置いてあった椅子がなくなっただけで 玄関が随分広くなったような気がします。そして靴も減りました。(本当は狭いんですけどね)
部屋の片付けとともに空いたところがグーンと広がってしまいました。 さみしいものですね。
置いてあった椅子がなくなっただけで 玄関が随分広くなったような気がします。そして靴も減りました。(本当は狭いんですけどね)
部屋の片付けとともに空いたところがグーンと広がってしまいました。 さみしいものですね。
1985年8月2日から4日までの全日本ろうあ連盟の手話通訳指導者養成研修会専門コースを初めて受講しました。実はその前年の84年の第9回全日本ろうあ連盟認定手話通訳試験を受け合格しました。
それまで広島の手話通訳者たちは手話通訳者に試験はふさわしくないと受験を拒否してきました。もちろん僕自身もです。
ただ、それまでの手話通訳活動とはあまり縁のなかった人が「私受けるわ」てな具合で受け始めたので運動サイドからも受けけようとこの歳二人で受験し私が合格したのです。この年に合格したのは私も含めて8名。同期に合格した中には長く全国手話通訳問題研究会の事務所長を務められた兵庫のMさんや北海道で手話通訳活動を続けておられたTさんなどがおられました。
資金援助などはもちろんないのですが、専門コースを受けないと欠席の理由書などを提出しないといけないという・・・義務だけはしっかりありましたねえ。
これらがのちの手話通訳士試験へつながっていきます。でも移行措置はなかったなあ。
部屋の荷物を片付けていると、いろんなものが出てきます。
1972年12月17日から22日までの1週間、東京戸山にあった国立聴言センターでの第2回手話法研究会へ参加した際の資料もそのひとつ。
講師陣は
センターの外山和郎さん、貞広邦彦さん、教育大附属ろう学校の大原省三さん、全日本ろうあ連盟副連盟長の竹島昭三郎さん、東京学芸大学の荒川勇さん、丸山浩路さん、国立身障センターの大村実さん、全日本ろうあ連盟の飯塚千代子さん、国際基督教大学の斎藤美津子さんといった錚々たるメンバー
受講者は29名となっています。学生は私一人。のちに日本手話学会を立ち上げられた田上隆司さんもおられました。
前にもこのブログで書いたことがあるんですが、40数年経った今も斎藤美津子さんのお話(のほんの一部)は今もしっかりと覚えています。
(丸山浩路さんの手話通訳概論)時代的にちょっと早すぎただけで今見ると随分「なるほど」とうなずかされます。
(大原さんのお話)うーん文字だけ見てもわからないのも随分あるなあ。
行く前は東京の広島県職員寮に泊めてやるということやったけど直前になってやっぱりダメやと言われてさあどこに泊まったんやったかなあ。