キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

FM福岡「小澤俊夫 昔話へのご招待」

2016年07月16日 | └─恩師
FM福岡のラジオ番組。過去の放送をネットで聞くことができる。主に昔話のことを話す番組なのだけど、教育者の立場から見た若者の話と親の話をしている回がある。この中の内容に、ハッとしました。

2010年7月30日放送 第52話『教師として見た若者の姿』

2010年8月6日放送 第53話『教師として見た親の姿』

大学生の子供のところに毎日電話をかける親とか、入学式や卒業式に親が出るとかそんな話が出てくる。(先生が大学で教えていたのは15年位前までだから、今とはまた状況違うかもしれないけど)

私が大学進学で家を出て関東で生活した4年間、両親はただの一度も私の下宿に来たことがなかった。学費や仕送りはもらっていたので、もちろん親の庇護の元にあったわけだけど、生活面への親の介入は全くなかった。入学式にも、引越しにも、とにかく一度たりとも来なかった。熊本からの交通費や時間の問題もあったと思うけど、一番の理由は私のことを信頼してくれていたんだろう。

1〜3年までは電話もなかったので、私は手紙で生活の様子を知らせたり、緊急の連絡は、学校に「電話をしろ」の伝言を残してもらって、それが掲示板に貼り出され、公衆電話からかけるという感じだった。

大学生になってすぐ、自分がもう親の管理下にないんだな、と実感したのが、1泊や2泊でどこかに出かけるにも、親に連絡しなくていいということだった。高校生の頃までは、外泊は許されていたけど、どこに誰と泊まるという報告はしていた。それが、大学生になったら、コンパで遅くなって朝帰りしようが、友達と小旅行に出かけようが、親に話す必要なんて全くなく、その分危ないことがあっても助けてもらえないけど、自由を満喫したものだ。一年生の一学期、新宿で高校の同窓会があって終電がなくなり、真夜中の歌舞伎町前でタクシー争奪戦に加わったことなんてきっと今でも親は知らないだろうな。アハハ。

私の18から22歳までの4年間は、自立を学ぶ期間だった。学校の勉強はあまりしなかった。小澤先生が言うところの「三年寝太郎理論」にバッチリと当てはまる。高校生までは、グレることもなく、それなりに優等生っぽく過ごしてきたけれど、大学は違った。思いっきり寝たといえるのだろう。

お金だけ出して、口は出さずに、この環境を与えてくれた両親には本当に感謝している。

YOKOの好きなもの羅列

(順不同)地図、河岸段丘、保存樹木、宮本常一、縄文時代と日本の古代、文明開化と江戸時代、地方語、水曜どうでしょう、シャーロック・ホームズ、SHERLOCK(BBC)、陳昇、John Mellencamp、Kate Bush、イ・スンファン、カンサネ、1997年以前の香港映画、B級コメディー映画、SNL、The Blues Brothers、台湾、旅行の計画、イタリア、エステ、宮部みゆき、ショスタコーヴィチの交響曲5番、森川久美、のだめカンタービレ、くまモン
台湾旅行一覧 ただいま64回
海外旅行一覧 ただいま123回?