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中電のスラップ裁判は許さへんで なあ

2015-03-22 | 暮らし・社会

  昨日の、三上さんは沖縄で7歳の少女を国が訴えたというスラップ裁判を話されていましたが、僕らの地元でも、中国電力がスラップ裁判を起こしとるんです。知ってはりましたか。

 

  広島に住むアーサー・ビナードさんは言っています。

 「裁判沙汰」という、嫌な感じの日本語がある。「裁判沙汰はゴメンだ」「裁判に巻き込まれないで生活したい」と、誰でも思うはずだ。でも、自分の生活と故郷が破壊されてしまったら、そんな悠長なにかまえていられない。生活を支えてくれる海が、目の前で潰されそうになったら、頑張って破壊を止めるのは当たり前だ。

 この裁判で「被告」にされている四人は、当たり前のことをした。しかも時代おくれの大赤字計画を止めたわけだから、本当は中国電力の経営に多大な貢献も果たした。「基礎」じゃなしに「感謝」されるべきだ。そんな「当たり前」が、ちゃんと認められる日まで応援したいと思う。                         被告4人を応援する応援団 アーサー・ビナード

 金と権力で黙らせる中電の「こんなやり方を許さへんで」という声を中電のお客様=僕らは上げていかなアカンでなあ。

http://kaminoseki-genpatsu-slapp.jimdo.com

 

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知ったはりました? 「姑息」

2015-03-22 | まいにち

ゆっくりと新聞をめくとったら『姑息』という言葉が出てきました。

「姑息な手段」いうたら「一時しのぎの手段」言う意味やそうです。

これまで僕は「卑怯な手段」やと思うとりました。なんでもそう思うとる人が七割にのぼるんやそうです。

確かに文化庁のHPでも解説がしてあります。

 

 

自分が知らんことやったら なんでも人に「知っとった?」聞いて回るんが僕の癖なんやけど、やっぱし  「あんた、知ったはりました?」

「姑息(こそく)」の意味

文化部国語課

 「あんな汚ない手を使うなんて,彼は本当に姑息な男だ。」
 このような場合の「姑息」は,「ひきょうな」といった意味で使われているようです。「国語に関する世論調査」でも「姑息」を「ひきょうな」という意味だと考えている人が多いことが分かりました。しかし,この用い方は本来の意味からすると,どうなのでしょうか。

  • 問1 「姑息」とは,本来どのような意味なのですか。
  • 答 一時の間に合わせに物事をすることを指す言葉です。

 「姑息」を辞書で調べてみましょう。


「日本国語大辞典 第2版」(平成12~14年・小学館)

姑息  [名](形動) しばらくの間,息をつくこと。転じて,一時のまにあわせに物事をすること。また,そのさま。一時しのぎ。その場のがれ。

「大辞林 第3版」(平成18年・三省堂)

姑息  [名・形動] 〔「礼記(らいき)」檀(だん)弓(ぐう)上 「姑」はしばらく,「息」はやむ意〕根本的に解決するのではなく,一時の間に合わせにする・こと(さま)。〔現代では誤って「卑怯(ひきょう)である」という意味に使われることが多い〕

「新明解国語辞典 第7版」(平成23年・三省堂)

姑息  ―な  〔「姑」はちょっと,「息」はやむ・それいでいいの意〕根本的に対策を講じるのではなく,一時的にその場を切り抜けることができればいいとする様子だ。〔俗に,「やり方が卑怯だ」の意に用いられる。より口頭的な表現では「その場しのぎ」とも〕「―な手段」

 ここに挙げた辞書は,それぞれ,「一時の間に合わせ」という意味を取り上げています。また,「大辞林」と「新明解」では,本来の意味ではない「卑怯である」「卑怯だ」という意味にも触れていますが,共に括弧に入れた上で,「大辞林」では「誤って」,また,「新明解」では「俗に」と断っています。
 「姑息」は「礼記(らいき)」(檀(だん)弓(ぐう)上)の故事にある,孔子の門人,曽子の言葉に由来します。病床にあった曽子は,自分の寝台に,身分と合わない上等なすのこを敷いていました。お付きの童子にそのことを指摘された曽子は,息子の曽元にすのこを取り替えるよう命じます。曽元は,父の病状の重いことを考慮し,明朝,具合が良くなったらにしましょうと答えます。それに対し,曽子は,お前の愛は童子に及ばないと,次のように言いました。
 「君子の人を愛するや徳を以(もっ)てす。細人の人を愛するや姑息を以(もっ)てす。」(君子たる者は大義を損なわないように人を愛するが,度量の狭い者はその場をしのぐだけのやり方で人を愛するのだ。)
 その場にいた者たちは,曽子を抱え上げてすのこを取り替えますが,彼は間もなく亡くなってしまいました。曽子は,一時しのぎの配慮に従って生き長らえるよりは,正しいことをして死ぬ方がよいと考えたのです。

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