2018 年大歩危トラベル散策第 2 弾として、1 月 18 日北鎌倉東慶寺、円覚寺を歩きました。
( JR 横須賀線北鎌倉駅下りの長いホームに着きました )
(昭和 2 年築の駅舎を出ます)
(東慶寺は駅から徒歩 5 分。お集まり下さってありがとうございます)
1285 年 北條時宗夫人の覚山尼開山の東慶寺。明治からは尼寺ではなくなりますが、女人救済の治外法権をもち“駆け込み寺”として歩んできた寺の歴史は今も残り、やさしい風情が感じられます。
(書院の庭)
( マンサクの花 )
( 歌碑 )
(本堂の釈迦如来坐像)
(金仏。右手後方の建物は松岡宝蔵で、江戸時代の縁切り状等寺宝が展示されている)
(境内の石仏)
境内奥の墓地には、鈴木大拙、西田幾多郎、安倍能成、などの哲学者を始め多くの有名人の墓がありますが、歴代の尼僧、特に五世の用堂尼、二十世の天秀尼の墓に惹かれました。
後醍醐天皇の皇子護良親王は、足利尊氏に鎌倉に幽閉され弟の足利直義の家来に殺されますが、姉である用堂尼がこの寺に入って親王を供養されたことが想われます。この墓は宮内庁の管理下にあるそうです。
また、二十世の天秀尼は、豊臣秀頼の側室の子で、兄国松と大阪城から脱出しますが、国松(8 歳 )は殺され妹奈阿姫( 7 歳 )は千姫の養女となってこの寺にはいります。37 歳で亡くなりますが、その間世話をしたのは豊臣秀吉の側室“甲斐姫”といわれます。その宝篋印塔も、歴代尼僧のなかでひときわ大きな天秀尼の墓碑に 並んで建っています。
(歴代の尼僧の墓石が並ぶ一画にて歴史を偲ぶ)
今年平成 30 年 11 月、円覚寺の大事業として、近代的な禅の確立に努めた釈宗演老師の 100 年遠忌が行われるが、老師は円覚寺・建長寺の管長を辞された後東慶寺住職となられた。
(釈宗演老師の墓)
白梅、紅梅で名高い東慶寺の梅もまだ時期が早いようです。
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