帰省初日。雨。
熊本空港に到着してまず向かったのが、益城町。
ここのところ、父の中でブームになっている「矢嶋家」関連史跡を訪ねます。
矢嶋家というのは、江戸時代熊本で惣庄屋を務めていた家で、熊本(日本)の近代に貢献する人物を何人も輩出しています。
矢嶋家と四賢婦人については益城町のこのページにまとめられています。
https://www.town.mashiki.lg.jp/kiji003102/index.html
四賢婦人
竹崎 順子(三女)熊本女学校を創設
徳富 久子(四女)徳富蘇峰、小説家徳冨蘆花兄弟の母
横井つせ子(五女)横井小楠夫人
矢嶋 楫子(六女)女子学院(東京)初代校長
以下、訪ねた順番ではありませんが、写真を挙げて解説します。
「四賢婦人記念館」益城町杉堂地区にこの4月にオープンしたばかりの記念館です。
ピカピカ。矢嶋家住宅を復元してあります。
本体の矢嶋家の場所には、別の方がお住まいということで、集落から少し離れた広い場所にできていました。
四賢婦人記念館ホームページ
http://kumamoto-museum.net/shikenfujin/
四賢婦人記念館は、近代日本における女子教育や女性の地位向上に尽力し、今日の男女共同参画社会の礎を築いた竹崎順子・徳富久子・横井つせ子・矢嶋楫子ら矢嶋家姉妹、「四賢婦人」の功績を顕彰し発信する施設です。
矢嶋家は、幕末の思想家で明治新政府の参与・横井小楠との関係が深く、長男・直方(源助)をはじめ、姉妹の配偶者らも門下生として小楠に師事しました。
また、雑誌『国民之友』や『国民新聞』を主宰した近代日本を代表する言論人・徳富蘇峰も、文久3(1863)年に徳富一敬・久子夫妻の長男として、母・久子の実家であるこの家で誕生しています。
展示されていた機織り機。
これは四賢婦人のうち末の矢嶋楫子さんが使っていたもの。
離縁した婚家林家からの寄贈とのこと。
益城町がつくった「四賢婦人物語」まんがです。
力入れてますね。
この本の原作者の斉藤さんが在館していらっしゃって、いろいろ詳しいお話を伺うことができました。
この方は四賢婦人についての研究者の方です。
ちょうど、5/26(日)に開催される斉藤さんの講演会のチラシもありました。
父が喜んで参加すると言っていました。
男女共同参画の基礎を学ぶ講座「益城町の四賢婦人」
⇒ http://harmony-mimoza.org/kouza_seminar/2019/05/55-3.html
現在キャンセル待ちのようです。
矢嶋家のあった場所に立っている案内板。
この家では、徳富蘇峰も生まれているので、碑がたっています。
津森小学校(父の母校)にある、矢嶋楫子の顕彰碑。
津森小学校には二宮金次郎さんの像もありました。
田掻地蔵。(益城町宮園地区)
徳富久子さんが幼い頃、遊んだお地蔵さん。
ここでほおずき遊びをした話が残っています。
詳しくはこちらを(水前寺古文書の会のブログです)⇒「矢嶋忠左衛門と木山役宅」
熊本地震で傾いたのでしょう。まだそのまま、修復されていないようでした。
今回の帰省では何カ所か神社など訪ねましたが、どこも被災したままほとんど復旧してない状況でした。
熊本空港に到着してまず向かったのが、益城町。
ここのところ、父の中でブームになっている「矢嶋家」関連史跡を訪ねます。
矢嶋家というのは、江戸時代熊本で惣庄屋を務めていた家で、熊本(日本)の近代に貢献する人物を何人も輩出しています。
矢嶋家と四賢婦人については益城町のこのページにまとめられています。
https://www.town.mashiki.lg.jp/kiji003102/index.html
四賢婦人
竹崎 順子(三女)熊本女学校を創設
徳富 久子(四女)徳富蘇峰、小説家徳冨蘆花兄弟の母
横井つせ子(五女)横井小楠夫人
矢嶋 楫子(六女)女子学院(東京)初代校長
以下、訪ねた順番ではありませんが、写真を挙げて解説します。
「四賢婦人記念館」益城町杉堂地区にこの4月にオープンしたばかりの記念館です。
ピカピカ。矢嶋家住宅を復元してあります。
本体の矢嶋家の場所には、別の方がお住まいということで、集落から少し離れた広い場所にできていました。
四賢婦人記念館ホームページ
http://kumamoto-museum.net/shikenfujin/
四賢婦人記念館は、近代日本における女子教育や女性の地位向上に尽力し、今日の男女共同参画社会の礎を築いた竹崎順子・徳富久子・横井つせ子・矢嶋楫子ら矢嶋家姉妹、「四賢婦人」の功績を顕彰し発信する施設です。
矢嶋家は、幕末の思想家で明治新政府の参与・横井小楠との関係が深く、長男・直方(源助)をはじめ、姉妹の配偶者らも門下生として小楠に師事しました。
また、雑誌『国民之友』や『国民新聞』を主宰した近代日本を代表する言論人・徳富蘇峰も、文久3(1863)年に徳富一敬・久子夫妻の長男として、母・久子の実家であるこの家で誕生しています。
展示されていた機織り機。
これは四賢婦人のうち末の矢嶋楫子さんが使っていたもの。
離縁した婚家林家からの寄贈とのこと。
益城町がつくった「四賢婦人物語」まんがです。
力入れてますね。
この本の原作者の斉藤さんが在館していらっしゃって、いろいろ詳しいお話を伺うことができました。
この方は四賢婦人についての研究者の方です。
ちょうど、5/26(日)に開催される斉藤さんの講演会のチラシもありました。
父が喜んで参加すると言っていました。
男女共同参画の基礎を学ぶ講座「益城町の四賢婦人」
⇒ http://harmony-mimoza.org/kouza_seminar/2019/05/55-3.html
現在キャンセル待ちのようです。
矢嶋家のあった場所に立っている案内板。
この家では、徳富蘇峰も生まれているので、碑がたっています。
津森小学校(父の母校)にある、矢嶋楫子の顕彰碑。
津森小学校には二宮金次郎さんの像もありました。
田掻地蔵。(益城町宮園地区)
徳富久子さんが幼い頃、遊んだお地蔵さん。
ここでほおずき遊びをした話が残っています。
詳しくはこちらを(水前寺古文書の会のブログです)⇒「矢嶋忠左衛門と木山役宅」
熊本地震で傾いたのでしょう。まだそのまま、修復されていないようでした。
今回の帰省では何カ所か神社など訪ねましたが、どこも被災したままほとんど復旧してない状況でした。