3月22日の大人教室とコラムです。
今日は4人でした。
第15回 幅広く活動
9勝1敗で昇級出来なかったのは、後になるとだんだん無念の気持ちが増えてきました。
このあとがんばり続けても、運がないと上のクラスに昇級できないかもと。しかしそれでもがんばり続けることが大切であることと、何か将棋界で自分らしい活動ができればという葛藤がありました。
奨励会同期で19歳入会だった関西の神吉宏充さん(現七段)は解説や話が面白く、芸能人的な活躍をされていました。
私にも何か長所があるかなと考えますと、たくさん将棋の本を読んできて、研究が好きなこと。当時すでに横歩取りガイド(1988年著)をはじめ著書を書いていました。
雑誌に連載講座を書いたりと、この方向でもがんばっていきたい。
また奨励会に入ってすぐに師匠の教室を手伝ってきたことから、指導に力を入れていきたいこと。
師匠からはいつか名人を輩出したいとのことから、弟子を育てていくこと。
この時期1991年から6年間女流棋士育成機関の女流育成会の幹事をしました。
単に幹事をすること以外で、対局のポイントになる局面のレポートなど作ったりしました。
1991年度の順位戦は調子が悪く、2勝8敗で降級点を取ってしまいました。
公式戦は16勝20敗でした。
前年多く勝ったので、負け数は2番目に多かったです。
1992年度の順位戦は7勝3敗ですぐに降級点は消しました。
前年、この年ともう少しがんばっていれば昇級のチャンスがあったかも。
順位戦の好成績としてはこの年の7勝3敗が最高で、以後は下降となりました。
公式戦は20勝16敗で、前年とちょうど逆でした。
この年、五段昇段から勝ち数120勝で六段に昇段しました。
まだまだ力は残っていますが、四段で研究会を減らし、五段でなくし、VSも六段になるころ弟弟子の岡崎洋現七段のみとなってきました。
当時の趣味はアクアリウムという水草などをセットした水槽で熱帯魚を飼っていました。
将棋世界にカラー写真で紹介されたこともありました。
当時の将棋世界編集長で「聖の青春」の作家の大崎善生さんもアクアリウムが趣味で、よく熱帯魚のショップ巡りなどしていました。