僕が若い頃、中国放送(前はラジオ中国と言ってましたね。)の玄関にはよく赤旗がなびいていました。学生時代の前半、ディレクターをしておられたMさんに頼まれて録音テープの書き起こしをしていたことがあります。朝鮮人被爆者の調査や密航被爆者への支援を数人で細々とやっていた頃です。その頃はもう今の建物やったと思うなあ。
写真は中国放送労働組合が発行していた(今もあるのかどうかは知らんのんやけど)『新放送RCC』74年2月号に当時尾道市社会福祉協議会に勤めておられた松井裕子さんが「テレビに字幕を」と寄稿されたもの。
尾道の手話を学ぶ仲間たちはこの時期NHKや民放各社へ要望書を届けていました。尾道の仲間たちはこの他にも色々と問題提起をしてくださいました。
40年以上も前の話です。
(2018.5.16追記)
その後1975年3月19日付契印で 民放労連広島テレビ放送労働組合から手話サークルあすなろ宛に
民法に関する国民要求という文書が届いている。その中に
■聾唖者対策
聾唖者のために、手話つきテレビ番組を放送すること。また一日一回以上、手話または文字スーパーつきのニュースを放送すること。
そいう項目がある。