FM福岡のラジオ番組。過去の放送をネットで聞くことができる。主に昔話のことを話す番組なのだけど、教育者の立場から見た若者の話と親の話をしている回がある。この中の内容に、ハッとしました。
2010年7月30日放送 第52話『教師として見た若者の姿』
2010年8月6日放送 第53話『教師として見た親の姿』
大学生の子供のところに毎日電話をかける親とか、入学式や卒業式に親が出るとかそんな話が出てくる。(先生が大学で教えていたのは15年位前までだから、今とはまた状況違うかもしれないけど)
私が大学進学で家を出て関東で生活した4年間、両親はただの一度も私の下宿に来たことがなかった。学費や仕送りはもらっていたので、もちろん親の庇護の元にあったわけだけど、生活面への親の介入は全くなかった。入学式にも、引越しにも、とにかく一度たりとも来なかった。熊本からの交通費や時間の問題もあったと思うけど、一番の理由は私のことを信頼してくれていたんだろう。
1〜3年までは電話もなかったので、私は手紙で生活の様子を知らせたり、緊急の連絡は、学校に「電話をしろ」の伝言を残してもらって、それが掲示板に貼り出され、公衆電話からかけるという感じだった。
大学生になってすぐ、自分がもう親の管理下にないんだな、と実感したのが、1泊や2泊でどこかに出かけるにも、親に連絡しなくていいということだった。高校生の頃までは、外泊は許されていたけど、どこに誰と泊まるという報告はしていた。それが、大学生になったら、コンパで遅くなって朝帰りしようが、友達と小旅行に出かけようが、親に話す必要なんて全くなく、その分危ないことがあっても助けてもらえないけど、自由を満喫したものだ。一年生の一学期、新宿で高校の同窓会があって終電がなくなり、真夜中の歌舞伎町前でタクシー争奪戦に加わったことなんてきっと今でも親は知らないだろうな。アハハ。
私の18から22歳までの4年間は、自立を学ぶ期間だった。学校の勉強はあまりしなかった。小澤先生が言うところの「三年寝太郎理論」にバッチリと当てはまる。高校生までは、グレることもなく、それなりに優等生っぽく過ごしてきたけれど、大学は違った。思いっきり寝たといえるのだろう。
お金だけ出して、口は出さずに、この環境を与えてくれた両親には本当に感謝している。
2010年7月30日放送 第52話『教師として見た若者の姿』
2010年8月6日放送 第53話『教師として見た親の姿』
大学生の子供のところに毎日電話をかける親とか、入学式や卒業式に親が出るとかそんな話が出てくる。(先生が大学で教えていたのは15年位前までだから、今とはまた状況違うかもしれないけど)
私が大学進学で家を出て関東で生活した4年間、両親はただの一度も私の下宿に来たことがなかった。学費や仕送りはもらっていたので、もちろん親の庇護の元にあったわけだけど、生活面への親の介入は全くなかった。入学式にも、引越しにも、とにかく一度たりとも来なかった。熊本からの交通費や時間の問題もあったと思うけど、一番の理由は私のことを信頼してくれていたんだろう。
1〜3年までは電話もなかったので、私は手紙で生活の様子を知らせたり、緊急の連絡は、学校に「電話をしろ」の伝言を残してもらって、それが掲示板に貼り出され、公衆電話からかけるという感じだった。
大学生になってすぐ、自分がもう親の管理下にないんだな、と実感したのが、1泊や2泊でどこかに出かけるにも、親に連絡しなくていいということだった。高校生の頃までは、外泊は許されていたけど、どこに誰と泊まるという報告はしていた。それが、大学生になったら、コンパで遅くなって朝帰りしようが、友達と小旅行に出かけようが、親に話す必要なんて全くなく、その分危ないことがあっても助けてもらえないけど、自由を満喫したものだ。一年生の一学期、新宿で高校の同窓会があって終電がなくなり、真夜中の歌舞伎町前でタクシー争奪戦に加わったことなんてきっと今でも親は知らないだろうな。アハハ。
私の18から22歳までの4年間は、自立を学ぶ期間だった。学校の勉強はあまりしなかった。小澤先生が言うところの「三年寝太郎理論」にバッチリと当てはまる。高校生までは、グレることもなく、それなりに優等生っぽく過ごしてきたけれど、大学は違った。思いっきり寝たといえるのだろう。
お金だけ出して、口は出さずに、この環境を与えてくれた両親には本当に感謝している。