25日(土)その2.よい子は「その1」も見てね。モコタロはそちらに出演しています
昨夕、新国立劇場「オペラパレス」でプッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」を観ました キャストは ミミ=ニーノ・マチャイゼ、ロドルフォ=マッテオ・リッピ、マルチェッロ=マリオ・カッシ、ムゼッタ=辻井亜季穂、ショナール=森口賢二、コッリ―ネ=松位浩、ベノア=鹿野由之、アルチンドロ=晴雅彦、パルピニョール=寺田宗永、合唱=新国立劇場合唱団、児童合唱=TOKYO FM少年合唱団、管弦楽=東京交響楽団、指揮=パオロ・カリニャー二、演出=粟國淳です
舞台はクリスマス・イヴのパリ。若く貧しい芸術家4人が住む屋根裏部屋で詩人ロドルフォが一人で詩を書いていると、同じ建物に住むお針子ミミがロウソクの火をもらいに訪ねてくる。二人はたちまち恋に落ちる。画家マルチェッロも元恋人ムゼッタとよりを戻し、彼らは恋を謳歌する。2月の雪の日、ロドルフォは貧乏な自分の力では胸を患うミミを救うことはできないと考え痛恨の別れを決意する。その数カ月後、ミミが瀕死の状態で屋根裏部屋に運び込まれ、愛するロドルフォの傍らで息を引き取る
私が新国立劇場で粟國淳の演出で「ラ・ボエーム」を観るのは2003年4月、2004年9月、2008年1月、2012年1月、2016年11月に次いで、今回が6回目です これほどのロングランを続ける演出には、それなりの理由があります
一番の見ものは第2幕のクリスマス・イヴで賑わうカルチェ・ラタンのカフェ・モミュスのシーンです
人々の背景の建物があちこちに動きます。スペクタクルで圧巻の演出です
これはコンピュータ制御、ではなく、人の手によって動かされているのです
ところで、プログラム冊子に音楽ジャーナリストの井内美香さんが「初演までの紆余曲折」という論考を寄せていますが、その中に次のような記述がありました
「『ラ・ボエーム』は各幕に『幕 atto』という呼称ではなく『絵 quadro』という呼び方が採用されており、それはそれぞれの幕が主人公たちの生活の一部を切り取ったものだ、という意味を持っている それだけにこの作品においては音楽によって各幕に正しい色彩を与えることが重要だったのだ
」
これを読んで、あらためて曲目解説を注意深く読んでみたら、次のように書かれていました
第1幕 屋根裏部屋で(In soffitta)、第2幕 カルチェラタンにて(Al Qualtiere Latino)、第3幕 アンフェール関門(La Barriera d' Enfer)、第4幕 屋根裏部屋で(In soffitta)
そうだったんですね。初めて理解しました
さて、このオペラの聴きどころはたくさんあります 第1幕では暗闇の中でミミの手を握って歌うロドルフォの「冷たい手を」、それに続いてミミが歌う「私の名はミミ」、第2幕でムゼッタが元恋人の気を引こうと歌う「私が独りで街を行くと」、第3幕のフィナーレでロドルフォとミミが歌う「花の季節に別れましょう」・・・・挙げていったらキリがありません
今回あらためて「プッチーニは凄いな
」と思ったのは、第3幕のフィナーレの、マルチェッロとムゼッタが痴話げんかをしている傍らで、ロドルフォとミミが辛い別れの歌を歌うシーンです
まったく違う心象風景を同時進行で歌わせてしまうプッチーニの手腕には脱帽です
今回の歌手陣で最も印象に残ったのはロドルフォを歌ったマッテオ・リッピです ジェノヴァ生まれの若手ですが、ミミを歌って一世を風靡したミレッラ・フレー二に師事し、2013年トーティ・ダル・モンテ国際コンクールで優勝、イタリアを中心に頭角を現しています
輝くテノールで、声が良く伸びます。演技力も申し分ありません
ミミを歌ったニーノ・マチャイゼはジョージア出身のソプラノです ミラノ・スカラ座アカデミー修了後、2007年に「連隊の娘」マリー役でスカラ座デビューを果たし、キャリアを積み、現在 世界中のオペラ劇場で歌っています
高音も低音も良く声が通ります。低音部はマリア・カラスの声に似ています
期待以上に素晴らしかったのはムゼッタを歌った辻井亜季穂です 愛知県立芸術大学大学院を首席で修了後、DAAD給付留学生として2011年に渡独、ライプツィヒ音楽演劇大学でマスターの学位を取得、14年から17年までテューリンゲン州立劇場専属歌手を務め、2017年からヴュルツブルク歌劇場専属歌手としてドイツを中心に活躍しています。美声で声に力があります
とくに第2幕の「私が独りで街を行くと」は素晴らしい歌唱でした
このほか、マルチェッロを歌ったイタリア出身のバリトン、マリオ・カッシ、ショナールを歌ったバリトンの森口賢二、コッリ―ネを歌ったバスの松位浩も高水準だったと思います とくに松井浩が第4幕で歌ったコッリーネの「古い外套よ、聞いてくれ」は聴きごたえがありました
パオロ・カリニャー二指揮東京交響楽団は、歌手に寄り添いながら 若いボヘミアンたちの心情を自ら歌い上げていました
かくして「ラ・ボエーム」の初日公演は何度もカーテンコールが繰り返され、成功裏に終了しました