「日中医学協会」

2024年11月15日 00時28分38秒 | 医科・歯科・介護

1972年の日中国交正常化を契機に医学・医療関係者の相互訪問が盛んになり、これに対応するため、1978年、日中友好協会内に日中医学協会の前身である医学学術交流小委員会が設置され、中華医学会(日本医学会に相当)を中国側窓口として交流を行っておりました。

1980年、日中友好協会から独立し、任意団体「日中医学協会」として活動を開始しました。

医療の近代化を目指す中国の要請に応じて、日中間の共同研究、人材育成等の事業を行うため、1985年、医学・歯学・薬学・看護学・その他医療関係団体の総意を結集し、経済団体連合会傘下の医療業界のご協力を得て、全国性・総合性を備えた民間の窓口として「財団法人日中医学協会」が発足しました。

2013年、公益法人制度改革に伴い、「公益財団法人日中医学協会」に移行しました。2015年、財団設立30周年を経て、今の時代に相応しい新たな日中医療交流事業をまさに展開しようとしています。

日中医学協会 沿革・あゆみ

設立記念行事

開催年 設立記念行事 記念シンポジウムテーマ
1980年 日中医学協会創立  
1985年 財団法人日中医学協会設立  
1995年 設立10周年記念シンポジウム 日中医学交流の過去・現在・未来
(陳敏章衛生部副部長講演)
2000年 設立15周年記念シンポジウム 中西医結合の現状と展望
(彭玉衛生部副部長講演)
2005年 設立20周年記念シンポジウム 中国における感染症の予防とコントロール
(陳嘯宏衛生部副部長講演)
2013年 公益財団法人認定記念祝賀会  
2015年 設立30周年記念シンポジウム 日本医療の国際展開と中国における日中医学協会の役割
(馬暁偉中国国家衛生・計画生育委員会副主任臨席)

 

〈日中友好に医療で貢献〉 中国に医療の文化を伝えたい

2016-04-25 12:59

医療法人社団 常仁会 牛久愛和総合病院 名誉院長
東京女子医科大学 名誉教授
高崎 健 先生

高崎先生は、長年東京女子医科大学の消化器センター長として、消化器外科分野で数々の実績を上げている。世界で初めて考案した「グリソン鞘一括処理による系統的肝切除」では肝切除の成績を飛躍的に伸ばした。その他、肝膵同時切除(HPD)術式の開発、また手術の現場で広く普及している開創器で先生の名前Kenを冠した「ケントレトラクター」など、様々な医療道具を発明するなど、その功績は大きい。
また高崎先生は、消化器センターの開祖であり世界的権威として知られる中山恒明先生の最後の弟子として、その教えである「患者を中心においた医療」を受け継ぎ、多くの後進を育てている。
第一線を退いた現在は、中日友好病院の客員教授として「中国人が中国で日本と同じような医療が受けられること」を目的に中日医療交流に精力的に動いている。そして、医療の技術だけでなく、医者としてのあり方、術後のケアなど医療文化の必要性を訴える。
また、「一般社団法人 日本医療学会」の理事長として、日本の医療を考えるだけでなく、アジア全体への広がりを目指している。

 

中国でも日本と同じ治療が
できるように

―― まず、先生の中国との馴れ初めについてお聞かせ願えますか。
高崎 最初は90年代に手術で行きました。3年ぐらい前に中国のドクターから中国の医療を何とかしたいというお話があり、お手伝いすることになりました。今は個人的に女子医大が中心になって支援している段階です。
今、日本のいい医療を受けたいと来日する方が多いようですが、私は基本的に、慣れない日本に来て、大変な治療を受けるというのは、その人にとって必ずしも幸せなことではないと思っているのです。
私の目的は、「中国で日本と同じような治療ができるようにする」こと。そのために、日本から出向いてもいいし、向こうからドクターに研修に来てもらったりして、その環境を早くつくる必要があると思っています。
だからこの2年間は、毎月1回、第二砲兵病院(北京)で肝胆膵の、主として外科的な治療の勉強会を開いています。まず私が手術を見せて、その後ディスカッションする。肝胆膵は一番面倒な病気で、その手術・治療・診断も難しいものですから勉強会への参加希望が多い。また昨年は中国国内6都市に出向き学術集会およびライブ手術を行ってきました。
あとは、日本と縁が深い中日友好病院をサポートしたいと思っています。北京市にある中日友好病院は1984年開院で、創立30周年ですが、改革がないまま来てしまった。新しい院長に代わり、建て直しに日本医療学会もお手伝いすることになりました。
本年1月には中日友好病院の先生方が来日し、京都大学、国立がんセンター、有明(公益財団法人がん研究会)、順天堂、聖路加などをまわりました。東京女子医大では日本で最初に疾患ごとのセンター方式にしています。各センターには医師、看護、リハビリテーション、検査、研究部門のすべてが集約しています。それを中日友好病院でも取り入れたいということで、外来や最新医療の「先端生命医科学研究所」も見学していただきました。
中日交流はまだ端緒ですが、中日友好病院が主体になるのがいいと思っています。もう少し仕組みを整え、医療学会の他の先生にも行ってもらって輪を広げるつもりです。

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技術だけでなく日本の
医療文化を伝えたい

―― なぜ中国に医療の文化を伝えたいと思われたのですか。
高崎 医療は単なる技術ではなく医療文化が大事だと思うのです。だから私も中国に行って、それを伝えたいと思いました。患者と医者の関係とか、医者の社会の中のあり方、医者は患者のためにある、人間を診るのだと、当たり前のことをしみじみと思う。
私たちは昔から、女子医大消化器病センターの開祖である中山恒明先生に、「患者中心の医療」を教えられてきていた。患者を中心にして、外科医、内科医、放射線科医そして検査医がみんなでチームを作り議論し合いながら、治していくというやり方なんです。本当の意味のチーム医療というのは、何人もの医者で、その患者についての一番いい検査、治療を考えていきます。患者中心の医療を、中国人は中国で受けられるのが一番幸せだと思うのです。
あと、大切なのは術後のケアという文化。病気が治っても、精神的に患者自身が必ずしも治っていない。術後もフォローして社会復帰していなければいけない。今まで何例手術しても、患者の5年後がわからない。自分が手術した症例は、その後、患者がどういう生活を送っているかを調べるようにする。それがなければ、その人に本当に適した治療だったかどうかわからないじゃないかと話しています。今はフォローアップの仕組みをつくり始めています。

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患者を治すために
世界初の治療法をあみだす

―― 先生は消化器外科がご専門で、肝膵同時切除(HPD)、グリソン鞘処理による肝切除術など世界初の治療法をあみだしています。
高崎 誰が最初にやったかは問題ではありません。要するに患者を治すためにいろんな工夫をしてきたということです。今、「残存肝機能推測法」は一番便利です。これは、手術でどのぐらい肝臓を切っていいかを計算で出す方法です。意外と中国の人は知らない。だから危ないからと言って、手術をやらなくなっている。これだけ切っても大丈夫という計算ができれば、さっと簡単にできます。
あと、開腹手術の視野確保に「ケントレトラクター」という道具をつくり、メーカーが私の名前を付けました。今日本で普及しています。
中国では最先端の医療は特別な人たちに対してだけで、一般の人は恩恵を受けていない。しかし今、民間がどんどん病院を建てている。医者自身も、いい技術を身につけようという意識はすごくある。だから日本の医者が中国に行って貢献できることは、とても多いのです。こうした活動に参加してもらえたら一番いい日中友好になると思います。

『人民日報海外版日本月刊』より転載

 


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