昨日の東京新聞の社説「週のはじめに考える」です。私は共感することが多いです。
特に埼玉県小川町での「弾道ミサイル避難訓練」の問題です。私事ですが私の父親の出身地です。街には何故か「○○通り」と私の姓を冠した通りが今でもあります。
中学校でのミサイル避難訓練、私には「原爆に竹やり」で対抗しようとした敗戦前の軍部の発想のように思えます。
しかも、それを忌避した小川町に埼玉県の大野知事が「避難訓練を怠ってミサイルが飛んで来たら人災だ」と脅かしたそうです。
俳優の菅原文太さんは生前、「政府の役割は、国民の生活を守ること。戦争をしないことだ」と強調しました。
大野知事の役割は「県民の生活を守り、戦争をしないこと」だと思います。
それこそが憲法の精神です。
その上、日本は他所の国をミサイルで攻撃しようとまで考え、その準備をしています。
私は、戦争の準備よりも、平和のための努力こそすべきだと思います。
<社説>週のはじめに考える 草の根に民主主義あり
2023年12月24日 08時20分
それは突然降って湧いた騒動でした。埼玉県中部、周りを秩父の山に囲まれた比企郡小川町で「弾道ミサイル避難訓練」が来年1月に実施される。そんな情報を元小学校教員の住民笠原恵子さん(75)が知ったのは9月でした。
人口2万7千人余り。和紙の産地で知られるのどかな町で、戦時を思わせる訓練が行われる。しかも中学校で。町からは何も知らされておらず、問い合わせに担当者は計画を認めました。
弾道ミサイル避難訓練は国民保護法の下、2016年から国が自治体に協力を呼びかけて共同実施しています。すでに全国70カ所以上で行われ、過去最多の今年は東京都内でも行われました。
どんな訓練なのか。小川町では授業中に上空をミサイルが通過すると想定し、全国瞬時警報システム(Jアラート)が鳴ったら生徒は頭を押さえ、屋外では建物の陰に隠れるという内容です。
◆ミサイル訓練への反対
ほかの自治体では住民も参加する中、小川町では中学生のみが対象でした。物々しい訓練が唐突に教育現場に持ち込まれたことに、笠原さんは違和感を抱きます。
計画を伝えるチラシを作って地域に配り、受け取った住民には中学校の保護者も。多くの人が訓練が子どもたちの心に与える影響を心配していました。
町はミサイル発射が繰り返される今、万が一に備えてどう身を守るのかを子どもたちに知ってほしい、と言います。
とはいえ、ミサイル避難訓練を防災訓練と同じような感覚で行っていいのか。「敵国想定」の説明はしないとはいえ、子どもたちはどこの国が自分を狙うのかを考えざるを得ず、心の中に敵国が作り出されてしまうのではないか。
そんな不安が住民らを突き動かし、グループをつくって訓練撤回を訴え始めました=写真。
町は11月、訓練見送りを決めました。理由は住民の反対ではなく、ウクライナやイスラエル、パレスチナで戦争が起きている今、受験を控えた生徒たちを不安にさせないためとしていますが、住民の反対がなければ、そのまま行われていたと思わざるを得ません。
訓練は見送られましたが、新たな火種がくすぶっています。
埼玉県の大野元裕知事が記者会見で、小川町を「訓練はやるべきだ」と批判したのです。「訓練は確実に死傷者を減らせる」「実施しないのは命を軽んずる行為」「万一被害が出たら人災で、その責任は重い」という理由です。
そもそもこの訓練には上空から飛来するミサイルから身を守る効果を疑問視する意見もあります。そのような訓練を自治体に強制するかのような発言は、県と市町村との対等な協力関係を求める地方分権の理念に逆行します。
埼玉県内で訓練を受け入れたのは小川町と上里町だけで、ほかの市町村は応じていません。
知事の発言は、小川町の決定に対する不当な介入であるだけでなく、ほかの市町村にも訓練受け入れを迫る圧力になりかねません。撤回すべきです。
小川町の住民は今回、住民生活に重大な影響を及ぼす訓練でありながら、町が説明を十分にしないまま実施しようとした、住民不在の過程も問題にしています。
町によると、訓練会場の中学校側から了解を得たのは今年1月。住民への周知は訓練の1カ月前で十分と考えていましたが、それでは住民が訓練について深く考える時間が十分とは言えません。
政府は防衛費を関連予算を含めて倍増させようとしています。避難訓練は国民の危機を煽(あお)り、防衛力の抜本的強化に対する理解を高める狙いなのかもしれませんが、住民を一方的に従わせるやり方はかつての戦時体制を想起させ、正しいとは思えません。
◆平和を人任せにしない
今回の「騒動」を経て、小川町の住民に変化が生まれています。他国を敵視することを前提とした訓練よりも、平和の構築にこそ取り組もうとする機運です。「小川町で平和を学ぶ会(仮称)」が結成されました。
中学生の母親である松永由美さん(54)は「平和の問題をずっと他人任せにして、無防備に暮らしてきた。学校にはさまざまな国籍の子が通う。国籍や人種を超えて理解しあえる活動に努めたい」と言います。
自分たちが住む町のあり方は、自分たちが考え、決めていく。そうした取り組みは町を変える力になるだけでなく、草の根から民主主義を鍛えることになります。