衆議院選挙では、「憲法を改正して、国防軍を持てる国に!」と主張した自民党が圧勝しました。安倍総裁は、憲法改正に着手する姿勢を鮮明にしています。
そんな中、昨日の東京新聞の「筆洗」(朝日新聞で言えば”天声人語”の欄)にこんなことが書いてありました。
伊藤博文と森有礼の間にこんな論争があったことも知りませんが、私は伊藤博文の意見が正論だと思います。
しかし、自民党などの改憲派は、「逆に国家の権力=為政者の権限を強化し、主権者たる国民の権利を縛る」ことに汲々としています。こんな考え方は、明治維新以前のものです。
参考までに掲載しましたので、ぜひ、お読みください。
明治憲法が制定される際、枢密院議長の伊藤博文と文相の森有礼(ありのり)の間で論争があった。草案にある臣民の「権利」を「分際(責任)」と改めるべきだとの修正案に伊藤は「そもそも憲法創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の権利を保護するにあり」と反論した
▼臣民の責任を列挙するなら制定の必要はない。主権者である天皇の権力を制限し、国民の権利を守ることが憲法創設の精神であると明言したのだ
▼憲法の役割は、国家権力に歯止めをかけることである、という立憲主義の精神を、明治憲法の起草者が正確に理解していたことは新鮮な驚きだった
▼衆院選で圧勝した自民党の安倍晋三総裁は、改憲の手続きを定めた憲法九六条を日本維新の会などと連携して見直す考えだ。強い反対が予想される九条を後回しにして発議の条件である「三分の二条項」から手をつける戦術のようだ
▼自民党がかねて主張してきた九六条改正案を、憲法学者の小林節慶応大教授は「何をするか分からないのに危険なピストルを渡せるだろうか?」と自著『「憲法」改正と改悪』で批判しているが同感だ
▼国防軍ばかりが注目された自民党の憲法改正草案は、基本的人権を守る姿勢が大きく後退し、憲法が国家権力を縛る道具であることをまるで理解していないと思わせる条文が並ぶ。明治時代に戻って勉強し直してほしい。
そんな中、昨日の東京新聞の「筆洗」(朝日新聞で言えば”天声人語”の欄)にこんなことが書いてありました。
伊藤博文と森有礼の間にこんな論争があったことも知りませんが、私は伊藤博文の意見が正論だと思います。
しかし、自民党などの改憲派は、「逆に国家の権力=為政者の権限を強化し、主権者たる国民の権利を縛る」ことに汲々としています。こんな考え方は、明治維新以前のものです。
参考までに掲載しましたので、ぜひ、お読みください。
明治憲法が制定される際、枢密院議長の伊藤博文と文相の森有礼(ありのり)の間で論争があった。草案にある臣民の「権利」を「分際(責任)」と改めるべきだとの修正案に伊藤は「そもそも憲法創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の権利を保護するにあり」と反論した
▼臣民の責任を列挙するなら制定の必要はない。主権者である天皇の権力を制限し、国民の権利を守ることが憲法創設の精神であると明言したのだ
▼憲法の役割は、国家権力に歯止めをかけることである、という立憲主義の精神を、明治憲法の起草者が正確に理解していたことは新鮮な驚きだった
▼衆院選で圧勝した自民党の安倍晋三総裁は、改憲の手続きを定めた憲法九六条を日本維新の会などと連携して見直す考えだ。強い反対が予想される九条を後回しにして発議の条件である「三分の二条項」から手をつける戦術のようだ
▼自民党がかねて主張してきた九六条改正案を、憲法学者の小林節慶応大教授は「何をするか分からないのに危険なピストルを渡せるだろうか?」と自著『「憲法」改正と改悪』で批判しているが同感だ
▼国防軍ばかりが注目された自民党の憲法改正草案は、基本的人権を守る姿勢が大きく後退し、憲法が国家権力を縛る道具であることをまるで理解していないと思わせる条文が並ぶ。明治時代に戻って勉強し直してほしい。
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