キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

10か月ぶりの帰省

2017年03月21日 | └─熊本地震・水害
昨年の5月に帰省して以来、10か月ぶりに熊本に帰りました。
阿蘇くまもと空港に父に迎えに来てもらい、健軍の実家にもどるのに、津森経由にしました。
津森は父が子供の頃に住んでいた土地で、なつかしいというのもあり、また、ここから帰ると木山を通ることになるので、地震後の益城町の様子も見られるということでこういうルートになったのでしょう。



父の子供時代の思い出話などをききつつ津森を通り、木山、安永、馬水、惣領、沼山津と地震の被害の大きかったところを通りました。




飛行機の窓からも確認できていたのですが、屋根の修繕が終わらず、ブルーシートを貼ったままになっている家屋が予想以上に多い。
県道の両脇、地震直後は崩れた家が立ち並んでいたところはかなりの割合で更地になっていた。







家の近所まできても状況はあまりかわらず。
壁が崩れた家が「危険」の張り紙もそのままにされていたり、隣の家も屋根にブルーシートをはったままだったし、更地もちらほら増え、取り壊しの工事をしている家もあったりと、地震後の復旧作業がゆっくりゆっくり進んでいるという状況だった。

業者さんの数が足りず、地震の直後から頼んでいてもなかなか順番が来ない。ということもあり、またもともと年寄りが多いので、家を空けて施設に入っていたりで家を手直しする人がいないということも多いようだ。

健軍商店街のアーケードも見に行った。
鉄筋コンクリート3階建てのスーパーが倒壊していた現場は、建て替えの工事に取り掛かっているようだった。アーケードは修復が終わり、きれいに塗装されていた。それでも更地もあり、廃業した店もあり。もともとシャッター商店街の様相だったので、復活は遠い道のりのように思える。




(地震直後の様子)


熊本を離れていると、こういう生の情報にはなかなか触れることがなく、ブルーシートなどはかなり減っているものと思い込んでいた。
反省。

同級生の家もちょうど解体が始まったと言っていた。
地震直後には被害が少なくて一部損壊程度だった友人の実家も、その後の余震で被害が大きくなり、再検査したら大規模半壊となったとか。まだ修理ができないので不安の中暮らしてるそうだ。

改めて天災の恐ろしさを感じた。



<<追記>>
津森を通りながら、父が話してたことのメモ。
祖父は「駐在さん」だったので、父たち家族は駐在所に住んでいて、それは津森小学校の近くにあった。今はもう建物もなく、【がけ崩れ危険地区】という看板が立っていた。去年の地震とは関係がなく、昭和54年と書かれていた。その駐在所から、学校まで竹馬に乗って行ったことがあったとか。家の縁側から竹馬に乗り、はだしのままで行ったとか。

途中、道が木山川に沿っていた。
津森神宮などもあるところ。
「木山の初市には、この道を木山まで歩いていったなぁ」とか。地図で見るとちょうど4キロの道のり。小学校低学年時代の思い出らしいので、結構遠かったですね。
木山の初市ってなんだろうと思ったら、今でもやってるそうですね。毎年3月に開催しているらしいです。





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