日常生活の中で、科学は生き生きと躍動している。
それに対し、多くの宗教が<人々を救う>という本質から離れ、葬式や供養に関する形式宗教のようになり、「人間生活の原動力になるには、ほど遠い存在」になっている。
そんな状況の中で、多くの人が<科学と宗教は一致しない>と考えるのも、やむを得ないかもしれない。
しかし、「科学と一致する宗教」はまったく存在しないのだろうか。
存在するとすれば、どのような宗教なのか―。
「その説くところ理念・哲学がかならず実証されて、時と所と、人種を環境を問わず、ただ一つの例外なく実証される」のであれば、それは「科学的宗教」と言うことができるはずだ。
個々の宗教が科学的であるか否かは、「客観的に学問として考える」場合には、そうした分析的な思考に基づいて検討するたけで十分なのかもしれない。
しかし、その前提を踏まえた上でなお、自分が宗教を吟味で最も重視する基準は、<生活の面において、幸福になるといったら、必ず幸福になる>という点にこそある。
「一切の人々の苦悩を救うものでなければならない」
「一切の人々に、真の幸福を享受させゆるものでなければんらない」
「一切の大衆の生命を浄化すべきものでなくてならない」
「一切の大衆を清く・強く・賢く導くものでなければならない」
「一切の大衆に、生命の真実の姿を悟らせるものでなければならない」
宗教は本来、あらゆる人々がより良い人生を歩めるように後押しするものである。
それが一番、現代の宗教に求められている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます