20日(月)。わが家に来てから今日で1938日目を迎え、31回目の今年で最後となる大学入試センター試験が18日、全国689会場で始まったが、「世界史B」の設問で出題ミスがあり、この問題については全員に得点を与える というニュースを見て感想を述べるモコタロです
「米国で弾劾裁判にかけられた3人目の大統領は誰?」という問題がいつか出るか
昨日、東京芸術劇場コンサートホールで新交響楽団第248回演奏会を聴きました プログラムは①モーツアルト:歌劇「魔笛」序曲、②ハイドン「交響曲第104番ニ長調”ロンドン”」、③チャイコフスキー「交響曲第6番ロ短調”悲愴”」です
指揮は飯守泰次郎です
今回は新交響楽団の維持会員になって初めてのコンサートです ホール入口の維持会受付で、維持会回数券を座席指定券と引き換えました。2階センター左ブロックの左端席が空いていたので2階C列17番を押さえたのですが、何とどん詰まりの席でした
音響的にはかなり良い席ですが、奥まで入っていくのは煩わしいので、次回からは気をつけようと思います
オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつもの新響の並び。コンミスは堀内真美さんです
1曲目はモーツアルト:歌劇「魔笛」序曲です 「魔笛」はウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)が最晩年の1791年に作曲したドイツ語によるオペラです
3つの和音で開始される「序曲」を聴くと、イングマール・ベルイマン監督の映画「魔笛」を思い出します
音楽が鳴っている間、紙芝居仕掛けのオペラ「魔笛」の幕開けを待つ老若男女の人々の顔が次々と映し出されます
飯守泰次郎氏がゆったりした足取りで指揮台に向かいます。身体のどこかが悪いのではないかと心配になります タクトが振り降ろされ、3つの和音が会場を満たします
冒頭のアダージョ部分は極めて遅いテンポですが、テーマの提示と共にすぐに快速テンポに変わります。管楽器も弦楽器も良く鳴っています
2曲目はハイドン「交響曲第104番ニ長調”ロンドン”」です この曲はヨゼフ・ハイドン(1732-1809)が1795年に作曲、同年ロンドンで初演された ハイドン最後の交響曲です
ハイドンは1791年から92年までと、1794年から95年までの2度、ロンドンの興行師ザロモンの招きによりイギリスを訪問して大成功を収めます
第99番から この第104番までの6つの交響曲は、2回目のロンドン訪問時に作曲されました
第1楽章「アダージョ~アレグロ」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「メヌエット:アレグロとトリオ」、第4楽章「フィナーレ:アレグロ・スピリトゥ―ソ」の4楽章から成ります
飯守氏の指揮による”これぞ古典交響曲”というべき堂々たる演奏を聴いていると、「交響曲の父」と呼ばれるハイドンの集大成というべき第104番の”形式美”が浮かび上がってくるようです 管楽器ではオーボエとフルートが素晴らしい演奏を展開していました
プログラム後半はチャイコフスキー「交響曲第6番ロ短調”悲愴”」です この曲はピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)が1893年に作曲した最後の交響曲です
1893年10月16日に行われた初演のわずか9日後にチャイコフスキーは急死しています
最後の楽章が「アダージョ・ラメントーソ(ゆるやかに・嘆くように)」であることと相まって、「チャイコフスキーは自らの死を覚悟しながらこの交響曲を作曲したのではないか」という説が有力視されているようです
第1楽章「アダージョ~アレグロ・ノン・トロッポ」、第2楽章「アレグロ・コン・グラツィア」、第3楽章「アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ」、第4楽章「アダージョ・ラメントーソ」の4楽章から成ります
コンミスが内田智子さんに代わります 飯守氏が再度登場し指揮台に向かいますが、指揮台の上には椅子が置かれています
飯守氏の指揮で演奏が開始されます この曲では、クラリネット、オーボエ、フルート、ファゴットといった木管楽器群が素晴らしく、ホルン、トロンボーンといった金管楽器も良く鳴っていました
第2楽章のワルツは流麗で 聴いていてとても心地良い演奏でした
第3楽章のスケルツォは、咆哮するブラス、渾身の弦、炸裂するティンパニが素晴らしかった
飯守氏は途中、椅子に座って指揮をしましたが、すぐに立ち上がりタクトを振りました
昨年末に体調を崩されたうえ、今年80歳を迎える飯守氏にとって、指揮をするという行為は相当疲れるのでしょう
しかし、熱演する楽員を前に シャキッとしなければいけない、と自らを律する姿勢が見て取れます
第3楽章の終結部はオケの総奏で終わるので、曲が終わったと勘違いした聴衆が拍手をしないように、飯守氏はタクトを降ろさず、間を置かずに第4楽章に移りました
第4楽章は絶望の”ため息”の音楽です。この音楽を聴くたびに、これではチャイコフスキーが死を覚悟しながら作曲したと言われても仕方ないな、と思います
ところで、「悲劇的」でもなく「悲壮」でもない「悲愴」という日本語訳のタイトルについては、いろいろと解釈があるようです チャイコフスキーは1891年に「人生」というタイトルを付けた交響曲(変ホ長調)を途中まで書きましたが、満足できずに破棄し「ピアノ協奏曲第3番」に改作しました(これも未完に終わる)。しかし、この「人生」というテーマは彼の頭に残っていたようで、1893年2月に新しい交響曲(つまり第6番)を書き始めます
彼はその過程で、この曲のテーマは「人生について」だと語ったと伝えられています
4つの楽章を通して聴くと、この曲は「人生について」というタイトルが相応しいような気がします