土・日と雪の予報もあり、天気の悪い日でした。雨のお陰で、カラカラな庭も少しうるおい草木が喜んでいるようでした。
天気も悪かったので図書館で借りた本を読みました。
歳と共に、活字が読めなくなり、「大きな活字シリーズ」という本です。
鎌田慧さんが書いた「反骨」(鈴木東民の生涯)という本でした。大きな活字のため、上・中・下の3巻でした。
私は鈴木東民という人を知りませんでした。
『鈴木東民 すずき とうみん、1895年〈明治28年〉6月25日 - 1979年〈昭和54年〉12月14日)は、日本のジャーナリスト、労働運動家、政治家。岩手県出身)ということです。』
三陸・唐丹(現在は釜石市)に生まれ、二高から東大に行きました。東民が大学を卒業して就職したのが1923年 関東大震災の年で28歳の年でした。朝日新聞記者を辞めてドイツに行ったのが1926年の31歳。ナチスの国会議事堂放火などを現地で見てヒットラーを痛烈に批判しました。帰国後読売新聞に入りましたが、ドイツ・軍部・特高からにらまれてきました。
敗戦後は、読売新聞の民主化を求めた「読売争議」を主導し、民主化の兆しも見えましたが、GHQの対日政策の変更により、逆に読売新聞から解雇されました。
生活の糧も奪われる中、不遇の10年を送った後、町村合併した釜石市の市長に当選、3期務めました。釜石製鉄の城下町にもかかわらず、製鉄所が出す公害と対峙し、4期目は落選。一転、
市議会議員に転身、1期目はトップ当選、2期目は下位から2番目で落選。追われるように釜石を去りましたが、その後も公害問題に取り組みました。
1979年12月 84歳で東京で亡くなりました。
この84年間の鈴木東民の生きざまを描いたものです。
そこには、大正・昭和の歴史を学ぶ上でも、私には、とても勉強になった本でした。
また、「大活字本」を借りて読もうと思います。
天気も悪かったので図書館で借りた本を読みました。
歳と共に、活字が読めなくなり、「大きな活字シリーズ」という本です。
鎌田慧さんが書いた「反骨」(鈴木東民の生涯)という本でした。大きな活字のため、上・中・下の3巻でした。
私は鈴木東民という人を知りませんでした。
『鈴木東民 すずき とうみん、1895年〈明治28年〉6月25日 - 1979年〈昭和54年〉12月14日)は、日本のジャーナリスト、労働運動家、政治家。岩手県出身)ということです。』
三陸・唐丹(現在は釜石市)に生まれ、二高から東大に行きました。東民が大学を卒業して就職したのが1923年 関東大震災の年で28歳の年でした。朝日新聞記者を辞めてドイツに行ったのが1926年の31歳。ナチスの国会議事堂放火などを現地で見てヒットラーを痛烈に批判しました。帰国後読売新聞に入りましたが、ドイツ・軍部・特高からにらまれてきました。
敗戦後は、読売新聞の民主化を求めた「読売争議」を主導し、民主化の兆しも見えましたが、GHQの対日政策の変更により、逆に読売新聞から解雇されました。
生活の糧も奪われる中、不遇の10年を送った後、町村合併した釜石市の市長に当選、3期務めました。釜石製鉄の城下町にもかかわらず、製鉄所が出す公害と対峙し、4期目は落選。一転、
市議会議員に転身、1期目はトップ当選、2期目は下位から2番目で落選。追われるように釜石を去りましたが、その後も公害問題に取り組みました。
1979年12月 84歳で東京で亡くなりました。
この84年間の鈴木東民の生きざまを描いたものです。
そこには、大正・昭和の歴史を学ぶ上でも、私には、とても勉強になった本でした。
また、「大活字本」を借りて読もうと思います。