雨曇子日記

エイティライフの数々です

南千住街歩き

2017-11-09 19:52:00 | 東京散歩

 

11 月 4 日(土) 9 時を過ぎた常磐線南千住駅。上野行きの快速電車が出ていくところです。

 

           ( 素盞雄神社の裏手にある“荒川ふるさと文化館”玄関前 )

 

私は、「千住宿入門講座」(NPO千住文化普及会主催)に来たのです。

講義のあと、街歩きが、すぐ隣の素盞雄神社から始まりました。

 

   (祭神のすさのお大神、あすか大神が光を放ち降臨した際の奇岩「瑞光石」が祀られています)

 

この「瑞光石」(ずいこうせき)にちなんで、千住の小学校には「第二瑞光小」のように「瑞光」がついています。

 

                      (樹齢 600 年の子育て銀杏)

                 (母乳がよく出ますようにと納められた絵馬が並ぶ)

                      (ちょうど山車が出ていた)

 

少し戻って、南千住 6 丁目旧千住製絨所跡に来ました。

 

 

説明にありますが、軍服用のラシャ地を生産する国営の工場あとです。

次に彰義隊戦死者の墓がある圓通寺(えんつうじ)に来ました。

当時の住職仏磨和尚は、寛永寺御用商人三河屋幸三郎と相談の上、彰義隊兵士 266 名の遺体を上野山王台で火葬し、この寺に合葬しました。

 

                          (圓通寺のお釈迦さま)

              (弾痕の残る黒門は明治 40 年上野から移築した)

 

地元の人でなければ分かりにくい路地を通り、常磐線をくぐって浄閑寺へ出ました。

 

               (常磐線のガード下、煉瓦づくりのトンネルになっている)

             (浄閑寺の山門は木造では荒川区で一番古いそうだ)

                            (新吉原総霊塔)

                            (骨壺が見える)

 

散策の最後は、江戸の三大処刑場の一つ小塚原処刑場跡地に建つ延命寺と回向院。

 

              (延命寺の首切地蔵、ブロックを積み重ねてできている)

        (回向院には、鼠小僧など江戸・明治時代の悪役四人組の墓もある)

                 (医師会設置の「解体新書」扉絵のレリーフ)

 

回向院前の通りは「コツ通り」というが、それは、小塚原で処刑された人の骨が出てくるからだそうである。