福祉労働の173号を買ってきた。
この雑誌、創刊号から購読しずっと置いていたんやけど、数年前に家の本を片付ける際に全部古本屋さんに持って帰ってもらった。
特集1の初めにはこんなことが書いてある。
戦争の歴史に「福祉」というフィルターをかけると、
何が見えてくるだろう。
障害者は、国にとっての「役立たず」として排除された。
傷害を負った兵士は、名誉の「傷痍軍人」になったが、
空爆された一般市民は、補償もなく放置された。
この国の社会保障制度が、救済ではなく、
戦力の保持として発展してきた歴史。
「役に立つかどうか」で選別をし、
生かすか殺すかが決められていた時代。
戦時の問題は解消されたのだろうか。
むしろ、その延長線上を生きているのではないだろうか。
国家の意図になんら疑問を抱かず福祉を実践することの先に、
何が待ち受けているのか。
苛烈な競争社会のなかで、知らず知らずのうちに、
見えなくなってしまっているものは何か。
福祉が本来守るべき、個人の権利・尊厳のために、
戦時の歴史を学び、一人ひとりに何ができるのかを考える。
35年以上前に福祉から医療へ仕事をかわるために(当時は行政の中でも福祉と医療はべつべつやった)
ひと月ほど通わせてもらった精神科病院の〇〇年誌は先の戦争末期10人近い患者が餓死をしたと書かれていてショックを受けた。
この国のいろんな福祉の制度を振り返っても
国民健康保険や、厚生年金制度は戦争の費用を作り出す為に作り出されたもんやし、
傷痍軍人だけを対象にしてはダメ!とGHQから言われた身体障害者福祉法では、補装具の「給付」は職業的な「更生」を予想されない人には支給されなかった。
今、台湾有事を煽り(少し前までは尖閣有事やった)軍備予算が急激に増やされようとしている今、
福祉で働く私たちはしっかりと歴史から学ばなあかんと思う。