幼児からお年寄りまでに親しまれている「青い空は」を作詞した小森香子さんの話を聞く会が、お隣の入間市であり、聞きにゆきました。
1930年生まれの小森さんは、平和団体などの「原爆許すまじ」の歌に継ぐ新しい平和の歌を作ろうと呼びかけられ、作詞したのが1971年に作られた「青い空は」でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/96/ab249a829d8610ca55c40a790420668b.jpg)
「青い空は 青いままで 子どもらに伝えたい・・・」に始まるこの歌は、反核と平和を伝える歌として今でも多くの人に歌い継がれています。
特に、福島原発事故以降、放射能被害に苦しむ福島県民をはじめ、原発に反対する国民の気持ちを現すうたとしても歌われています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/56/7beac0088f66f794d7fc53a4b5c7ca4f.jpg)
小森香子さんは、この詩が生まれた経過や背景を自作の詩を朗読しながら淡々と話されました。
夫の海外勤務で一時、プラハに住みました。ここで、1942年にナチスの弾圧により起きたプラハ郊外の村の全滅事件を知りました。
それらの体験から、帰国後、反核平和の運動に取り組むことになりました。
今、平和憲法を改悪しようとする動きが加速していることに大変な危機感を持っています。そんな思いを一人でも多くの国民に「平和憲法を守れ!」の声を広げるため、これからも運動してゆきたいとの決意を語りました。
小森さんのお話の後はテータイムでした。参加された方としばしの交流をした後は、「平和の歌声」でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/7d/0d563f15d9005f93ec1165a4dcd2b609.jpg)
毎月、所沢うたごえ喫茶でお世話になっている アコの新井さん、ギターの原島さんの伴奏で「青い空は」「たんぽぽ」(小森さんの作詞)など、平和の歌を沢山うたいました。
「母の日」に、平和を育て、育む母親の心意気で、みんなで平和への思いを共有できたすばらしい集いでした。
1930年生まれの小森さんは、平和団体などの「原爆許すまじ」の歌に継ぐ新しい平和の歌を作ろうと呼びかけられ、作詞したのが1971年に作られた「青い空は」でした。
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「青い空は 青いままで 子どもらに伝えたい・・・」に始まるこの歌は、反核と平和を伝える歌として今でも多くの人に歌い継がれています。
特に、福島原発事故以降、放射能被害に苦しむ福島県民をはじめ、原発に反対する国民の気持ちを現すうたとしても歌われています。
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小森香子さんは、この詩が生まれた経過や背景を自作の詩を朗読しながら淡々と話されました。
夫の海外勤務で一時、プラハに住みました。ここで、1942年にナチスの弾圧により起きたプラハ郊外の村の全滅事件を知りました。
それらの体験から、帰国後、反核平和の運動に取り組むことになりました。
今、平和憲法を改悪しようとする動きが加速していることに大変な危機感を持っています。そんな思いを一人でも多くの国民に「平和憲法を守れ!」の声を広げるため、これからも運動してゆきたいとの決意を語りました。
小森さんのお話の後はテータイムでした。参加された方としばしの交流をした後は、「平和の歌声」でした。
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毎月、所沢うたごえ喫茶でお世話になっている アコの新井さん、ギターの原島さんの伴奏で「青い空は」「たんぽぽ」(小森さんの作詞)など、平和の歌を沢山うたいました。
「母の日」に、平和を育て、育む母親の心意気で、みんなで平和への思いを共有できたすばらしい集いでした。
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