今年のノーベルは平和賞に日本被団協が選ばれました。このニュースを聞いたとき、「原水爆禁止のために活動した多くの方の努力があったからだ!」と思いました。そして、この報を知らせたい方のおひとりに肥田瞬太郎さんがいました。
医師だった肥田さんは、広島に原爆が投下されて、自らも被爆しながらも被爆者救援・治療に当たりました。戦後、一貫して被爆の実相を語り核兵器廃絶を訴え続けてきました。福島原発事故後は原発反対」にも取り組みました。
私のかかりけ医は所沢診療所です。肥田さんは、埼玉民医連の活動にもかかわり、埼玉協同病院長もされました。過って、所沢・平和のための戦争展で肥田さんのお話を聞こうと講演依頼をしましたが、ご家族から「高齢のため無理」とお断りされました。
2017年に100歳で亡くなられてしまいました。ノーベル平和賞のことをお知らせしたい方のおひとりでした。
東京新聞のコラム「筆洗」でも肥田さんのことにふれていますので引用させてもらいます。
それにしても「アメリカと核兵器を共有することが核抑止力だ!」と言い放つ石破首相に、私は怒りを覚えます。
東京新聞 コラム 筆洗 2024年10月12日付け
広島、長崎の被爆者は敗戦直後から、その体験を語り、書くことを禁じられていた。米占領軍総司令官の命令だった
▼広島で被爆し、被爆者の治療にあたった医師、肥田舜太郎さんの著書にある体験が悲しい。東京でひそかに広島の体験を語り歩いたとき、米軍の憲兵からしつこい監視と威嚇を受けたそうだ
▼1956年、この団体の結成に対しても米軍は警戒と監視を強化したという。「被爆者には反米活動の危険がある」。団体とは、ノーベル平和賞に選ばれた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)である
▼核兵器が実際に使われたらどうなるか。つらい体験を証言し続けてきたことが評価された。一時は語ることさえ禁じられた被爆体験が約80年のときを経て核兵器のない世界をつくるために欠かせぬ大切な証言と見てもらえたのだろう
▼ロシアのプーチン大統領がウクライナ侵攻に絡んで核兵器の使用に言及するなど核の脅威は遠ざかるどころか現実味を帯びつつある。核の恐怖がちらつく時代にあって被団協の証言や核兵器廃絶の訴えは人類にとって数少ない「命綱」なのかもしれぬ
▼朗報に複雑な気分にもなる。もし広島、長崎に原爆が投下されなかったら。もし人類がとうの昔に核兵器を廃絶していたらこの受賞はあったのだろうか。この平和賞で世界が目を覚まし、核兵器なき世界へと本気で踏み出す契機としたい。
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