2月1日(日)。油断していた訳ではないのに2月になってしまいました わが家に来てから127日目を迎えたモコタロです
う~ん この竹 固くて食べにくいな~ 竹の子なら良かったのに
閑話休題
昨日、池袋の東京芸術劇場で読売日本交響楽団のコンサートを聴きました これは「都民芸術フェスティバル2015」の一環として開かれたもので、プログラムは①スメタナ「交響詩”モルダウ”」、②ドヴォルザーク「ヴァイオリン協奏曲イ短調」、③同「交響曲第8番ト長調」です。指揮は沼尻竜典、②のヴァイオリン独奏はパヴェル・シュポルツルです
自席は3階D-61番、右ブロック右から一つ入った席です。さすがに3階席は舞台が遠いです。会場は9割方入っている感じです
コンマスは小森谷巧が務めますが、隣には同じコンマスの長原幸太も控えます。オケはいつもの通り左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスというオーソドックスな態勢をとります 拍手に迎えられ指揮者・沼尻竜典が登場します
1曲目のスメタナ「モルダウ」は、6曲から成る連作交響詩「我が祖国」の第2曲目に当たります スメタナはこの曲について次のように解説しています
「2つの水源があり、ひとつ(フルートと弦のピッツィカート)は冷たく、もう一つ(クラリネットが加わる)は暖かい それが1本に合流し、森や牧場、婚礼が開かれている田舎などを流れる様子を描写している
やがてモルダウはプラハ、ヴィシェフラトを通り過ぎながら彼方へと去って行く」
オケはスメタナの解説のとおり1本の川の物語を奏でていきます 自然を描写した音楽の極致と言っても良いでしょう
第1ヴァイオリンの位置が後ろにずらされ、指揮台の左サイドにヴァイオリン独奏者のスペースが確保されます。ソリストのパヴェル・シュポルツルが沼尻とともに登場します 読響の常任指揮者・カンブルランのように髪を後ろで束ね精悍な顔をした彼の第一印象は、”技巧派タイプの実力者”です
プラハ音楽院で学び、アメリカに渡ってイツァーク・パールマンやドロシー・ディレイらに師事したという経歴の持ち主なので相当な実力者であることが予見されます
沼尻のタクトによりドヴォルザークの「ヴァイオリン協奏曲イ短調」が開始されます。その堂々たる冒頭部から感じるのは、まるでブラームスのコンチェルトのようだ、ということです シュポルツルは青色のヴァイオリン(2005年製ヤン・シュピードレン)を駆使し力強い音楽を展開します
まるでブラームスのよう、というのは第2楽章の抒情的な曲想でも同様です。しかし、第3楽章ロンド・フィナーレになると、間違いなくドヴォルザーク特有の民族舞曲を生かした曲想になります
シュポルツルは軽快に美しい音楽を奏でていきます
シュポルツルの素晴らしい演奏が可能だったのは、間違いなく沼尻竜典+読響の確実なサポートがあったからです いま中堅の指揮者の中でも沼尻の活躍は目覚ましいものがあります
鳴り止まない拍手に、シュポルツルは流暢な日本語で「ありがとうございました」と言って拍手を受け、英語で「このホールは素晴らしいです」と言って、アンコールにパガニーニの超絶技巧曲「カプリース第5番」をスポーツカー並みの速さで弾き切りました。第一印象は当たったようです
休憩時間の後は、ドヴォルザークの「交響曲第8番ト長調」です。この曲は「イギリス」というニックネームが付いていますが、いつもは楽譜をジムロック社から出版していたのを、この曲についてはイギリスのノヴェロ社から出版したことからこの愛称が付いているに過ぎません
この曲は第9番「新世界より」の人気の陰であまり目立ちませんが、私はこの8番の方が好きです 特に第1楽章冒頭のエレジーのような曲想、第3楽章の哀愁が忘れがたい音楽ですが、どの楽章も魅力に満ちています
読響の面々は沼尻竜典と信頼関係が確立している様子が窺えます 管楽奏者も弦楽奏者も打楽器奏者も、沼尻の期待に応え渾身の演奏を展開しました
アンコールにドヴォルザークの「スラブ舞曲集」から作品72の第2番を演奏しました これも哀愁に満ちた名曲です
閑話休題
昨日聴いたCDは前日に続いてウィーン・コンツェルトハウス四重奏団によるシューベルト「弦楽四重奏曲第14番”死と乙女”」です 今日の午後、クァルテット・エクセルシオのコンサートで聴くので、予習です