プラハは異常な高温だった。
旧市街からプラハ城までガイドさんについて歩いたが、そのあとは博物館へ行こうと思っていた。この炎天下街歩きはつらい。「国立博物館」があるようだ。歴史の展示もあるようだからそこへ行ってみよう。
行ってみると、歴史的建築の美しい本館は修復中とのことで閉館。
となりの現代的な建物の新館は見ることができるらしい。
新館の展示は、1階が考古学、2階が生物学、3階が特別展となっていた。
もともと博物学の展示をやっているところらしい・・・あれ?博物館って博物学でいいんだ…今頃気がついた。
閉館中の本館
博物館前は路面電車の軌道工事中
これが新館
新館入口
考古学展示は「ケルト文化について」のようだ。
ケルトについて、フランスやイギリスにいた人たち、くらいの認識しかなかったわたしは、なぜ中央ヨーロッパのチェコでケルトについての展示があるのだろうか?と不思議に思った。「これは企画展なのかな?」とも思った。
無知って怖いですね。
ケルト人は、まさしくこの場所、中欧ヨーロッパにいたのだ。
そして、ヨーロッパの各地に移動して行った。
イギリスやフランスにあるケルト文化は、あとの時代のものなのだ。
(まぁ先史時代のことなので諸説あるらしいが)
ケルト人の移動
チェコの考古学遺跡分布図
古代の墓から色々出土するらしい
腕輪、足環かも?武器にもなったのかな?
この石の頭は何か貴重な学問的価値があるらしい。
一生懸命英語のキャプションを読んでみると、髪型が特徴的とある。
ほんとだ、髪の毛がヘアバンドみたいに結われているのか、あるいは後頭部は刈り上げちゃってるのか、不思議な髪型だ。
土器もある。この時代のこの地域の土器はわりに実用的でシンプルだ。
土器をつくる窯の復元
ヨーロッパの先史時代には全く知識がなかったが、スマホの翻訳機能を駆使して何とか説明文を読み解く。
石器、土器、金属製の剣や乗馬器具などがあり、それぞれ日本との違いもあり興味深い。
その中で一番興味をひかれたのが、おびただしい数の「ピン」。
「前期 La Tene文化」とキャプションがあり、紀元前500年頃のもののよう。
日本やアジアの出土品には見たことがない。
大英博物館やローマやナポリなどでは見たのかもしれないが、記憶にない。
どうやら「Fibula」と呼ばれる装身具で、古代ギリシャ、ローマでもよくみられるのだそう。プラハ周辺で出土したものは、ブロンズ製でかんたんな「安全ピン」の形のものもあれば、ユニークな飾りのついた「ブローチ」と呼べる様なものもあった。
片側が渦巻き状のばねになっていて、完全に現代の安全ピンと同じ。
たくさん出土するということは日用品だったと思われる。日本にも銅や鉄は(時代がずいぶん下るが)伝わっているが、安全ピンは見たことがない。日本との文化の違いを感じる。
Fibula 安全ピンたち。
これは趣向を凝らした人型の安全ピン。(Fibula)
2時間ほど冷房の効いた博物館でじっくり見学でき、快適だった。
ケルトについて、いや、ヨーロッパの歴史そのものについて、あまりにも知識がないので、せっかくの展示を見ても半分も理解できていない。帰国したら勉強しなければ。
La Tene ラテーヌ文化:前6世紀~前1世紀にヨーロッパの広範囲に広がった鉄器文化。ローマ帝国に征服されるまでつづいた。
旧市街からプラハ城までガイドさんについて歩いたが、そのあとは博物館へ行こうと思っていた。この炎天下街歩きはつらい。「国立博物館」があるようだ。歴史の展示もあるようだからそこへ行ってみよう。
行ってみると、歴史的建築の美しい本館は修復中とのことで閉館。
となりの現代的な建物の新館は見ることができるらしい。
新館の展示は、1階が考古学、2階が生物学、3階が特別展となっていた。
もともと博物学の展示をやっているところらしい・・・あれ?博物館って博物学でいいんだ…今頃気がついた。
閉館中の本館
博物館前は路面電車の軌道工事中
これが新館
新館入口
考古学展示は「ケルト文化について」のようだ。
ケルトについて、フランスやイギリスにいた人たち、くらいの認識しかなかったわたしは、なぜ中央ヨーロッパのチェコでケルトについての展示があるのだろうか?と不思議に思った。「これは企画展なのかな?」とも思った。
無知って怖いですね。
ケルト人は、まさしくこの場所、中欧ヨーロッパにいたのだ。
そして、ヨーロッパの各地に移動して行った。
イギリスやフランスにあるケルト文化は、あとの時代のものなのだ。
(まぁ先史時代のことなので諸説あるらしいが)
ケルト人の移動
チェコの考古学遺跡分布図
古代の墓から色々出土するらしい
腕輪、足環かも?武器にもなったのかな?
この石の頭は何か貴重な学問的価値があるらしい。
一生懸命英語のキャプションを読んでみると、髪型が特徴的とある。
ほんとだ、髪の毛がヘアバンドみたいに結われているのか、あるいは後頭部は刈り上げちゃってるのか、不思議な髪型だ。
土器もある。この時代のこの地域の土器はわりに実用的でシンプルだ。
土器をつくる窯の復元
ヨーロッパの先史時代には全く知識がなかったが、スマホの翻訳機能を駆使して何とか説明文を読み解く。
石器、土器、金属製の剣や乗馬器具などがあり、それぞれ日本との違いもあり興味深い。
その中で一番興味をひかれたのが、おびただしい数の「ピン」。
「前期 La Tene文化」とキャプションがあり、紀元前500年頃のもののよう。
日本やアジアの出土品には見たことがない。
大英博物館やローマやナポリなどでは見たのかもしれないが、記憶にない。
どうやら「Fibula」と呼ばれる装身具で、古代ギリシャ、ローマでもよくみられるのだそう。プラハ周辺で出土したものは、ブロンズ製でかんたんな「安全ピン」の形のものもあれば、ユニークな飾りのついた「ブローチ」と呼べる様なものもあった。
片側が渦巻き状のばねになっていて、完全に現代の安全ピンと同じ。
たくさん出土するということは日用品だったと思われる。日本にも銅や鉄は(時代がずいぶん下るが)伝わっているが、安全ピンは見たことがない。日本との文化の違いを感じる。
Fibula 安全ピンたち。
これは趣向を凝らした人型の安全ピン。(Fibula)
2時間ほど冷房の効いた博物館でじっくり見学でき、快適だった。
ケルトについて、いや、ヨーロッパの歴史そのものについて、あまりにも知識がないので、せっかくの展示を見ても半分も理解できていない。帰国したら勉強しなければ。
La Tene ラテーヌ文化:前6世紀~前1世紀にヨーロッパの広範囲に広がった鉄器文化。ローマ帝国に征服されるまでつづいた。