人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

武田博幸著「古典つまみ読み 古文の中の自由人たち」を読む ~ 徒然草、良寛全集を中心に紹介します

2020年01月04日 07時21分48秒 | 日記

4日(土)。わが家に来てから今日で1923日目を迎え、日産自動車の前会長カルロス・ゴーン被告が保釈中にレバノンに逃亡した問題で、レバノン法務省は2日、国際刑事機構から国際手配書を受け取ったことを認めたが、日本への身柄引き渡しには応じない考えを示した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     国を買収するほど資金力のあるゴーンは大したものだ 法律なんて無いに等しくね?

 

         

 

武田博幸著「古典つまみ読み 古文の中の自由人たち」(平凡社新書)を読み終わりました 武田博幸氏は1952年熊本県生まれ。熊本大学法文学部卒、九州大学文学部大学院中退後、29歳で受験予備校・河合塾福岡校国語科講師となり65歳まで務める。受験生向け古文参考書を多数執筆している

 

     

 

この本は、30年余り大学受験予備校の講師を務めた筆者が、受験生に「古文を教える」のではなく、人生の酸いも甘いも知った大人を相手に「古典の面白さを語る」機会が欲しいと思っていたところ、退職後に地区コミュニティ協議会主催の「古典つまみ読み」という文学講座を引き受けることになったのをきっかけに、講義内容を1冊の本としてまとめたものです 他からの束縛なく自らの精神の自律性・自発性のもとに行為する「古典の中の”自由人”」という共通テーマにより古典・作者を選んでいます

この本は次の14回の講義から構成されています

第1回「宇治拾遺物語」 尼とばくち

第2回「平家物語」 主人の御供を拒む家来

第3回「枕草子」 恋する貴公子

第4回「源氏物語」 生彩を放つ少女

第5回「芭蕉翁頭蛇物語」 たくらむ俳人

第6回「大鏡」 死に際に弟を降格させた兄

第7回「更級日記」 物語と猫と姉妹

第8回「閑居友」 世塵の中で道を求めた僧 

第9回「発心集」 笛を吹いて明かし暮らす法師

第10回「保元物語」 武門源氏の子息の覚悟

第11回「建礼門院右京大夫集」 滅び去った恋人たちへの思い

第12回「徒然草」 兼好法師の交友論

第13回「山家集」 心の月を磨く人

第14回「良寛全集」 ”ひとり遊び”の精神

私は高校生の時、現代国語と同じくらい古典が大好きでした それでも、この本で紹介されている作品のタイトルで分かるのは「宇治拾遺物語」「平家物語」「枕草子」「大鏡」「更級日記」「徒然草」「良寛全集」くらいです しかも、この本の中で取り上げられている物語や歌・俳句などで読んだことがあるのは吉田兼好「徒然草」の第117段の有名な交友論だけです

第12回「徒然草」~兼好法師の交友論の中で筆者は次のように解説しています

「兼好法師という人は、出家遁世者ではあっても、世の中に背を向けて、人付き合いもなく、世の片隅でひっそり思索に耽っていた人ではありません 彼が生きた鎌倉時代後期・南北朝時代にあって、武家・公家・寺社の貴頭の人々から下級官吏・武士・僧・庶民まで、実にさまざまの人間と交流した人でした そんな兼好法師は、人との交わりをどう考えたか、人にどう向き合おうとしたかについて読み取りたい

そして、第117段を紹介します

「友とするに悪き者七つあり。一つには高くやんごとなき人。二つには若き人、三つには病なく身強き人、四つには酒を好む人、五つには猛く勇める兵(つわもの)、六つには虚言(そらごと)する人、七つには慾深き人。よき友三つあり。一つには物くるる友、二つには医師(薬師)、三つには智恵のある友」

筆者は「このような言葉を残したこと自体が、彼の実生活がさまざまの身分、さまざまの職業、さまざまの年齢層、さまざまな性格の人々との付き合いで彩られていたことを推測させます」と書いています。そして「まずおもしろく思うのは、『よき友』に『医師(薬師)』が挙げられていることです」と述べ、他の段にも医術や薬に関係する言葉が何度も出てくることを指摘しています そして、「兼好法師という人は、一般に医術の心得を諭すだけでなく、自己の身体の養生にも気を遣った人だったのでしょうか」とし、「住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて、何かはせん。命長ければ恥多し。長くとも、四十(よそぢ)にたらぬほどにて死なんこそめやすかるべけれ」(第7段)という言葉を紹介しています ここで兼好法師は「40歳になる前に死ぬ方が見た目の感じがいい」と書いていますが、筆者は「最近の研究によると彼は75歳くらいまで生きたであろうと考えられています」と述べています

私はてっきり50歳くらいで死去したとばかり思っていました いろいろな種類の人たちとの交流があったからこそ、さまざまな人生訓が残されているのだろうな、とあらためて思います

ところで、アメリカのトランプ大統領を第117段の「友として悪き者」の条件に当てはめてみるとどうなるでしょうか

「高くやんごとなき人」は、確かにアメリカの大統領は身分が高いので当てはまりそう 「若き人」は論外 「病なく身強き人」は、精神は別として身体は丈夫そうだから当てはまりそう 「酒を好む人」は、トランプは酒を飲まないので対象外 「猛く勇める兵(つわもの)」は、世界を相手に自国第一主義を貫く姿は”つわもの”そのものなので当てはまる 「虚言(そらごと)する人」は、フェイクがトランプの代名詞のようなものなので当てはまる 「慾深き人」は、自分が今年の大統領選で再選されるためなら違法行為でも何でもする、という意味では当てはまるーといったところでしょうか    彼を友だちにしたいと思うのは自分自身が再選されたい共和党議員くらいでしょうね

第14回「良寛全集」”ひとり遊び”の精神  を読んで思ったのは、「良寛さんといえば、村の子どもたちと手まりをついて遊ぶお坊さん」という印象しかなく、まったく彼のことを知らなかったということです 筆者によると、「良寛は越後雲崎に何代も続く名主山本家の長男として宝暦8年(1758年)に生まれたが、当然名主を継ぐべき身でありながら、22歳の時に出家し、備中(岡山県)玉島の国仙和尚という師のもとで禅の修行に励んだ」とのことで、故郷へ帰ることを決めた時の彼の僧侶としての立場は首座(いわば僧堂のトップ)だったので、寺の住職や大寺に属する僧になることも出来たはずなのに、彼は乞食僧として生きる道を選んだそうです 乞食僧の生活の基本は①托鉢(村人から施しを受ける)、②自活、③無所有(すべて借りる)、④一人住まいとのこと。良寛はおよそ40歳から70歳近くまで、山あいに借りた粗末な庵に住み、衣食は村人の喜捨に頼り、一人で生きることを貫き、その間さまざまな歌を詠んだのでした

筆者は、良寛と子どもとの交流を詠んだ歌を紹介しています

「冬ごもり 春さり来れば 飯乞ふと 草のいほりを 立ち出でて 里にいゆけば 里子ども いまは春べと うちむれて 道のちまたに 手まりつく 我もまじりぬ その中に 我もまじりぬ その中に 一二三四五六七(ひふみよいむな) 汝がつけば 吾はうたひ 吾がつけば 汝はうたひ つきて歌ひて 霞たつ 永き春日を 暮らしつるかも」

筆者は「この歌を読んでこちらまで浮き立つ楽しさを覚えるのは、何といっても『汝がつけば 吾はうたひ 吾がつけば 汝はうたひ つきて歌ひて』という表現です 私はジャズについて かの渡辺貞夫が語っていた言葉を思い出しました。『スウィングしなくてはいけない 生きていなくてはならない。うまい演奏ではいけない。上手にやろうというのではいけない。裸にならなきゃいけない。大きくおおらかでなきゃいけない。ごきげんだな、でなくちゃいけない』。たまたま道で出会った子どもたちと毬つきに興じる良寛。ここには、遊びに夢中な子どもたちと『スウィング』し、即興の中での伸びやかな自由を楽しむ『ごきげんな』良寛がいます」と述べています

良寛の歌にジャズを見る筆者の感性は流石だと思います

この調子で紹介していったらキリがないのでこの辺にしておきますが、この本に出てくるのは古文なので、黙読でなく声に出して読みながら文章を味わうのが良いと思います

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