16日(日)その2.昨日午後11時からEテレで「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」の第3回「モーツアルトの魅力」が放映されました ハイドンとモーツアルトを対比させる形で,それぞれの音楽の特徴や魅力を浮き彫りにしていました.
ハイドンは1732年~1809年で77歳まで,モーツアルトは1756年~1791年で35歳まで生きたわけですが,2人の生きた時代はオーバーラップしていることが分かります.ハイドンはモーツアルトの”先生”でした.彼はモーツアルトを高く評価し,ある意味”嫉妬”さえしていたのではないかとも言われています.一方のモーツアルトはハイドンを尊敬し,最後の6つの弦楽四重奏曲(いわゆるハイドン・セット)をハイドンに献呈しています.
坂本”教授”は最初に2人の弦楽四重奏曲を例に挙げて比較します.ハイドンの作品33の3「鳥」とモーツアルトの第19番「不協和音」です.教授は「自分だったら,ハイドンは書けるかもしれないけど,モーツアルトは書けない」とコメントしていました. 「ハイドンは,これから,こういう風に展開すれば面白いと思うけれど,元に戻すのが大変だからとして,一歩手前で止めていることが見える.つまり冒険をしようとしない.それに対し,モーツアルトは,作曲の世界では”やってはいけない”ことをあえてやってしまう.その結果が素晴らしい音楽になっている.”不協和音”と言われる弦楽四重奏曲の出だしはまさに当時,前衛的な響きだった」と
出演者の一人が「ハイドンに無く,モーツアルトにある」特徴として「デモーニッシュ」という言葉を挙げていました.つまり「悪魔的」という意味です.これは古くから言われている彼の音楽の特徴です.とくに短調の曲における特徴として挙げられてきました.交響曲第40番ト短調,ピアノ協奏曲第20番ニ短調,歌劇「ドン・ジョバンニ」など,挙げたらキリがありません 個人的な経験で,たとえばモーツアルトの交響曲を聴いた後でハイドンの交響曲を聴くと,何か物足りなさを感じてしまいます.ハイドンには”デモーニッシュ”なところがないからだと思います
次にモーツアルトの交響曲第41番「ジュピター」を題材に取り上げ,この曲の魅力を探っていました.この曲の出だしは本当に単純な音階で出来ていますが,展開される音楽の振幅の大きさ,深さに圧倒されます.出演者の一人が「ハイドンと比べて,モーツアルトは木管楽器のひとつひとつの扱いが優れているのではないか」とコメントしていましたが,なるほどその通りだ,と同感しました
来週はベートーヴェンを取り上げるとのことです.楽しみですね
写真左のCDはモーツアルト「弦楽四重奏曲第19番”不協和音”」(ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団)の1952年の録音,写真右はモーツアルト「交響曲第41番”ジュピター”」(ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団)の1963年の録音です.