人で帰宅。
自分が全個にいけないっていう事実が許せなかった。


夏合宿。
八景島はファミリーデーとマネージャー感謝デーの記憶しかない。
それくらい練習できる日が少なかった気がする。
そして、ラストの夏葉山。
微風〜軽風では、早慶日にも引けをとらない走りだった。
太陽さんに教わったジブのセッティングでクローズでは圧倒的上り角だったし。
ランニングも自分が本気で走らせても敵わないくらい松尾と丸山が繊細なスピントリムをしていた。
でも、強風はずっと課題だった。
特に、北風キシチカの強弱とフレが酷い海面が課題で。
コーチ全員の力を借りながら、調高原郁ちゃんでずっと試行錯誤していた。
秋イン直前になってやっと各々の走らせ方を身につけたんじゃないかと思う。


レースシーズン。
第1戦は6大戦。
実はこの大会と医学部の大事な試験が被っていた。
紆余曲折あって6大戦に出ることを選ぶ。すなわち、留年。
個人的な思い入れがマシマシで迎えた初日。
岸から離れた北風軽風。波も小さく綺麗な海面。
出来過ぎなくらい上手くいった。
上マークに着いたら東大が前で固まっていて。水色スピンがポンポン上がる。
初日4レースを実施して、東大470は暫定1位。留年が報われた。
2日目。前日と似た風速風向だが、フレが細かく難しい。
いつも以上に早慶がシビアに競ってくる。
順位を落とし470は3位。
早慶と争う経験がインカレ前にできたことが、
全日本入賞に向けた大きな財産。


秋インカレ。
初日。
カラッと晴れてた気がする。
第1レース。
見通しギリギリだと思いつつも上の船が引き込むのに合わせて加速。
トラピーズに出るか出ないかの風で始まったレースは風がなくなる。
インカレ特有の引き波で汚い海面を、集中して走らせる。
最後まで目の前の1艇にこだわってフィニッシュ。
自艇は20番弱。他の2艇は自艇の後ろ。
出来が良いとは言えないが、まだ1R目。
そんなふうに考えながら淡青を待つ。

「リコールだよ。」

何を言っているのかわからなかった。
事実を直視できずに、とりあえず他の2艇に声をかけた記憶がある。
ミーティングでは常にノーケースノートラブルを唱えていた。
インカレでのケースは一番回避しないといけない。
3年生の時に、レギュラーとしてレースに出させていただいて。
教訓だったはずなのに。
そんな自分がリコールをしてしまった。
しかも、出た自覚がなかった。
もう絶対にリコールできない。
トラウマが植え付けられた。

そこからは単調だった。
結果の浮き沈みはあったけど。
基本は凹んだスタートをして。マーク際もなるべくリスクを回避した。
淡々とレースが進んでいった。
3日間で8Rを実施できたおかげで全日本に行けることが決まった。
ハーバーバックしてからも全然嬉しくなかった。
全日本入賞のためには、こんなんではダメなのに。
なんでこんな成績なんだろう。
悔しくて仕方なかった。
でも、コーチやLBの方々がみんな笑っていて。
最初はぶっきらぼうに挨拶していたけれど。
段々と声援の暖かみで気が楽になった。
琵琶湖では頑張ろうって思えた。


琵琶湖。
前入りは良い感じだった。
7月末に1人で京大の練習にお邪魔していたこともあって、
真っ平らな湖面も信じられないようなフレも想定内だった。
藻が多いことだけが気がかりだったけど、みんな平等だからと言い聞かせた。
周りに山や建物が多くて見通しは取りやすかった。
でも、バウを出すのが怖くてそもそも見通しを見た記憶がない。
艇数が少ないから、タックすればフレッシュで何とかなった。


全日本。
1日目と2日目のレースは正直よく覚えていない。
基本的はスタート後に逃げタックして。
でも艇数が多くてどこへいってもブランケで。
1上は風を掴もうとしてたら終わってた。
ダウンウィンドで少し抜かして。
2上でやっと風を見ながらコースを引く。
そこから下ってフィニッシュ。
毎回同じことを繰り返して。1上の順位は大体博打。
そんなレースをしているから、順位は低迷した。

2日目の終わりにコーチとご飯を食べた。
「失うものは何もない。」と言われた。
当たり前だった。自分たちは挑戦者なのだから。

3日目。
久々にバウを揃えてラインに並んだ。
めちゃくちゃ見通しが見やすかった。
見通しギリギリだと思っていたラインは案外余裕があった。
安心しながらバウを出してスタートをした。
そこからは余裕を持ってコースを引くことができた。
自分が好きだったヨットレースがそこにあった。

リザルトだけ見たら大差はないけれど。
3日目の2本のレースは格別に印象に残っている。

4日目は風がなくてノーレース。
最終的に、470は17位、スナイプは5位、総合は9位。
470のせいで総合入賞ができなかった。
着艇後は不甲斐なくて仕方なかった。
船を洗うとき。セールをしまうとき。着替えるとき。
なんでもない瞬間に涙がでた。
チームのみんなや、コーチや、LBの方々や家族や。
いろんな方に応援されていたのに。
その期待に応えられなくて悔しかった。
自分たちの横には喜んでいるスナイプがいて。
ふとした瞬間に比べてはまた泣いた。
後悔にまみれたまま引退した。





このブログを書いている今。
引退してから1ヶ月以上経った。
悔しさも日に日に薄れて、
落ち着いてヨット部人生を振り返ることができている。
自分は「全日本入賞」を達成することはできなかった。
でも、自分が本気で目指していることを誰も否定せず、
チームのみんなはついてきてくれた。
1年前では考えられない状況だった。
それに、最後までヨットは大好きで、ヨット部も大好きだ。
引退の瞬間は悔しかったけれど、
それは声援の大きさがあったからこそだ。
琵琶湖には、本当に大勢の方にお越しいただいた。
出艇前も着艇後も東大のバースには一際大きな人だかりがあった。
それだけ、応援されていた。
「好み好まれる」を体現したチームだったと思う。





最後に僕が1年間意識していた言葉を紹介します。

「之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。」
孔子『論語』


2年前の秋インカレ、470が全日本に行けないと決まった日に天木さんは言っていました。
「自分が先輩から教わったヨットの楽しさをもっと伝えたかった。」

当時のヨットは、まだまだわからないことだらけで楽しむ余裕なんてなくって。
ふーん、ヨットって楽しいんだなぁ。
そんなふうに聞いてました。

去年の引退ブログで古橋さんはそこだけ2行の行間を空けて一言。
「楽しかったなぁ」

そんな楽しかったのか。
確かに最後の1年間はヨットの上で急に歌い出したりしてました。

470チームリーダーは、どうやらみんなヨットが楽しいらしい。不思議なもんだ。
そんなふうに感じて4年生になりました。

でも、4年生になって、今までの経験だったり知識が一気に結びついて。
どんどん、どんどんヨットが楽しくなりました。

強風の日や寒い日に、しんどそうにしている後輩に対して、
ニッコニコの笑顔で「ヨット楽しいよなぁ」だなんて話しかけて
ハラスメントだなんて言われていましたが、
あれは作り笑顔ではありませんでした。

1年間、本当に楽しかった。
後輩と動作練をし続けた冬の八景島練習も、
日々メキメキ上達していた春インまでも、
もがきながらもガムシャラに乗った個選までも、
留年を決めてヨットに没頭した全日本までも、
どんなときもヨットは本当に楽しかった。

つらいこともあるけど、ヨットは楽しいから。
今は楽しめなくても、絶対楽しくなるから。
雨の日も。極寒の日も。強風の日も。猛暑の日も。ベッタベタの日も。
楽しいヨットのためだと思って、がんばってください。





謝辞

自分を成長させてくれた愛艇たちへ(特に4791と4579)
91は東大に初めてやってきたピアソンで自分の中ではずっと新艇です。
最後の1年間、良い景色を見れたのは91のおかげだと思ってます。
琵琶湖に着いてガンネルぱっかーんなってたときはめちゃ焦りました。
でも、すぐにパワーアップして帰ってきたね。
ロープも全部自分で作って。あらゆるところにマーキングして。
どんな船よりもイケイケでカッコよかったです。
琵琶湖で走らせてやれなくてごめん。ずっと大好きです。
79は僕が入った時からレース艇でした。
別に長い期間乗った訳じゃないけど、節目でやってくる印象です。
初めての79でレースに出たのは、2年生の全日本470で松前さんとでした。
ゴールドフリートでナショチの前で回航したのは鮮明に覚えてます。
それからあんまり乗ってなかったけど、4年生の個選で再会しました。
本郷から葉山に直行して夜な夜なロープの整備して。自主練して。
全部を完璧にやらないと滑ってくれない、ワガママな船でした。
西坂さんみたいに全個突破することができなくてごめん。
もう乗らないかと思ったら、突然琵琶湖で乗ることなって。
突然だったけど微風はまだまだ走れたね。
これからも後輩たちを成長させてやってください。
他にも、29、92、52、57、03、01、75、96。
入部してからたくさん増えたけど、いなくなる船はほとんどいませんでした。
それだけ東大ヨット部の部員が増えて、LBの方に支援いただいたってことだと思います。
ヨットは道具を使うスポーツなので、良い道具をつかうことが大切です。
それはただお金をかければ良いって訳じゃなくて、
普段から大切に使って正しく整備をしてあげるってことです。
大好きな船たちがボロボロになっていたら悲しいので、
ちゃんと整備してあげてください。

家族
4年間にわたり本当に迷惑をおかけしました。年々海に行く頻度が上がる息子に対して、いつも応援してくれて金銭面でも援助していただいて、ありがとうございました。そして、留年してごめんなさい。
部活のことは家では何も話さないのに、自分の顔色を見て「今日は調子良かったのね」「今日は疲れてるんだね」と練習やレースの結果を当てていて親とはすごいものだなと思っていました。
これからは親孝行します。

LBの方々
日頃からご支援いただきありがとうございます。
コロナによる規制も緩和されつつあり、多くのLBの方に対面でお会いする機会がありました。
会うたびにどれだけ応援されているかを実感し、気が引き締まっておりました。
また今年度、470チームは2年連続となる新艇を買っていただきました。
来年以降、後輩達が新艇でさらなる飛躍をしてくれると信じています。
今後とも応援のほどよろしくお願いいたします。
自分もこれからは1人のLBとして東大ヨット部の成長を応援させていただきます。

矢野コーチ
短い期間でしたが、ご指導いただきありがとうございました。
初めは矢野さんの率直な物言いが苦手でした。
でも、日々関わっていくうちに、ヨットに対する真摯な姿勢や
ヨットを楽しむ姿勢などに惹かれていきました。
最後1年間、矢野さんに出会えて僕のセーリングライフは何倍も広がりました。
これからもよろしくお願いします。

小松コーチ
4年間ご指導いただきありがとうございました。
小松さんにはヨットの知識や技術はもちろん、ヨット乗りとしての振る舞い方を教えていただきました。
小松さんという誰よりもヨットが好きな方に指導いただけて本当に幸せでした。
最後に結果で恩返し出来なかったことが本当に悔しかったです。
これからも小松さんの教えを胸に生きていきます。
また、海で会いましょう。

お世話になった先輩方
大変お世話になりました。
先輩方に与えていただいた環境のおかげで上達することができました。
特に自分は、同期で1人の470クルーとして本当に手塩にかけて育てていただきました。
負けん気が強くて生意気な後輩ですみませんでした。
先輩方にしていただいたように、これからも後輩を大切にしていきます。

470チームの1年生ズ
センスが良くて向上心があって同期が多くて。
正直、期待しかしていません。
あと3年もあれば限界なんてないと思います。
楽しいこと辛いことたくさんあると思うけど、
お互いを大切にしてみんなで頑張って。

470チームの2年生ズ
生意気だけど個性豊かな君たちのおかげでチームが賑やかでした。
人数が多かったはずなのに気づいたらスキッパー3人クルー1人やん。
自分たちと同じ境遇で似たものを感じます。
和真澤田成相は3人で切磋琢磨して高みを目指してください。
山本は先輩達に追いつけ追い越せで上達してスキッパーを走らせられる同期の星になってください。

470チームの3年生ズ
入部当初から抜群のスピード感覚を持っていた高天はその知識と感覚を部に還元してくれるはずです。高天の作る470チームが楽しみです。
2年生で入部してからぐんぐん上達していったひろきは、みんなが認める最上級生スキッパーになりました。成績でチームを引っ張ってあげてください。
おっちょこちょいでいつも皆を笑わせてくれる加藤は部の雰囲気を暖かくしてくれると思います。学連も頑張ってね。
授業が忙しいはずなのにいっつも自主練に来てくれた松尾は、来年は今年以上の熱量で取り組んでくれるはずです。7大戦も応援してます。
同期の誰よりも経験豊富な丸山は陸上でも海上でも470チームを支えてくれるはずです。
東大の470はクルーが走らせるってところを3人が見せください。
これから1年、楽なことばかりじゃないと思うけど同期で助け合って頑張れ!!!

同期
プレイヤーもマネージャーもみんなクセが強くて。
どこでもうるさいし物の貸し借りとか雑やしマスクつけてくれないし。
基本的にモラルは皆無だけど。
そんなはちゃめちゃな君たちが大好きです。
ヨットが大好きでヨット部が大好きな君たちが同期で、
僕はとっても幸せ者でした。
いつまでもバカ笑いできたら良いなと思います。

ここでは挙げきれなかったスナイプチームやマネージャー、仰秀のみんな、その他ヨット部を通じて知り合った全ての方々。
この場を借りてお礼を言わせてください。本当にありがとうございました。






素晴らしい4年間。
海の上の。陸の上の。
何気ない瞬間が全て
かけがえのない宝物です。






470チームリーダー兼主務 工藤光生


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