昨夜、録画してあったNHK,こころの時代 185頭とひとり と言う番組を見ました。
福島県浪江町で放射能に汚染され、殺処分すべき肉牛を飼い続ける吉沢正巳さんの生きざまを報じていました。
私が驚いたのは、この牧場を開いた正巳さんの父親の生きざまでした。満蒙開拓団に加わって満州に渡り、ソ連軍に追われて自分のこどもふたりを殺めたという事実でした。帰国後、千葉県四街道で無一文から山野を開墾して牧場に開きました。その後、より広い場所を求めて浪江町に移住し、父親の後を継いで正巳さんが牧場を経営したそうです。
正巳さんの言葉が胸に突き刺さります。「国策で満州に渡り、国策で建設した原子力発電所事故で牛を殺される。国策に振り回されるのはゴメンダ」 放射能に汚染された牛もやがて寿命で死ぬだろう。その時は自分も(寿命で)死ぬだろう」と語る。その言葉には、人間や動物が生きる と言うことの意味を考えざるを得ませんでした。
答えの無い課題ですが、「生きる」と言うことの意味を根源的に考えるためにも、ぜひ、多くの方に見て欲しい番組です。
3月16日(土)午後1時から NHK Eテレ で再放送があるそうです。
以下、NHKの番組紹介です。
185頭と1人 生きる意味を探して 吉沢正巳
初回放送日: 2024年3月10日
福島県浪江町にある「希望の牧場」。原発事故により出荷できなくなった肉牛を飼い続けている。自らを「牛飼い」と呼ぶ吉沢正巳さんが「命の意味」を問い続ける日々を追う。 「どんな命にも意味があり、寿命まで生きるべきだ」。福島県浪江町の「希望の牧場」。原発事故で出荷できなくなった肉牛の世話を続ける。全国から寄付を募り商品にならない牛に餌をやり、生かし続ける。原発事故から13年がたち、高齢により衰弱する牛たち。果たして生かすことに意味があるのか?自らを「牛飼い」と呼び、一見無意味にも思える営みを続ける吉沢正巳さんが見つけた「意味」とは何なのか?命と向き合う日々を追う。
「どんな命にも意味があり、寿命まで生きるべきだ」。福島県浪江町の「希望の牧場」。原発事故で出荷できなくなった肉牛の世話を続ける。全国から寄付を募り商品にならない牛に餌をやり、生かし続ける。原発事故から13年がたち、高齢により衰弱する牛たち。果たして生かすことに意味があるのか?自らを「牛飼い」と呼び、一見無意味にも思える営みを続ける吉沢正巳さんが見つけた「意味」とは何なのか?命と向き合う日々を追う。