彼の気持ちの中には、井上に対する申し訳なさが渦巻いていた。
収入のこともありはしたが、本音を言えば貴子のことだったのだ。
毎日顔を合わせるのが、辛くなってきていた。
どこかしらぎこちなさが漂い始めている二人だった。 . . . 本文を読む
近年にない猛暑に悩まされ続けた夏も終わり、デパートでのアルバイトを辞めてからほぼ一ヶ月が経った。すぐに見つかるだろうと思っていた家庭起教師のバイトも、条件が合わずに決まらずにいた。
“デパートのバイトを辞めたのは早計だったか…”
半ば後悔の気持ちが湧きはしたが、すぐに“いや、これで良かったんだ”と思い直した。
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「今、起きます。起きますから、待っててください」
一時の酩酊状態からは抜け出したものの、体に力が入らない彼だった。
「情けないぞお! 妙齢の女二人が居るというのに」
耀子のそんな声に、のぶこが呼応した。
「そうだ、そうだあ! 男なら、襲ってみなさいよ」 . . . 本文を読む
「おいっ、こらっ! ミタぁ、起きろ! 練習だぞ、ダンスの練習だあ!」
耀子が突然に、酔いつぶれてテーブルにうつ伏していた彼の、頬を抓ったり耳たぶに噛みついたりした。
「はいっ、わかりました」
応えはするものの、彼の体はピクリともしなかった。 . . . 本文を読む
「すみません。ぼくは、人参よりキュウリがいいです」
「バカねえ、人参じゃなきゃダメなの」
「好きじゃないんですよ、人参は。どうしても、ダメですかあ?」
「もう、この子ったら。とぼけてるの? それともホントに分かんないの? のぶこ、何か言ってやんなさいよ」
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「ねえ、飲もうかあ」
突然、耀子が立ち上がった。のぶこは、待ってましたとばかりに
「そのつもりで来たのよ、ホントは。ミタ君、いいでしょ?」と、またしても彼に抱きついてきた。アルコールが入っているのか、ほんのり桜色の顔色であることに、彼は気が付いた。 . . . 本文を読む
「そう、そんなものかなあ。男性ってさ、ある時期を過ぎると急に威張り出すのよねえ。
のぶこの彼も、そのタイプかあ。
でも、のぶこも不思議。何もバツイチの男性を、好きにならなくても良いでしょうに。
ここに素敵な男性が居るじゃない、ねえ、ミタちゃん?」 . . . 本文を読む
「ところでさ、のぶこ。さっきの話だけど、どうするの? わたしは実家に戻るんだけど、就職するんでしょ?」
手作りらしき少しいびつな形のクッキーを乗せた皿を中央に置くと、。
のぶこはクッキーをほおばりながら、
「そうなのよねえ、来年も厳しいからさ。あたしも冬休みに少し回ってみたんだけど、今いちでさ。 . . . 本文を読む
“別人かもしれない”
そう思いつつ、所狭しと置いてある観葉植物を避けるようにして、花模様の入ったガラス戸を開けた。
「おじゃまします」
軽く一礼をした彼を迎えたのは、紛れもないのぶこだった。 . . . 本文を読む
彼に、嫌も応もなかった。
やっと様になってきたところであり、面白さがわかりかけてきたところだ。
「良いですけど。何処で、ですか?」
「場所の心配はないの。私のマンション、フローリングなのよ。時々、サークル仲間と練習してるの。じゃ、善は急げね」 . . . 本文を読む