3月8日の大人教室とコラムです。
今日は5人でした。
第13回 現名人に勝利
(棋士の肩書、段位きは当時のもの)
1989年度は、順位戦は勝利スタートでしたが、その後2連敗、そして3連勝、2連敗、2連勝で前期同様6勝4敗でした。
ラストの2連勝はホッとしました。
公式戦トータルは18勝15敗でした。
勝ち越せたのは良かったですが、対局数が少なかったです。
前半は調子が悪かったですが、後半は7勝1敗で終わりは4連勝でした。
来期に向けてはいい手ごたえがありました。
この年は師匠の平野広吉六段がなくなり、享年73歳でした。
先生が晩年体調を崩されてからは、いくつか代理でお稽古などに行きました。
いろいろ地方にも行き、とくに思い出にあるのが群馬県のハンセン病(らい病)療養所の栗生楽泉園に何度か指導に行ったことです。
将棋の好きな方が多くいらっしゃって、とくに目の不自由な方が強くてびっくりでした。
先生はらい病がうつるかもと心配だった時代から療養所に指導に行かれ、もしうつっても将棋の好きな皆さんに指導していきたいという気持ちでした。
国立療養所からの感謝状は先生の自宅教室に飾ってあります。
普及に対する強い意識は受け継がなければならないと心にとどめました。
これがのちに海外普及していく原動力になっています。
1990年度の順位戦初戦はC級2組一期抜けの屋敷伸之五段でした。
強い若手で、このあと棋聖挑戦者、そして次は18歳で最年少タイトル獲得とすごい記録を作られました。
本局は相掛かりの素早い動きで私が不利となり、夕食休憩前に負けてしまいました。
才能のない私は粘りが身上で、順位戦は持ち時間が6時間あるので悪くなってもなるべくがんばり、今まで夕食休憩前に負けた将棋はなかったです。
順位戦2回戦からはこのような負け方はしないようにと心に決めました。
8月に全日本プロトーナメントで中原誠名人と当たることが出来ました。
中原先生の将棋は私にとっては一番の手本で、たくさんの棋譜を何度も並べてきました。
奨励会時代師匠に頼まれて、中原名人の自宅に色紙を受け取りにいったことがあります。
私が四段に昇段したときは中原先生から為書き扇子をいただいたのは、うれしい宝物でした。
私が棋士になって5年、C級2組一期抜けや17連勝はありましたが、勝率はここまで5割5分ぐらいで若手棋士としては今一つです。
現役の名人に勝つのは難しいですが、憧れの大名人と指せることがうれしかったです。
私が後手で中原先生の急戦矢倉でした。
出だしは居玉で待つ工夫などで、序盤はまずまずでした。
その後もいい勝負と思いますが、私としては自分ペースで戦えました。
優勢になってからは、中原先生の入玉模様の粘りなどで長い戦いでしたが、何とか184手で勝つことが出来ました。
うれしい勝利で、現名人や名人経験者にトータル3勝1敗(大山康晴十五世名人に1勝1敗、加藤一二三九段に1勝)はいい自信にもなりました。
順位戦は屋敷五段に負けたあとは連勝。
快進撃が続きました。